みぞ!のみぞ知る世界!!

とにかく自由に好きなことについて書いていきます。

放送終了後に見えたキーアイテム『おかえりモネ』紅白でモネが奏で始めた「未来」2022.1.15

「『おかえりモネ』についてはもう書かないだろう」というくらいの強い思いで、総括記事を投稿して一ヶ月以上が経った今。またキーボードを叩いている。

昨年末の紅白歌合戦。主題歌を務めていたBUMP OF CHICKEN(以後”バンプ”)の出演、モネと菅波が審査員というだけでも、湧いていた私だったが、その後、発表された『おかえりモネ』の皆が出演するコーナーがあると聞いた私は、放送当日いてもたってもいられなかった。だが、今年の紅白は、その他にも見どころがたっぷりだった。本旨とはズレるのでサラッと書くが、

・独自の世界観を持つYOASOBIが、出演者に囲まれて歌う『ツバメ』そして大勢を率いて歌った魂の叫び『群青』

・推しである上白石萌音の初紅白

・日向坂46の白い衣装が途中でカラフルになる演出

東京五輪開会式で待望論が挙がっていたマツケンサンバの実現

・司会の川口春奈のサバサバテキパキ進行VSなんとかしてふざけたい大泉洋

・昨年末で卒業の生田絵梨花の卒業式となった乃木坂46の『きっかけ』

・「実家は東京国際フォーラム」藤井風のサプライズ登場

・ラストのMISIA&藤井風の『Higher Love』

などなど、紅白歌合戦だけで一記事書けるくらい、歴代トップの満足感だった(視聴率や悪いニュースなぞ知らぬ!)

個人的に一番良かったのは水森かおりいい日旅立ち』だった。あれは思い切り笑顔になった。

www.nhk.or.jp

モネたちが再び奏で始めた”未来”

自分で言いながら、とてつもなく脱線してしまったが、そんなそんなで『おかえりモネ』コーナーを完全に忘れていた私だが、今回ブログをまた書こうと思ったのは、このコーナーに感動したからだ。私自身が、コーナーをやると聞いて想像していたのは、2013年紅白歌合戦での『あまちゃん』特別編のような、ステージ&映像でのドラマ演出だった。当時は『あまちゃん』にとてもハマっており、未だに当時の印象が根強く頭に残っている。

www.nhk-ondemand.jp

(NHKオンデマンドで観れるとは思わなかった...すごいなNHK)

まぁ完全にこういう形だと思い込んでいたのだが、始まったのは映像。少し残念には思いながらも、「よく考えたらモネも菅波も審査員じゃないか...そりゃ無理だよな。あとコロナもあるからな...」と、うだうだ言いながら、画面を注視していた。

映像は震災から10年の気仙沼。清原のナレーションでドラマではなく現実の気仙沼の”モネ”が紹介された。東日本大震災を背景の一つとするドラマである事を忘れるほどの素晴らしい作品であったが、そのバックグラウンドには確かに今生きる人々、あの時の記憶がある。それをしっかりくみ取る演出に、制作陣の強い思いを感じ、改めて尊敬の意を持たざるを得なかった。

その後はバンプの代表曲『天体観測』で焦らされる。正直なところ、ここまでの紅白でかなり体力を消耗していたので少し休憩と言う意味でもありがたい時間であった。

そして、始まったのは10年越しの3月12日(号泣)

何回言うんだという感じだが、私は『あまちゃん』の時のようなドタバタした日常の一幕が、紅白のSP版として繰り広げられるものだと思っていた。思っていた。だから、速攻、泣いた。不意打ちの最終回後。不意打ちの本当の最終回。不意打ちの皆の未来。あまりにも突然の出来事に、「録画してて良かった~」と心底思った。

『おかえりモネ』の中で”音楽”はとても重要な存在だ。以前の総括記事でも書いたが、音楽の存在自体が、この作品のメッセージを体現しているとも言え、モネにとっては好きなものでありながら痛みの象徴でもあった。そんな音楽は、最終回で、彼女がサックスケースを開けたことで、3月11日で止まっていた鳴りを再び始めた。だが、久しぶりに出した音は、「奏でる」というものではなく、まだリハビリを始めたような音だった。

だからこそ、突然始まったライブ、楽しそうに曲を「奏でる」モネに泣くしかなかった。ようやくここに辿り着いたかとそう思った。演奏するモネの恰好は父、耕治を彷彿とさせる白いスーツに白いハット。これがまず泣く。輪になって楽器を吹く幼馴染、特に未知に亮がオシャレな恰好で「楽しそうだな!おい!!(泣)」であった。そして、よく考えて見れば演奏をしている姿は、回想におけるモネの中学時代のあの一回だけ。私はあの頃の音楽を楽しんでいるモネの表情が好きで、もう一度見たいと感じていたため、その願いが叶った。

このシーン、1分弱ほどしかないのに、色々想像が膨らむ。モネたちの後ろで演奏する制服の子たちは、母校の後輩だろうか。だとしたらモネが立ち上げた吹奏楽部は、まだ続いてるのか(泣) そして、明日美もいるという事は、盆か正月かいつだろう(泣) 後ろのどう見たってプロのミュージシャンの方々は、「外から来る人も拒まない」というメッセージを踏んでいるのだろうか(泣)(それはあまりに飛躍しているぞ)とか、全120回を見てきた人にとっては、あまりにも贅沢な、大満足の1分間だったように思う。

『おかえりモネ』を彩ったもう一つの”音楽”

忘れてはいけないが、これは紅白歌合戦。モネたちによる『なないろ』が演奏され、それに続き気仙沼の海からバンプが『なないろ』を奏でた。私のブログではさんざん、歌詞分析みたいな事をしているのに、この曲の歌詞に紅白で初めてじっくり向き合う事になったのは反省だ。歌詞がとにかく秀逸。

私はついつい置いてけぼりにしがちなのだが、このドラマにおいて大事な要素の一つである「天気」にまつわる表現を用いて、心情のグラデーションが優しく表されている。

昨夜の雨の事なんか 覚えていないようなお日様を

昨夜出来た水たまりが映して キラキラ キラキラ 息をしている

治らない古い傷は 無かったかのように隠す お日様が

昼間の星と同じだね 本当はキラキラ キラキラ この街中に

過去にあった悪い事も、見えないだけで、思い出す機会がないだけで、確かに心には残ってる。それは無かったことにはならないし、自分と周りとの間に出来た壁はなくならない。でも前に進める。それを皆が分かって寄り添い合えれば。

作中終盤でもそれを表す描写はあった。亮は父である、信次に「昔のように船に乗って欲しい」と頼むが、信次は「元に戻る事だけが良い事だとは思わない。元に戻ろうとするから止まってしまう。」と言い、”船にはもう乗らない”という選択をした。

『おかえりモネ』はそういった事を教えてくれたが、この歌詞は、「皆、多かれ少なかれ何かしらの事情を抱えている」という事を気付かせてくれるような歌詞で、ハッとさせられる。つい最近、夜の空は「真っ暗」なんじゃなくて、昼の空が暗くなっただけなんだなぁと思ったばかり。視点を少し変えるだけで見える世界は変わる。

歯磨きして顔洗って着替えたら いつもと同じ足で出かけようぜ

相変わらずの猫背でもいいよ 僕が僕を笑えるから

二番はOPでも流れなかったため、歌詞もほぼ初見だった。でもこの歌詞がとても爽やかで、かつ力強く感じた。どんなものを背負っていても、どんな痛みがあっても、どれだけ自分に自信が無くとも、自分を信じる事で歩き出せる。「猫背は良くないから直した方が良いよ」と友人に言った自分を叱りたい。そんな事よりも「自分を信じてあげて」そう言うべきだとそう思った。それが誰かの「痛み」に寄り添うという事なのだろう。

 

なないろ

なないろ

  • provided courtesy of iTunes

 

公式SNSで見えたキーアイテム「電話」

そんなこんなで存分に楽しんだ紅白歌合戦を終え、2022年。1月。

『おかえりモネ』も過去の朝ドラの例から漏れず、公式TwitterInstagramが14日に閉鎖。公式サイトは31日にクローズされる。そのため、私は最後に写真を保存しようとTwitterを遡っていたのだが、ある事に気づいた。数多くある、場面写真の中でも特筆してある写真が多いのだ。それはモネがスマートフォンを耳に当てている写真、つまり「電話」をしている場面写真だ。

【第2週】
5/27 遭難して朝岡に助けを求める電話
5/27 遭難して圭輔くんの体調が悪くなり菅波に電話
【第12週】
8/2 東北への台風接近を家族に伝える電話
8/2 菜津の祖父の熱中症を診断し大事に至らなかったと菅波に感謝を伝える電話
8/3 龍己に台風の件で「モネのおかげでみんな助かったよ」と伝えられた電話
【第14週】
8/16 中継キャスターを任せられサヤカに相談する電話
【第15週】
8/27 「亮が船に戻っていない」と亜哉子からの夜中の電話
【第16週】
8/31 亮の事で、水族館デート出来なくなった事を菅波に謝る電話
【第17週】
9/8 付き合い始めたものの仕事で会えないため、仕方なくの菅波との電話
9/10 会えない期間が重なりすれ違った思いを合わせようと菅波に「15分だけ会おう」言われた電話
【第18週】
9/13 車いすランナー鮫島の選考レース当日のオフィスでの電話
9/13 夜中の「おはよう」菅波から「東京へ行きます」の電話
9/15 台風の報道の仕方に悩み同じ"資格"を持つプロの菅波に意見を仰ぐ電話
9/16 台風について「家の裏山に川ができた」という視聴者のおばあちゃんからの局への電話
9/16母の民宿再開への思いを聞く電話
【第19週】
9/20台風後の実家の被害について明日美からの電話
【第20週】
9/30「自分がいなかった時間を埋めるのは、しんどいけど案外おもしろい」と菅波との電話
【第21週】
10/7 未知や家族の痛みを知りどうしていいか分からず悩みを菅波に吐露する電話
【第22週】
10/11 モネの家族に挨拶しに行く事になり「助けて下さい」と菅波に頼まれる電話
10/12 仕事で悩みサヤカへの相談の電話
10/14 亮の船が戻らないと漁協からの電話
10/14亮の船が戻らず何か出来ることはないかと取り乱すモネを諭す朝岡との電話

(公式Twitterにてモネが「電話」をする場面写真があった投稿をまとめてみた。写真は著作権上の問題で控えます)

数えると22枚ものスマホ(もしくは受話器)を耳に当てる清原果耶の写真があることになる。「マニアックなフェチかよ...」とツッコみたくなるが、このドラマの事だ。おそらく演出上、「電話」はキーアイテムだったという事ではないだろうか。

以前書いた総括記事の中で、「聞く」事の大切さと、距離の否定を述べた。「電話」はその二つを印象付けるアイテムとして描かれたのではないだろうか。

モネと菅波は、東京と登米、仙台と東京というように作中何度も離れた。必ずそばに、横にいたという訳ではなかった。だが、最終的には「一緒に2人の未来を考える事」が”一緒にいる”ことだと結論付け、共に歩んでいく事を二人で決めることが出来た。それが表すのは、距離など関係ないという事であり、それを実現できたのは作中終盤で特に多かった二人の「電話」があってだと思う。そして様々な人との間で大事にしたのが、「聞く」事であり、「伝える」事だったという事も「電話」が表している気がする。

コロナ禍で、リモートが普通になった世界で、対面以外のコミュニケーションのあり方はより重みを増している。私が今も紡いでいる文字でのコミュニケーションは早くて手軽だ。だが、人の声を聞く、話すという行為は特別だと思う。文字にはない安心感と、心の温かさがある。

総括記事を最後にしようと思っていたが、今回も書いてしまった。だがそれは『おかえりモネ』という作品はそれほど魅力的な作品だという事を示している。モネも清原果耶も作品も、そこにあるメッセージも、関わる全てが”繊細で力強い”

私もこれから先そんなしなやかな人間になりたい。そして『おかえりモネ』の世界はこれからも続いていくのだと感じた良い年末年始であった。

 

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「当たり前」という物差しに目盛りを増やす 2021.12.31

先日、アイドルグループ日向坂46のドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』を見た。皆さんはご存じか分からないが、日向坂46は、元々、欅坂のアンダーグループとして発足した”けやき坂46(ひらがなけやき)”というグループだった。アンダーという従属的な立場から、努力の末、”ハッピーオーラ” "おひさま”などに象徴される今の日向坂があるのだが、その努力の奇跡と苦悩の日々がこの作品には記録されている。

そんな日向坂46だが、けやき坂時代に、二期生を迎えており、日向坂としてのデビューシングル『キュン』では、そんな二期生の小坂菜緒がセンターを務めた。二期生ながらもセンターを務める事となった小坂が、映画の中で語ったこの時の心境がとても印象的だった。

 

「正直なんで私なんだと思ったところがあって。けやき坂から日向坂に変わってデビューシングルでセンターを務めた時が一番つらかった。

その時期の取材とかで、「(自分がいない)けやき坂の3年間」をよく聞かれた。でも、自分にはそのけやき坂の3年間が分からないし。自分がそれを話すのが申し訳なく思っていたところもあって。」

二期生は、欅坂のアンダー的立場で苦汁を噛んできた時代を知らない。その時の苦労と努力を知らない。そんな自分が、センターとして、グループの代表に立っていいのかという思いが彼女にはあったのだと思う。経験が無い事で、感じたセンターとしての孤独感も、彼女だけが知る経験。それ故、誰にも相談できなかったという。

私たちの日常には、大小あれど様々な経験の違いに出会う。「私はしてる。けどあなたはしていない。」それを意識できるものもあれば、出来ないものもある。日々、生きていれば、必ずその差異は生まれる。そしてそれによって、辛い思いをする事も少なくない。

朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』

三世代によって紡がれるラジオ英会話が繋ぐ親子の物語。”英語”を通じて出会った今でいう大企業の御曹司に恋をした第一部の主人公、安子。

彼女は、戦争の中で、やっとの思いで結婚した彼を失い、彼が残した娘、るいを必死で守ろうと決意する。だが、奔走する安子、彼の実家の義父、義弟などの思い、英語を通じて知り合った外国人への恋心が交錯し、るいに大きな誤解をされてしまう。そして第一部の最後には、安子はるいに「I hate you」と軽蔑されてしまう。彼の家の力を借りず、自らの力でるいを守る。「るいは私の命」とるいの事だけを考えてきた彼女にとってその言葉は、致命傷になった。

この回の終了後、Twitterでは様々な意見が飛び交った。「一度、子供に”嫌い!!”と言われたぐらいで...」という意見もあれば、「ずっとるいのために生きてきた彼女にとって、稔の形見である”英語”で軽蔑されたのは辛い」という意見もあった。

作中でも、義父や義弟は安子が思う「るいの幸せ」に気づかずにいた。視聴者の経験によっても、その感性や受け取り方は千差万別。ドラマをSNSを覗きながら視聴しているとそう思う。経験の有無は、その人間性までをも表象する。だが、私たちは経験している事に無意識で、経験していない人を意識することは怠る。なぜなら、経験を基に、考えるからだ。

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経験している事に無意識といえば、我々が生まれていつからか「社会」の一員として生き、何かしらの集団に属している事だって無意識の事だろう。朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』にハマった事もあって、主演、清原果耶の作品をいくつか視聴した。その中の一つ『デイアンドナイト

俳優山田孝之が監督した作品としても知られるこの作品で、清原は児童養護施設で暮らす「家族」を知らない高校生、奈々を演じている。物語序盤から奈々は、施設で他の子どもたちと楽しそうに暮らしており、何不自由ないように見える。だが、物語後半で、卒業を間近に控え進路を決める事になった奈々は、絵を描くことが好きで周りにも「上手い」と言われるほどだった事もあり、勇気を出して美術の専門学校を志望する。だが、担任の先生には反対されたあげく「卒業したら施設も出なくちゃいけないんでしょ?家族もいないし、身寄りもいないんじゃねぇ...」と言われるのであった。

それまで、施設の皆を「家族」と思っていた奈々にとって、先生の言葉は重く突き刺さり、サプライズで誕生日を祝ってくれた皆の前から逃げ出してしまう。そして、主人公に「家族だと思っていたものはそうじゃなかったの?」「家族のフリをしてるだけ?」と言うのだった。

社会に属して、家族がいてここまで生きてきた。

当たり前に思える事も当たり前じゃない人もいる。だが、日常を生きる私たちはそれに無自覚だ。当たり前にある人からすれば、それは「経験する」事ではない。だが、それが当たり前じゃない人からすれば、経験なのだ。そして「経験不足」として社会から評価される。当たり前だと無自覚な大勢の社会の物差しによって、押し込められる。

逆に言うと、そんな彼女たちがそれを知った時に、烙印を押された自分の名誉回復のつては、社会の物差しを利用した「家族がいない事を”経験した”」と、その境遇をある意味で肯定し、それでマウントをとるしかないのかもしれないと思ったりもする。

「親に代わって弟を育てながら出世した人」「シングルマザーである母を経済的に支えながら勉学に励んだ人」

ゲストの芸能人を掘り下げるトークバラエティでは、そんな境遇が美談として度々紹介される。確かに結果としては素晴らしい事で、評価される事かもしれない。だが、親に代わって弟の世話をする必要も、母を支えるために働く必要もない方がいいに決まっている。

いつもは当たり前に無自覚で無意識にそうでないものを排斥するのに、そんな時だけ当たり前を自覚し、彼女たちを称賛する。そんな風であっていいのかと思う。

私含め大勢が「当たり前」や「普通」に支配されている。

そしてそれは乱暴に言えば数の論理、多いものが勝つという軸なのだろうと思う。家族がいて何不自由なく自分の生活を営めること、それが当たり前とされる世の中で、「家のために働きづめ」「親の面倒を見る事」などは、「経験」として評価されない。本来、それを経験として認知したくないのにそうせざるをないから叫ぶのに、それをやればやるほど「不幸自慢だ」「それぐらい当たり前だ」と批判される。

日本以外のコミュニティを知らないから、何とも言えないが、この社会では物差しが基本一本しかない。そう、「当たり前」「普通」という物差し。そしてそれに合う事を求められる。合わなければ合うように形を変えなければならない。俗に言う”同調圧力” その癖、都合が悪くなったら物差しを歪めることも厭わない。だからこんな歪な事になる。

その中で物差しによって烙印を押された者がどう自分の存在を維持するのか。それこそ「違う」という事を逆手にとり優位に立とうとする事しかない。

「私は人とは違うのだ」「だから特別なのだ」

大雑把に言えば、そうやって優越感をつくりだすしかない。だが、前述したようにそうやって苦肉の策の、身を削った行為も、「大げさだ」「こいつ何なんだ」と白い目で見られてしまう。

実際、世の中の言う「経験」をした、していないという事実は、選べない状況にあっても、自分で選んでも周りからすれば同じなのだ。だから、選べない状況をうまく使おうとしても、余計に外との分断を生むだけだ。そして、ますます同じく「私は特別だ(でも周りとは違うのが辛い)」という人としか話さないようになる。メリットのように見えるが、これも分断に変わりはない。それに経験していない事を糧にすればするほど、周りとのギャップ(「青春」があったかどうかなど)が生じて辛くなる。

私自身もずっとこういった経験をしてきた。周りと違うと認識したその時から、知らぬ間に「普通」に支配され、いかにそこにしがみつくかだけを考えた。それ故に「普通ではない」事を過度に怖れ、劣等感を感じていた。

そういう意味では、自らの境遇というより、その物差しに苦しめられた面の方が多いのかもしれない。

 

そうやって「当たり前」という物差しに、惑わされている内に、自分を守るための「特別」意識も、傲慢な思想へと変り果ててしまう。

「自分は、これだけ苦しんだからこれくれいいいだろう」

そうやってする内に、また他者に誤解され批判され、負のループに入ってしまう。

何か人と違う経験をした、反対に皆が経験している事を経験していないという事は、大小あれど、意外にも皆ある。家族の問題やデリケートな問題を同一直線上に置くのは危険だが、あえてそういう問題を持つ私は言いたい。

「どうせ物差しが一本しかないのなら、目盛りを増やせばいい。」

この世界は何かと一つの物差しで物事を測りたがる。そしてそれはなかなか頑固だ。そこで違う物差しで測れば「あいつの物差しは正確じゃない」とか言われて、のけ者にされるだけだ。だったら、その物差しを利用するしかない。そこで、出来るのは、物差しの目盛りを増やす事だ。違う物差しを用意して例えば、「私は不登校だったから、気持ち分かるよ!!」も間違いじゃないが、それでは前述したように分断を生んで、より社会と関わりづらくなってしまうだけだ。それよりは、皆が使う物差しの中で、少しでもその差を理解してもらえるように動く方がよっぽど苦しみに寄り添えるし、新たな苦しみを生まなくて済む。

大小いや、大きさでは測れないその経験の有無に対して、どんなものであってもその「違い」を皆が使う物差しで認識できる事が一番だろう。


先日『SWITCHインタビュー達人達』という番組で、YOASOBIのayaseと、脚本家である北川悦吏子の対談を見た。そこでこんな話があった。『ロングバケーション』を始めとする人気作を量産してきた北川は、脚本を執筆する際、電車で人間観察をしてアイデアを膨らませるという事はしないらしい。むしろそれが出来ないという。番組では、北川が脚本を担当した朝の連続テレビ小説半分、青い。』の台詞の一つが挙げられた。

「リアルを拾うんだ。想像は負ける。空想の世界で生きてる奴は弱いんだ。心が動かされることから逃げるな」

これは漫画家を目指す片耳しか聴こえない主人公、楡野鈴愛(永野芽郁)に、その師匠的存在である人気漫画家、秋風羽織(豊川悦司)が説いた言葉。

人間観察をして想像で書くことが出来ず、”自分”と誰かの関係でしか物語を紡げないという北川の意見に、ayaseも「こういう人はこうなんじゃないかという想像は弱い」と共感しており、北川の「とりあえず一回血を流しとけ」という言葉で締めくくられた。

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私はこれまで、自分を守る意味で想像の世界に助けられてきた。だからこそ、それがあたかも万能かのように語ってしまっていた。だが、想像は、現実の世界から生まれていく。切っても切り離せない関係だ。想像の世界にいつまでも閉じこもっていてはいずれその世界は腐る、そしてその想像力はいずれは独りよがりの決めつけになる。

経験は何も、自分が経験する事だけではない。人と話をする事でそれも疑似経験として蓄積される。だから、自分も例外なく色々な経験をしなければならない。

 

他者とは違う境遇にあって、なんとか歪んだ形で無理やり作り存在価値を見出して生きてきた私の生き方が、雪崩のように崩れた今年。

様々な作品に触れる中で、「止まっている」「動けなくなっている」状態なのに、社会と繋がっている感じがずっとあった。まるで命綱のように。それは違う面から見れば、「現実と向き合う事から逃げるな」そうしっかりと腕を掴まれているようでもあった。

物差しに翻弄され、きっとこれからも翻弄され続けるだろう。だが、そばにいてくれる人がいるだけで十分だ。当たり前な事がそうではない人がいて、それがあることで特別な経験をした、皆がしている経験をしていない人がいる事、そしてその経験の有無で周りとの関わり方に悩み、断絶を感じてしまっている人がいる事を分かってくれる人がいれば。それは私も肝に銘じなければならない事だ。

物差しすら利用できる、その物差しに多くの目盛りを書き込み、自分の周りだけでも寛容になればいいと願う。そして、来年はもっと皆が笑っている世界になればいいな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(あとがき)

2021年最後のブログとなりました。皆さん今年は沢山読んで頂きありがとうございました!!「ブログやってて良かった~」と思えた一年でしたし、定期更新&多くのコメントでブログ自体軌道にのった?一年だったので、本当に思い入れのある一年になりました。過去の記事は更新してしまえば、大抵何を書いたか忘れてしまうのですが、『おかえりモネ』『着飾る恋には理由があって』のレビュー記事、そして私自身の『ヤングケアラーの「私」の話』は自分自身の心に残るとてもいい記事になったなと感じています。他にも本当に沢山の文章を書きました。リトグリのアルバムレビューや、YOASOBI「ラブレター」のレビュー記事、カバー曲について、自分にとっての音楽やドラマはどんなものか、自分の好きな人はどんな人かも今年の文章なようで...ブログで見ると濃密な一年だったなと思います(笑)その総数34記事!!一記事最低3000字は書いているので、最低10万2000字は紡いだようです...まぁ計2万字を費やした記事が二本ほど、1万字も割とザラにあった気がするので、下手したら15万字以上あるかもしれません。そう考えると私ですら引きます......

まぁそれだけ書いたことで、書くことの楽しさ、書くことの力を存分に噛み締められた2021年になりました。まさかこんな一年になるとは思っていませんでしたが、「ブログを書く」という判断をしたのは間違いじゃなかったと何度も思えました。ブログを通じて繋がれた方々には本当に感謝でいっぱいで、頂いたコメントも宝物です!

来年は今年ほどの更新にはならないと思います。ですが、出来るだけ投稿したいと思っていますので、変わらず読んで頂けると嬉しいです。来年はこの記事にもあったように、色々あったしあるけど、そばにいてくれる方々を糧に「経験」することに逃げずに頑張りたいと思います!!

では、良いお年をお過ごしください!!したっけ~!!

 

【過去記事】

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福祉と「エンタメ」 2021.12.5

新聞でこんな文言を見た「エンタメは一部の人のぜいたく品か」

コロナ禍になってまもなく2年が経つが、エンタメ業界に突き付けられた「不要不急なもの」という刃は、その存在価値を私たちに直接問うものだった。

日本国憲法に「すべて、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。「生活はできている。だから娯楽品は嗜めなくとも貧困ではない。」その論理は果たして本当に正しいのか。その中にある「文化的な」という文言。それは、どういう意味なのか。私はエンタメに触れられる生活を指すのではないかと思うのだ。

このブログでは何度も述べているが、音楽がドラマが私を救ってくれた、支えてくれた。1人でも音楽がそばにいてくれたから、寂しいとは思わなかったし、どれだけ周りの目を伺って自らの姿をそれに合わせようとも、自分の「ありのまま」の姿を肯定し覚えてくれていた。

それ故、「不要不急」ではないし、「ぜいたく品」でもない。むしろ、生きる糧だ。そういう意味ではエンタメも、「福祉」の一つの手段として、万人が当たり前に享受できるものであってもいいのではないかという思いがあったりする。

既に、音楽やドラマが「福祉」の分野で活用されている例はいくつかある。音楽という面では、”音楽療法”が挙げられる。音楽は医療の見地からも「記憶や感情と直結している」と評価されており、認知症などの患者の治療の一つとして用いられている。

なんとなく、「高齢者施設で童謡などを歌う」イメージだが、京都のある病院では、その患者さんがこれまでの人生で親しんできた好きな曲を、メドレー形式で立て続けに歌う「フラッシュソングセラピー」という音楽療法を行っているらしい。

自分の好きな曲を歌う事で、その曲に結びついた思い出の想起や、気分の安定、立て続けに歌う事で脳や体の機能を動かすといった実利があるという。

kyoto.hosp.go.jp

他にも、ドラマという面では、子供の教育に、ドラマ内で使われたセリフが役に立つのではないかという視点から、『子供が変わるドラマのセリフ もっと話がうまくなる』という本が発売されていたりする。

このように、音楽やドラマが応用されている例はあるが、私が述べたい「福祉」への活用は、「福祉の敷居を下げる」事、そして「繋がりの創出」「居場所の創出」の点も大大きい。音楽や映画、ドラマなどの作品は、色んな考えに溢れている。だからこそ、孤独から救ってくれる事もあると思う。貧困には様々な形があるが、一時的にお金を与えたり、食料をフードバンクから提供したりでは解決しない問題もある。それは心の貧困だ。

「自分は他者とは違う」

そんな思いに代表されるように、家庭環境によっては、その環境が改善されても、長期、将来に渡って、存在しない劣等感や疎外感に苛まれる事もある。

そういう心のケアは、現代においては進歩を続けているが、まだまだ敷居が高かったり、間口が狭いなど十分に、その機能が働いているとは言えない。実際に、私がカウンセリングを受けるにも時間がかかった。一種の嫌悪感を持つのは当たり前の事だろう。直接相談できる電話やチャットも充実はしているが、自己申告制である以上、当の本人が利用を拒めばその痛みや苦しみは知られる事がない。

その中で、エンタメはそういう敷居の高さ、間口の狭さなどの福祉の難しさを越えていく可能性を持っているのではないか。音楽もドラマも、その性質上、馴染みやすく皆が嗜む普遍的な存在だ。それ故に、敷居は無いに等しいし、間口もとても広い。だが、その中身を覗けば、自分自身の苦しみや悩みを見える形で代弁してくれるカウンセリングの真似事のような事ができる存在だと私は思う。

そんなエンタメが「福祉」の受け皿になり得る可能性を感じられるのが「図書館」だ。

本がエンタメと言われると、少し違和感があるかもしれないが、作品をもって表現するという意味ではエンタメの一つと言える。

www.sankei.com

「図書館」と言えば、誰もが一度は通ってきているだろう。学生時代に学校の図書館に通い詰めた人もいるかもしれない。そんな「図書館」が、近年、子供の”居場所”として注目されている。

産経新聞で連載されている特集『チーム学校』の10月13日の回(上記リンク)によると、NPO法人学校図書館内で居場所事業を行っており、放課後スタッフが図書館に音楽をかけ生徒を待つのだという。そこでは、何も本を読むだけでなく、トランプをしたりボードゲームをしたりパソコンで動画を見る生徒もいるという。

記事内では「なぜ図書館なのか?」という問いに、NPOのスタッフは「図書館は立ち寄るかどうかも子供自身が決められる場所。本があれば雑談のハードルが下がる」と語っており、私が述べた福祉における「敷居の高さ」という問題を「本」というエンタメが下げている事が分かる。

また記事内では識者のコメントも掲載されており、医療的に子供を考えるのが保健室なら、図書館は「魂の安息を与える居場所」、「生徒は本を読むことで世界を広げ、将来に希望や夢を抱くことができる」としている。

これらの「図書館」や「本」が果たしている役割は、本だけでなく音楽や映画にも通ずる。音楽も聴くことで世界を広げる事ができるし、自身の苦しみや悩みに寄り添ってくれる。

図書館の例では、まだまだ教育の面での活用が重視されており、福祉という面での活用に関しては、まだ認知が低いそうだが、今後もこのような取り組みで一人でも苦しむ学生が減ればいいと思う。

そして、音楽や映画なども図書館の例のように、活用できないだろうか。音楽で言えば、ライブハウスやレコードショップなどがあるが、そこを図書館のように使う事は、ライブハウスのステレオタイプからも、そして公共の施設でもない事からも難しい。

そうであれば、いっそ学校図書館での取り組みを地域の図書館に広げ、音楽や映画などに詳しい臨床心理士やカウンセラーに入ってもらい、一部をカウンセリングルームにするであったり、そういう少しハチャメチャなアイデアがあってもいいかもしれない。

私が考える中で、一番現実的なアイデアは、物理的に居場所を設けるのが難しければ、インターネット上にプラットホームを作るという事。

私のブログは、誰かの苦しさや辛さに寄り添えるような作品を、私が好んで紹介する事が多いのだが、もっと相互的に、「曲を用いてその人の心の内に寄り添う」という仕組みがあればなと思う訳だ。

例えば、「音楽に救われた」など感じている人がそのサービスにアドバイザーとして参加し、曲と共に自身の経験を書き込む。利用者には「孤独が辛い」「自己肯定感が持てない」などの感覚的なワードで検索できるようにする事で、自身の思いを検索欄に打ち込み検索。すると、同じような状況にあった、苦しみを抱えていたアドバイザーのオススメ曲が一覧で表示される。

そして、その音楽を聴いてもらい、共感するところがあれば、アドバイザーの経験談を読み、チャットもする事ができる。チャットは専門機関なり自治体で管理してアドバイザーを支援、そしていずれは、専門機関でもカウンセリングに回すといった流れだ。

まぁ、今書いただけでも、現実的とは言ったものの無理な感じがすごいし、現代ならそんなまどろっこしいプラットホームを作らなくても個々人が自分の心に寄り添ってくれる作品を探し出せる気もする。

だが、必ずしも出会えるとは限らないし、そういう「音楽」や「映画」、「ドラマ」など親しみやすいものが取っ掛かりになり、支援に繋がるなら、より幅広い優しい輪を作れるのではないかと思うのだ。特に福祉の手が届きにくい「なんとなくの生きづらさ」を感じている人たちをすくい上げる事にも繋がりそうだ。

前半で紹介した”音楽療法”でも現在、保険の適用外のサービスだそう。そうとなれば、音楽や映画、ドラマ、本といった娯楽産業はますます無理だろう。

だが、エンタメが私たちに必要なのは間違いない。「生きるのに必死でそんなもの楽しんでいる余裕はない」という意見も分かる。でも、皆がもっと音楽やドラマを身近なものとして、その恩恵を受け、そして産業としても認められていく事を切に願いたい。

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「言葉」で振り返る『おかえりモネ』~一人の少女が痛みの中、見出した優しさの物語~ 2021.11.29

朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』

本ブログでは、連載として記事を投稿してきたが、ちょうど一ヶ月前に、無事最終回を迎えた。前回の『おかえりモネ』の記事から約3ヶ月。まず、楽しみにしてくれていた読者の皆様、記事が投稿できず誠に申し訳なかった。もちろん、その間も記事を投稿していないだけで、ドラマは最終回まで、優しい気持ちになったり、心が痛くなったりと胸を熱くして視聴を続けていた。

当初は、「ドラマを観ていない人にも分かるように」を意識し出来るだけ3週に一度くらいの頻度で更新していたが、今回は最終回を迎えて『おかえりモネ』の視聴者、そしてこの記事を読んで下さっている読者の方々に向けて、総括記事を投稿する事にした。

書きたい思いが溢れて非常に長文になってしまったが、良ければ最後まで読んでもらいたい。今回は劇中で印象的だった”言葉”を中心に構成している。セリフ部分は太字で強調しているので「あのセリフ良かったけど、なんて言ってたっけ?」という人は、辞書的に本記事を使ってもらえればとも思う。

また、「『おかえりモネ』を見ていない」という人も、気になったら少しでも読んで欲しい。このドラマは、全ての悩み苦しむ人、そしてその人のそばでどうしようもできず苦しむ人に「未来」をくれるものだった。必ずあなたの助けになる作品だと確信している。本記事が、そんなあなたと『おかえりモネ』を繋ぐ架け橋になれれば、そんなに嬉しい事はない。それでは、はじめよう。

 

『おかえりモネ』は気象予報士というヒーローになる物語ではない

このドラマの記事を初めて書いた時、冒頭で私はこのように綴っている。

”海” 宮城県気仙沼市の亀島で育った主人公、永浦百音(清原果耶)通称”モネ”が、”森” 宮城県登米市森林組合で勤める中、様々な人々と触れ合いながら、”空”「天気予報士」という夢を見つけ、邁進する物語。

「”天気予報士”じゃなくて”気象予報士”だろうが!」という点には目をつむって欲しいのだが、この導入部分、今ではとても違和感を覚える。

確かに、モネ(清原果耶)は気象予報士になったし、前半部分はその”夢”までの過程を描いていた。だが、最終回を終えて、このドラマの紹介をしてくれと言われると、絶対にこの文章ではないと断言できる。また、序盤の記事を読み返していて他にも引っかかる部分があった。

それは、朝岡(西島秀俊)や菅波(坂口健太郎)が、皆の命を救う”ヒーロー”であり、この物語は、そんな彼らに導かれモネが”ヒーローになっていく物語だというような表現をしている点だ。先ほどの部分は、まだ内容的に相違はないので、違和感も軽微だったのだがこの部分には強烈な違和感を覚えた。

「何言ってんの???このドラマ見てそんな事言えんの???は??」

と割と本気で自分に対して憤りを感じるほどだ。

私も、ドラマを好きで観てきて15年以上になるが、ここまで見始めた頃と印象が変わった作品は初めてだった。しかし、ドラマに対するこの印象の変化は、自然なものなのかもしれない。

なぜなら、この作品は、「役に立つ」事で心の傷を埋めようとしていた主人公が、必要な事は「役に立つ」事ではなく別の方法だと気づき向き合い始める物語だからだ。

そういう意味で、私はモネと同じ思いで考えで、彼女に同期して物語を一緒に生きたとも言える。脚本の安達奈緒子の術中にまんまとハマったとも言える。

「ヒーローを否定する物語」であり、「ヒロインという役割を否定する物語」

このドラマの中で半年間生きた私が感じた、ドラマの本質をいくつかの要素に分けて書き連ねたいと思う。

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”積み重ね”と”繰り返し” 少しずつ進んでいく時間の大切さ

モネをはじめとして妹の未知(蒔田彩珠)、亮(永瀬廉)など劇中では、様々な人の”痛み” ”苦しみ” ”悩み”が描かれた。モネは、3.11の震災の日に、地元にいなかった。皆のために何も出来なかったという思いを抱え、未知も同じく誰かのために生きる事に固執し苦しんでいた。亮は、震災で最愛の母を失い、その傷がずっと残り続けていた。彼ら彼女らの、苦しみは何度も繰り返し描かれた。

モネは、気象予報士になって働く中で、自身がこだわっていた「誰かのために」「役に立つ」に何度も向き合う事になった。亮や未知も同様に、何度も何度も自身の痛みと向き合い、時にはモネや亮、未知がぶつかり合い、傷つけあう事もあった。そうやって、同じことの繰り返しが行われてきたのが一つ、このドラマの特徴だと言えるだろう。視聴者の中には「辛気臭い。また同じことをやってる。」といった声もあった。

だが、心の傷は、そう簡単に癒えない。周りからすればなんてことない事が、その人にとっては重大な問題だったりして、理屈で解決できるような都合の良いものではない。一度受けた心の痛みは、薬を塗れば完治するといったものではなく、時間とともに深くそして広く広がって根深く残っていくものだ。

モネが東京で過ごした下宿先「汐見湯」の大家である菜津(マイコ)の、遠い親戚である”宇田川さん”の存在が、それを印象づけた。宇田川は、モネと明日美(恒松祐里)が住む部屋の隣に住む人物。一度仕事で心が傷つき、以降は部屋に引きこもるようになってしまった。当初、そんな存在だけのキャラクターに「宇田川を演じる俳優は誰だ?」と予想合戦が繰り広げられたが、彼が私たちの前に現れる事はなかった。

モネに絵や激励の言葉を直筆で送るなど、確実にモネたちとの親睦は深まっていたが、それでもあの部屋からは出てこなかった。

彼の存在が、心の傷を負って動けなくなるとはどういう事か、そして心の傷を癒す事の難しさを物語っていただろう。なんとか闇から這い上がろうとするが、また落ちて、それでもまた這い上がっての繰り返し。このドラマの中で、一度のシーンで問題が解決するということはほとんどなかった。心の傷は何度も繰り返される痛みだと私たちに伝えた。

その反面、それでも這い上がる事をやめず、積み重ねる事の大切さもこのドラマは教えてくれた。

第22週において海が荒れる予報をしたモネが、その時、海に出ていた亮に、「早く戻った方がいい」と言って欲しいと漁協の人に掛け合ったことがあった。漁協はモネに対して「地元の勘が一番」と一度は拒むのだが、そんな状況でモネの意見を最終的に受け入れたのは、地元に帰ってすぐ、カキの開口予測を当てたという経験、積み重ねがあったからだ。

モネ、未知、亮のそれぞれが抱える心の傷へ向き合うのは難しい。そして向き合おうとしても、また逆戻り。その繰り返しだ。だが、それでも積み重ねていき、前に進むしかない。

第6週「大人たちの青春」で、菅波は、治療に消極的なある患者にこう言った。

「本心なんてあってないようなもの、人間の気持ちなんてそんなもんです。でもいいんです。”一日でも生きたい” ”もう終わりにしたい”と毎日言ってることが変わっても。固定概念や意地や罪悪感のために、結論を急ぐようなことはやめて、本当に自分がそうしたいと思う方にいつでも進路を変えられるような選択をしませんか?」

これは、菅波が「迷う時間」を肯定している発言だ。朝岡の気象災害への考え方、災害を予測し回避することのできる時間「リードタイム」もそうだ。現代ではつい時間通りに動こうと、時間に追われてしまい、時間の重みを感じることを忘れてしまう。

だが、迷い続ける時間、守るために準備をする時間、そして心の傷と向き合おうと這い上がり、落ちての「繰り返し」をする時間、時間に追われず一つずつ「積み重ね」ていく時間。そんな時間が私たちには必要なのだ。

心の痛みと向き合うには時間が必要だ。劇的な展開よりも「繰り返し」「積み重ね」をドラマの展開として組み込み、そういう時間の大切さを、このドラマは描き切った。

 

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「分からないけど、分かりたい」伝える事。聞く事。考える事。

「時間」の大切さを伝えたが、それはあくまで向き合うには最低限長い「時間」が必要という意味だ。ただただ「時間」をかければ、心の傷が癒えるという訳ではない。先ほども述べたが、這い上がって落ちての繰り返しで、心が疲弊してしまう。

自分自身だけでは自分の身を縛る呪縛からは逃れることは難しい。問題を長期化させると、それが大きなしこりとして残り、他人を寄せつけず、人を傷つけようとする棘を持った殻と化してしまう。作中では未知がそうだったかもしれない。第15週「百音と未知」はとても衝撃的だった。

母方の祖母から「娘の死亡届を出して欲しい」と言われ、荒ぶ父を背に、どうしようもなくなってしまって行方知らずになってしまった亮を巡り、亮を思い続けていた未知の思いが爆発した。序盤から、”お姉ちゃん” ”みーちゃん”と呼び合い仲睦まじい様子だった永浦姉妹だったが、姉と同じく妹の未知も、震災によって植え付けられた苦しみがあった。そして、それが心の内で渦巻き増大していた。

「やっぱモネしか言える相手いないわ」

肝心な時に、亮が頼るのはモネ。自分はあの日もあそこにいたのに、なんで。という気持ちから「ズルい」「なんでお姉ちゃんなの」とモネに掛けていた服を投げつけたシーンは胸が痛くなった。その後、現れた菅波にも「あの2人は昔から通じ合ってるんです」と悪態をついてしまい、視聴者からは、未知へ厳しい言葉が多く寄せられていた。

自分の痛みや苦しみは、なかなか他人には言えず自分の中に閉じ込めてしまう。

だが、そこにそばに寄り添ってくれる人が一人でもいれば違う事をこのドラマは示した。その一人が、モネにとっての菅波だった。

私含め、菅波とモネの将来を案じる視聴者皆が、嬉し泣きをしたであろう第16週「若き者たち」のラストに描かれた菅波とモネのシーン。菅波はその場で、モネにこう告げた。

「あなたの痛みは僕には分かりません。でも分かりたいとは思っています。」

菅波のこの言葉は、『おかえりモネ』を象徴する言葉の一つといっていいだろう。心の傷を持った当事者は、それを心の中に閉じ込める。その痛みを理解する事は本当のところ他人にはできない。第22週「嵐の気仙沼」にて、亮が放った本音。

「お前に何が分かるんだ。ずっとそう思って生きてきたよ!!」

心の傷は、それを受けた本人にしか傷の深さも広さも分からない。どうせ皆には分からない。ならば、自分が周りからの言葉で余計に傷つく必要もない、周りもこんな話を聞く必要はない。だから、自分の中に閉じ込める。

モネも「そこにいなかった」事に苦しみ続けてきた。未知は「逃げてしまった」事に痛みを感じ続けてきた。そのどれもが違う痛みで、誰もが当事者だ。

モネが「地域密着の気象の仕事がしたい」と地元に戻ってきたのも、彼女にとっては菅波の言葉を受け、思いが変わったからなのだが、「なんで帰ってきたの?仕事も順調だし、結婚もぼちぼちする感じだったんでしょ?」と、何も悩みがなく順風満帆かのように菅波がモネに問いかけられたシーンからも、その難しさが分かる。心に傷を持っているからといって理解し合えるわけではない。むしろ傷つけあってしまう。

そう考えると、菅波の言葉はこのドラマの一つの解であり、心の傷を負った者の助けになる唯一の方法かもしれない。「分かりたい」と思う、「聞く」という事でいえば実は、序盤から彼のその考えは一本貫かれている。

第6週「大人たちの青春」において、気象予報士の仕事を選ぶか、森林組合に残るか迷うモネに対しては、「誰かに話すことで考えがまとまるという事はよくある」

第8週「それでも海は」で、亮とその父親、信次(浅野忠信)の助けになりたいと思っていたが、どうすればいいか分からないでいたモネに、「(どういう訳か)さっぱり分からないので、大変不甲斐ないですが、建設的な回答は何一つ出来ません。ただ、回答できない分、聞くことは出来ます。何かありましたか?」と、当時から「分からないけど、聞くことは出来る」の立場でモネに接していた。

自らの苦しみや痛みを話せないのは、それを話す事で、大げさに慰められたり、”甘え”だと一蹴されるかもしれないと感じるから。「他者には自分の痛みは分からない」とどこかで思っているから。でもそれでも「分かって欲しい」と思っている。亮が言っていた「話しても地獄、話さなくても地獄なんだよね」という言葉にもそれは表れている。

最終週「あなたが思う未来へ」では、モネの回想で度々登場しモネの傷跡とも言える「お姉ちゃん津波見てないもんね」という未知の言葉が、「助けて」「聞いて欲しい」という思いの表れだったのだとモネは気づく。第16週でモネにすがる亮も「分かってんでしょ」と半ば強引に迫るシーンがあったが、これも、第22週の「お前に何が分かるんだ」という発言と合わせて見ると、「俺以外には俺に痛みは分からない」という思い、「でも一人で背負うのは辛い。誰かに分かって欲しい」という矛盾した二つの思いがある事が分かるだろう。

「分からないだろうけど分かって欲しい」に寄り添うためには、こちらも「分からないけど分かりたい」という思いをしっかりと持っておかなければならない。ただただ「分かりたい」と思うだけでは、独りよがりな「役に立つ」になってしまう。

第17週「わたしたちに出来ること」では、東京でのモネの同僚気象予報士、神野(今田美桜)が、”説得力”で悩む様子が描かれた。その中で、神野は説得力に必要なのは「経験」であるとし、自分は「本当、ハッピーに生きてきたからなぁ。そこそこチヤホヤもされてきたから」と、自身にその「経験」がない、そして自分のやるべき事が分からない事に苦悩した。だが、そんな神野が出した答え。自分のやるべき事、自分が出来る事が、”考える”事だった。

「何もないなら、何もないなりに考える。世の中にどんな人がいるのか。ものすごく辛い経験をしている人がいるのかもしれない。何か事情があって動けなくなっている人がいるのかもしれない。そんな人が私を見ているんだって一生懸命考える。」

確かに、その人の心の傷や痛みの全部は、その人にしか分からない。もしかすると本人だって「何が辛いのか」分かっていないかもしれない。だけど、少しでもそこに近づきこうと想像する事は誰にでもできる。

「生きてきて何もなかった人なんていないでしょ。何かしらの痛みはあるでしょ。」

これは第16週で同僚の気象予報士内田(清水尋也)がボソッと口にした言葉だが、痛みの大きさ、種類は違えど、皆”痛い”って感触を知っているはず。だから、想像すること自体はできる。何もないように見える人だって、亮や未知、モネのように笑って隠してるかもしれないし、痛みを感じながら、それでもそれを何かで麻痺させて、痛みを感じないようにして生きているかもしれない。言えないだけ。言いたくないだけ。言わないだけ。

だから、そんな人の前で出来る事は、アドバイスをするのではなく、ただそばでその人の思いを聞くこと、「分かりたい」という姿勢を示すことなのだ。その人の痛みを想像力をフルに活用して受け止める事なのだ。

 

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それ故に、伝える事も大事になる。気象予報士になるために、菅波がモネに勉強を教えていた時も「まずは雨が降る仕組み、空気が冷やされると水や氷が表れる。その一つの事だけを考えるようにしましょう。他の事は考えないでおきましょう。」と伝えており、「伝える」という面はその時から意識されていた。飽和水蒸気量を理解できないモネに、実際コップに氷を入れ、溶けて水滴がつく様子を見せ「実践的な理解」を促した。

これは、第18週「伝えたい守りたい」において大型台風が近づいた際に、モネが、この少し先の未来に起こる事をできるだけ具体的に想像できるように伝えるという場面に繋がっていた。当事者は、伝わらないものだとしても「伝える」努力を。非当事者は、分からないものだとしても「分かろうとする」努力を。

「伝える事」「聞く事」「考える事」ができれば、心の傷をやわらげる事が出来るかもしれない。だが、それは難しい事だ。だって面倒くさい。だって「分からないものは怖い

だから、皆それをしない。関わる全ての人間にそれが出来ればいいが、それもできない。でも少しでも、「分かりたい」と思う人がいるなら、そうやって寄り添う事がその人を救う事になる。

「誰かのため」の役割からの解放。自分の「したい」で選ぶ。

モネは、3.11のあの日から「役に立つ」事に固執してきた。「役に立つ」とは「誰かのためになることでもある。だが「誰かのために」生きるという事は、時に自分の首を絞める。なぜなら自分より相手を優先するという事でもあるからだ。

モネが「役に立つ」に縛られたあの日、一人で心細いながら祖母、雅代(竹下景子)を連れて避難してきたと思っていた未知も、最終週、実は祖母をおいて逃げており、彼女もそんな罪悪感のために「役に立つ」に縛られていた。劇中では、様々なものが登場人物を縛りつけた。

”場所”

”地元”から逃げた(離れた)モネ、”地元”から離れられなくなった未知。

”イエ”

家業であるカキの養殖業を継がなかったモネの父、耕治(内野聖陽)。代々伝わる寺の住職を継がないつもりでいたモネの幼馴染、三生(前田航基)

”親”

震災で亡くした母の面影に、そしてその母を忘れられず大好きだった船に乗れなくなってアルコール依存症になった父、信次のために動く亮

”性別”

”女”である事で、キャスターとしてやりづらさを感じていたテレビ局の高村(高岡早紀)

”慣例”

「上からなじられて成長する」やり方が当たり前の時代に生きた朝岡と高村

”守ろうとした人”

自分の勝手な思いで、誤った判断をし、患者の将来を黒く塗ってしまった菅波、震災の際、担任をしていた小学校の子供たちより、自分の子供を優先しようとした母、亜哉子(鈴木京香)

人は誰しも、何かに縛られている。このドラマでは、皆が何かしらに縛られていた。そんな印象が強い。そういった鎖は枷は、傷をそのままにするだけでなく、その心を束縛することで、さらに心に傷を与え続ける。

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この作品の印象的なセリフの一つだったと言える「あなたのおかげで助かりましたっていうあの言葉は麻薬です」この言葉が端的に、モネを縛る「役に立つ」の正体を表していた。

「気持ちいいでしょ?単純に。全ての不安や疲れが吹き飛ぶ。自分が誰かの役に立った。自分には価値がある。そう思わせてくれる。自分は無力かもしれないと思っている人間にとってこれ以上の快楽はない。脳が言われた時の幸福を強烈に覚えてしまう。麻薬以外の何物でもない。そして”また言われたい”と突っ走ってしまう。その結果、周りが見えなくなる。行きつく先は全部自分のためだ」

菅波は、その言葉を第12週「あなたのおかげで」でこう説明していたが、”麻薬”である一方で、呪縛でもある事を表していた。自分を顧みず「誰かのため」に「役に立とう」とすれば、行きつく先は「自分のため」それは「役に立っている」という快楽であり、一度はまってしまえば、永遠にそのループから抜け出せず、永遠に「自分のため」に生きられなくなってしまう事を示している。

それは逆説的に、「自分のため」に生きられなければ、「自分の意思で」選択しなければ、「誰かのために」なれないという事だ。

未知や亮を見れば、それは一目瞭然だろう。未知はモネや周りの人の前で「優秀な妹」を演じ続け、中盤にかけては特に、思いを寄せる「亮のための存在」としての役割に縛られていた。そして、「祖母を置いて逃げた」事が、「誰かが残らなきゃ」と彼女に「地元に貢献するいい子」を強いた。

亮も、「ずっと笑顔な地元のアイドル」を演じ、中盤以降は「父のための存在」、「父そのもの」の役割を担おうと一人で苦しんできた。(アイドルである永瀬が「ずっと笑顔のアイドル」の役割を強いられる役を演じるという点、偶然だろうが、最も痛みが響いた良いキャスティングだと感じた) ”自ら”が”自分の”船を買うのにも関わらず、第22週で亮は「親父が好きそうな型だから手に入れたいんです」という笑顔で口にしている。これも、亮がどれだけ自分よりも父を、家族を優先しようとしてきたかが分かるのではないだろうか。

彼女たちの選択は全て何かに強いられたものだった。そのどれもが、自分が「したい」と思ってした選択ではなかったのだ。

どれだけ時間がかかっても、そうやって縛られた故の行動ではなく、自ら選び取る事の大切さを描いたのも、このドラマの際立ったところであった。

実家の寺を継ぐ気はなかった三生も、地元の人の笑顔が見たくて「やりたい」と結局、住職になった。家業のカキの仕事が嫌で、都会の仕事である”銀行マン”になった耕治も、家業の、そして父である龍己の存在の大きさに気づき「なくしたくない」と、困難が待っているのにも関わらず、結局、海の仕事を選んだ。

そして、モネも、東京に行き、自分の性に合わない”お天気お姉さん”を勧められた際に、自分でその仕事を選んだ。モネがその準備をする中で、少し弱気になる部分では、野坂に「自分で決めたんでしょ?」のような言葉をかけられていた(ここのセリフは少し記憶が曖昧だ。申し訳ない。)

また、気仙沼で自身の描く「全国津々浦々の気象予報士」のプロジェクトに取り組む中、自然に対し自身が無力である事、そしてそれ故に、頼ってくれた人にも何もできなかったと弱気になるシーンでも、相談を受けた菅波が「自分で選んだんでしょう?」と声をかけており、「こうありたい」「こうしたい」という自身の思いで、自ら選ぶ重要性を視聴者に訴えかけた。

「ずいぶん、遠回りするよね。今から漁師って。」未知のその言葉、皆が思う事だ。だけど、それに対し亜哉子は

「やりたいことは変わってもいいし、いつ始めてもいい」と幸せそうにつぶやくのだ。

その言葉を受けて最終週でモネも「一度なんかを諦めたり、またやってみたり、みんなそういうのでいいんだなって」と言っている。

時間がかかってもいい、途中からやり始めてもいい、途中でやめてもいい。だから自分の「やりたい事」「したい事」をしなさい。

背負った傷は、消えない。過去も消えない。でも、その傷を自分の中心に「アイデンティティ」にしてはいけない。その傷が残り続けたとしても、その傷を理由に選択を続ける限り、その傷は痛み続ける。何かうまくいかないことがあった時に「私のせいじゃない。私がしたくて選んだんじゃない」と言い訳にしてしまう事だってあるかもしれない。

哲学者のモンテーニュが述べた言葉に「自分を他人に貸し出す事は必要だが、自分だけにしか自分を与えてはならぬ」という言葉がある。この言葉の通り、自分を一時的に「他者のため」に貸してもいいが、「自分」自身は自分以外のものに与えてはならない。「誰かのため」に自分自身を手放す、他者に受け渡すことに慣れてしまえば、いつの間にか「自分で選ぶ」事が出来なくなってしまう。

だからこそ、「自分」が「したい」と思う選択をする事、それが「自分」の存在を自分で保持することであり、「他者のため」に「役に立とう」とした者が呪縛から逃れるための方法なのだ。

意味なんかいらない。役に立たなくていい。「ただ、そこにいる」

冒頭に私が過去記事で「ヒーローになる物語」に強烈な違和感を覚えたと述べたが、その違和感の正体に当たるのがこの部分だ。

このドラマは、モネが「役に立ちたい」と気象予報士を目指す。そんな一辺倒な話ではなかった。それはここまで述べてきた内容からも分かると思う。「役に立つ」は、聞き心地の良い言葉だが、このドラマにおいて、その正体は彼女の心の傷そのものだった。

彼女の心の傷、というかここまで具体的に挙げてきた未知や亮にも言える事だが、「こうあって欲しいのに、できなかった(できない)」「だから、私がやらなければならない。私が苦しい思いをしてでも」という考えから来る考え、それが「役に立つ」という形で表象されたのであろう。出来なかった故に、傷つけてしまったという痛みが「役に立てなかった」となり、「役に立たなければならない」と彼女たちの心を縛り続けたのだ。

それは、モネが「役に立つ」事に邁進すれば邁進するほど、その傷はモネの心の奥深くに広がって、「自分」を傷つけ続ける。

「ヒーローになる物語」とこの物語を称するのは、ヒロインを美化し憧れの的として捉え、モネ自身が自らを傷つけることを助長する事になる。それ故に、最終回を終えた私は激しい違和感を覚えたのだ。

序盤、「役に立つ」方法を探していたモネに、サヤカがこう言ったのを覚えているだろうか。

「死ぬまで、いや、死んだあとも、何の役にも立たなくったっていいのよ」

この時は、「役に立つ」事には、感謝だけでなく、責任も求められるから「別に役に立たなくてもいいんじゃない」という軽微な意味で捉えていた。だが、先ほどの「役に立つ」という言葉の意味を考えれば、モネの痛みを感じ取ったサヤカなりの言葉だったのではないだろうか。

「役に立つ」の否定。それは、モネの心の痛み、もしくは呪縛を和らげ、解くという意味でもある。物語が進むにつれ、サヤカのこの言葉はさらに様々な人の、様々な言葉でモネに訴えかけられ続ける。

”想像力”という観点で前述した第17週「わたしたちに出来ること」において、神野は当初、”説得力”には「経験」が必要だと考えていた。そして隣にいたモネを見て「傷ついた経験がある人は強い」と言うのだが、そこでいつもは温和な菜津が声を強くしてこう言ったのだ。

「傷ついている人の方が強いなんて、そんな...そういう事は言っちゃダメ。傷ついて良い事なんてなんてない。傷ついて本当に動けなくなってしまう人もいるから。神野さんが心からハッピーに生きてこれたならそれは素晴らしい事。神野さんがそういう力を持った人だったんだし、周りの人も素敵な人だったんだと思う。人は傷つく必要なんてない。絶対にない。何も無くてもいいじゃない。どんな人もいるだけでいいじゃない。そこにてくれるだけで。神野さんもモネちゃんも私から見たら十分すごい。でも、そういうところにいない人もいるって時々思い出してくれるといいな。」

筆者自身もこのセリフが、菜津から語られた時には、とても驚いた。いつもは温和な彼女が、強い語気、そして強い言葉で神野の言葉を否定したからだ。

”苦労”を美徳とする文化は、日本では根強い。「若い時の苦労は買ってでもせよ」なんてことわざもあるくらいだ。だが、「傷ついていない人は、他者の心の痛みが分からない」「傷ついた経験を持っているから、人の心に寄り添える」これらの言葉は正しいだろうか?

その答えはNOだ。傷ついた事があるかを人間性の裏付けにしてはならない。モネは神野から「傷ついた経験がある人は強い」と言われて、笑って受け流していた。だが、それはダメだと、菜津は言ったのだ。

自らの心の痛みを無視し、「役に立つ」事に進むことは、自らの心の痛みをどこかで正当化する事でもある。だが、それではその「痛み」はずっと奥底で残り続ける。

「傷ついても役に立てればいい」

その論理は、自分で自分に麻酔を打ち、無理やり生きていくようなものだ。傷ついた経験を簡単に美化してはいけない。それで得たものがあったとしても。そんな事経験しない方がいいに決まっているのだ。「あの経験は無駄じゃなかった」なんて言ってはダメなのだ。辛い時は”辛い”、痛いときは”痛い”、苦しい時は”苦しい”とありのまま言える自分でいていい。そうなくてはいけない。サヤカが「役に立つ」の否定という形だとすれば、菜津がモネに伝えたのは、その先にある「そこにいるだけでいい」「ありのままでいい」という事だった。

物語後半、菅波は、自身の心の痛みであった元プロホルン奏者の宮田(石井正則)とばったり遭遇する。宮田は、菅波が研修医時代、助手として担当していた患者の一人で、手術を早期にすべきか、化学療法でゆっくりと治療するかの判断を迫られた際、宮田にとって大事な演奏会が近くあるということで、気になる所見が見られたが早期の治療を主治医に助言しその通り進めた。

だが結局、宮田がその演奏会に出る事はなく、プロホルン演奏者として再び活躍する事はなかった。菅波はその時の判断をずっと悔やみ、モネに出会うまでは、「患者には深入りしない」という考えを貫いていた。

そんな彼は、現在、ボイラー整備士として働いていた。当時は菅波に対して怒りの感情もあったというが、彼は、楽器の手入れをするようにボイラーを修理しながら「今の仕事すごく好きなんですよ」という言葉に続いて菅波にこう言った。

「”今、私は生きている”それが大事なんだ。」

やるせない何かがあっても、生きがいだったものを失う事になっても、「ただ、そこにいる」それだけあれば、十分なのだ。生きていて、そこにいるだけですごいことなのだ。菜津の言葉とも、そしてサヤカの言葉とも繋がって見えてくる。

そして、「ただ、そこにいるだけでいい」というメッセージは、モネの同級生の言葉からも私たちに伝えられた。

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第16週「若き者たち」で、行方不明になっていた亮がモネと無事に戻った後、三生と悠人(髙田彪我)が仙台から駆け付け、モネと明日美、未知、亮といった”地元の幼馴染”勢ぞろいで話をするシーン。このシーンは「ファン感謝祭in気仙沼」にてファンが選ぶ好きなシーン第一位にも輝いた。

震災以降、亮の事を含めた震災の事について話さずに避けていた幼馴染が、この場面をきっかけにその心の傷に向き合うとても印象的な場面なのだが、そこで三生が呟いた言葉に「ただ、そこにいるだけでいい」というメッセージが込められていた。

このシーン冒頭で、幼馴染たちが、昔UFOを呼ぶといった遊びをしていた事が、思い出話として語られる。その中で「でも、もうUFOは来ない」と亮が呟く。

震災の日以降、家族を失った者と、そうでない者。つまり亮とそれ以外の皆の間には壁が出来てしまっていた。それまで”地元の幼馴染”として皆が同じ気持ちで、同じものを経験し共有してきた彼らにとって、あの日は、その共同性を失う一日になっていた。

”UFOの話”はその比喩として作用している。震災前までは、皆が手を繋ぎ心を一つにすれば何だってできたし、何だって乗り越えられた。そうUFOだって呼べたのだ。

だが、震災後は心に壁が出来て、手を繋げなくなった。物理的にも、地元から離れた人もいて、手を繋げなくなった。そして、互いの思いの内を打ち明ける事を拒み、それを感じる事もできない。地元で働く人もいれば、その選択をしなかった人もいて、心はもう一つにはならない。だからもう何も乗り越えられない。UFOは来ない。

震災以降、そして大人になって、「皆で何でもやれる」という絶対的な気持ちや確信がなくなったという失望を”UFOが来ない”事が表している。

だが、それに反論したのが、三生だった。

「皆バラバラなとこいたってこれからもUFO呼べんだよ。信じてるよ。手なんか繋がなくたっていい。心を一つになんかしなくたっていい。俺らはUFOだってなんだって呼べんだよ。」

彼のこの言葉は、前述したサヤカ、菜津の言葉と共通して『おかえりモネ』の中で一番大事に伝えられたメッセージだったように思う。

震災以前に彼ら幼馴染を繋いでいたのはいわゆる「絆」だと思う。”手を繋ぐ”であったり、”心を一つにする”という言葉にもそれが表れている。だが、三生は言うのだ。”手なんか繋がなくていい” "心を一つにしなくていい”と。これは、ある種、「絆」の否定ではないだろうか。

サヤカの言った言葉が「役に立たなくてもいい」、菜津の言った言葉が「そこにいるだけでいい」と形容されるなら、この三生の言葉は「意味や理由なんかなくていい」だと思う。

「絆」という言葉は、とても良い言葉として使われ、悪い印象を受ける人は少ないだろう。実際、「絆」というものは素敵なものだし、強いものだと私もそう思う。だが、その一方で「絆」という形を美化するあまり、無理やりその枠組みを強制したり、「それがないから生きづらいんだろ」といった的外れで、生きづらさを持つ人を余計に苦しめる考えに発展する事もある。

だからこそ、三生のこの言葉が意味するのは「生きづらさを解消し、心の傷を癒す方法は「絆」だけではない。」という、「絆」で救われない、むしろ「絆」が美化される世界だからこそ、生きづらさを覚えてしまっている人々への、これ以上ないメッセージだったのではないだろうか。

そういう意味で、この三生の言葉は抽象的ではあるが、この物語の心の痛みへの向き合い方を非常によく表していた。

「遠くにいるから」「しばらく話してないから」「向こうは忙しいから」「きっと幸せにしてるだろうし邪魔しちゃいけないから」「あの頃とは変わったから」

そんな全ての「意味」を否定し、「話したいんでしょ?」「聞いてあげたいんでしょ」と問いかけてくれる。

「友達」「家族」「同級生」「同僚」

そんな肩書きを全部否定して、「聞いてくれる人なんでしょ?」「話したいと思える人なんでしょ?」と言ってくれる。

『おかえりモネ』に根底に流れる思いやりは、「役に立つ」「助け合う」などの様々な意味や理由を無視し、「そこにいるだけでいい」「そばにいるだけでいい」と肯定してくれる、とても揺るぎない確固たるものだった。

不条理な現実に立ち向かう術は「綺麗事を信じる事」

さて、ここまで私がこのドラマから感じた事を書き出してきたが、「そんなの綺麗事だ」そう放送中つぶやく人もいた。私のここまでの解釈も「そんなの絵空事だ」とやじられるのかもしれない。確かに、これはドラマだ。所詮は”作り物”であり、”理想”であり、”綺麗事”だ。それは間違いない。だが、このドラマはそうやってフィクションの外から、モネたちを覗いていた私たちをも巻き込んで、心に寄り添った。

ここまで、メインテーマである”気象予報”に触れてこなかったが、このドラマにおける気象は綺麗事の真逆にある不条理な”現実”として幾度もなく描かれた。モネの心の傷になった東日本大震災を始めとして、台風や大雨。ドラマの中では様々な災害が起こる。気象災害は、突然、我々に牙をむき大切なものを無慈悲に奪っていく。朝岡も「私たち(気象予報士)の力を過信してはいけない。(中略) 不確かな未来を自分たちの思うように操作できる訳ではない」と言うように、災害の前に私たちは何もできない。

そして、そんな災害に限らず、どうしようもない、どうにもならない不条理な”現実”は私たちの日常に溢れている。「そんなのはドラマだ。綺麗事だ。」と”作り物”を見て、口にする人たちの意見も分かる。決してそううまくはいかない。なのになぜ、そんな絵空事を見せるのかと。無駄に希望を抱かせるのかと。

当然、”綺麗事”だけではうまくいかない。モネも、自らが実現させたかった「気象予報士津々浦々計画」を実行に移す際、「ビジネスとして結果を出さなければならない」という”現実”を突き付けられた上に、地元の農家の人の力にもなれず、思うようにはいかなかった。ドラマの中でそうであるならば、現実はもっと悲惨でどうにもならないのかもしれない。

だが、このドラマが私たちに見せたのはただの「綺麗事」でもなければ、「”綺麗事”は無力だ」という事でもない。”綺麗事”を「信じる」事が生み出す力、それこそが希望なのだという事だ。

キャスターが内田に代わり自分は無力だと自信喪失していた神野に対し高村は、

「仕事に優劣つけてるなら失礼よ。それから、自分で自分をおとしめるのもやめないさい。”私みたいなのは”なんて言っちゃダメ。誰よりも自分が、あなた自身が実力で勝負できるって信じなさい。信じられるようになりなさい。」

と神野に叱咤激励の言葉を与えるのだが、この言葉は「女性だから」という理由で選択を強いてきた不条理な”現実”の中で生きてきた高村が、出した一つの結論だと感じる。

どんな不条理が襲ってきたとしても、自分を信じろ。自分の思いを、信じろ。綺麗事を信じ抜け。そんな風に聞こえる。

”綺麗事”といえば、モネが地元に帰ってきた時、モネの「どうしてもこっちに帰ってきたかった」という言葉に当てられた亮の「地元のために働きたかった?綺麗事にしか聞こえないわ」という言葉が印象的だろう。それはまさに、不条理な現実の前に絶望した亮だからこその言葉だったように思える。

そんな亮が海の上で立ち往生して帰って来れなくなった第22週。不条理な”現実”を表現する言葉としてこの項で、最初に取り上げた朝岡の言葉は、この時、大事な人を奪われてしまうという恐怖の中で、パニックになるモネに言った言葉だったのだが、あの言葉には続きがあった。

「祈るしかできないという経験を私たちは何度もしています」

そう。不条理な現実に対して私たちが取れる行動は、「助かれば良い」「良くなればいい」「皆が幸せであればいい」と自身の願望、綺麗事を信じ、祈る事しかないのだ。「それしかできない」という後ろ向きな考え方もできるが、裏を返せばそれはできる。

大きい台風のあおりで被害を受けたモネの実家。「何もできなかった」ともう言いたくないと橋を渡って来たモネが見たのは、被害をものともせず、笑って皆で協力し復旧活動に勤しむ家族や地元の人たちの姿だった。それを見て”強いね”と口にしたモネに祖父、龍己(藤竜也)はこう言った。

「強いんじゃねえんだよ。何つうかな...しぶといんだな」

強いのではなく、しぶとい。その言葉にあるように、不条理な現実に何もできなくとも、無力だとしても、綺麗事を信じる事しかできなくとも、それを諦めない。信じ続ける事、それが一番の力になる。それが”しぶとい”ということではないだろうか。

「綺麗事」を捨てれば、世界は今よりもっと窮屈で暗くなる。「暗黙の了解」「建前」「正論」に支配されてしまう。だから、世界を少しでも優しく温かく良くするには「綺麗事」を信じる事しかない。「綺麗事」自体に意味があるのではなく、現実も全て受け止めて「綺麗事」を信じる事が大事。それが強さになるのだ。そして、それは不条理な現実に対する唯一の対抗手段なのだと、このドラマは教えてくれたのだと思う。

モネが進む”未来”

ここまで様々な視点から作品を見てきた。自らの、そして他者の心の痛みに、心に寄り添うにはどうすればいいのかを描き続けてきたのが『おかえりモネ』という作品だったと思う。物語終盤、モネは、これらの視点をもって自らの心の痛みに向き合い、前に進んでいく。

第19週「島へ」にて、「何もできなかった」と再び後悔しないために、島へ帰ったモネが、台風被害に遭いながら笑顔で復興作業をする地元の人々を見て呟いたのは、こんな言葉だった。

「自然を前に為す術がない時でも、明るく前を向こうとする姿に「あぁ...すごいな...こういう皆と一緒に生きていきたい」そう思いました。”役に立ちたい”って気持ちは変わらずあります。でもそれ以上に「そばにいたい」と素直に思えた。」

これまで、震災の経験で「役に立たなければいけない」と、形骸化した「役に立つ」に固執していた彼女が「そばにいたい。だから役に立ちたい」としっかりとした自分の”選択”として、自らの思いを告白したのはとても印象的だった。

何度も紹介している第20週の、地元に戻って来たモネが亮に「そんなの綺麗事だ」と言われるシーン。実はその後、モネはニヤリとしながらこう呟いている。

「自分がいなかった時間を埋めるのはしんどいけど案外面白い」

これまで、震災のあの日「自分がいなかった」ことを重く受け止めていたモネ。その事が彼女と幼馴染との壁になってしまっていた。そんな彼女が、いなかった事で出来た空白を肯定的に「案外面白い」と捉えていたのは、放送当時とても驚いた。周りと違う経験、思いがつくった空白、違いは大きなものだ。それと向き合ってこれから先を積み上げるようとするのは並大抵の事ではない。だが、彼女はその中に、面白さを見出していた。

物語序盤から「役に立つ」に拘って、自分よりも他者を優先するが故に自分で自分を苦しめてきたモネが、徐々に活路を見出した終盤。その中でも特に私自身が「もう大丈夫だな」と思ったシーンがあった。それはあかり(伊東蒼)、水野(茅島みずき)とのシーンだ。

あかりが登場したのは、第21週「胸に秘めた思い」モネの職場である「はまらいん気仙沼」のスタジオ兼オフィスにふらっと現れた彼女。制服に赤いマフラーを巻いており、その風貌はかつてのモネを思わせた。何よりも、かつてのモネと同じように何かに悩んでいるようだった。そんな彼女に声をかけたモネは、あかりとこんなやり取りをする。

あかり「どうして気象予報士になろうと思ったんですか?」

モネ「誰かの役に立ちたいと思ったから」

あかり「なんか”綺麗事”っぽい」

モネ「あなたの言う事は正しいと思う」

中学生であるあかりに対しても、子ども扱いせず誠実に話をするモネに素敵だなと思ったシーンでもあったが、亮にも言われた”綺麗事”という言葉がここで彼女から再び飛び出した。その時と同様、モネは「綺麗事だ」という彼女の意見を否定せず、しっかりと受け止めた。相手の意見を否定せずとにかく「聞く」、そしてその上でモネ自身の「綺麗事」だとしてもそれを貫くという態度が見え、彼女の成長が垣間見えたシーンだった。

その後、あかりが、モネの母亜哉子が教師をしていた時の教え子だと判明。”先生”に会いたいというあかりの願いに応え、モネは母を会わせる。そしてあかりは自身の悩みを亜哉子に吐露した。

あかりは、元々、気仙沼に住んでいたが親の仕事の都合で引っ越していた。だが、その後また気仙沼に戻ることになった。向こうで出来た友達と離れたくはなく、本当は戻りたくなかった。だが、気仙沼も嫌いなわけではなくむしろ好きで、親が喜んでいるのを見ると「ずっと言い出せなかった」とその胸中を明かした。

この点は、第16週で苦しむ亮のことを案じる幼馴染の会話で出てきた明日美の「漁師なんかやめて仙台でも東京でも来ちゃえばいいじゃん。何で地元で頑張ってるからえらいみたいになる?そういう空気があるからりょーちん辛くなってんじゃん。」という言葉に、「決めつけないで。辛い事あるかもしれないけど、そこだけで辛くなってるとか決めつけないで。」と返した未知の胸中が重なるようだった。「辛い」「やめたい」「戻りたくない」そう言ってしまえば、全てがマイナスだったのだと相手に思われてしまう。でもそうではない。楽しいこともあったし、好きなところもある。その微妙な心の内が正確に伝わらないもどかしさと、好きなもの楽しいものまでが否定されてしまう苦しみが生まれてしまうかもしれないと思い、簡単に悩みを言い出せないのだと改めて感じさせられる。

亜哉子は一つ一つそんなあかりの思いを受け止め、彼女は一つ心の詰まりが取れたようだった。そして「また家に遊びに来て」と言うモネに彼女は「助けてもらってばっかりで悪い」と呟く。それに対してモネが返した言葉を聞いて、私はそんなモネに涙した。

「違うよ?あかりちゃんを助けてるようで、こっちも助けてもらってるから。いや、それにね?もし助けてもらってばっかりだったとしても、”それはそれでいい”っていう世の中の方が、いいんじゃないかな。」

「助けてもらったから返さなくちゃ」なんて思わなくていい。助けられるときに自分の出来る分だけその人にしてあげればいい。「役に立つ」事に固執しなくとも、自分が「したい」と思ってする行動が、積み重なっていけば、結果的にそれがその人のためになる。そして、それが巡っていく。サヤカや菜津の言葉を受けて、自分のありのままの姿であかりに笑いかける彼女の姿は、とても穏やかでそれでいて強く見えた。そしてこの言葉からは、かつて、気象の仕事に関わる中で出会った車いすラソンの選手、鮫島(菅原小春)がモネに説いた言葉が思い出される。

「私が100%自分のために頑張ってることが、巡り巡ってどこかの誰かをちょこっとだけでも元気づけられてたら、それはそれで幸せやなと思う。自分が自分のためにと一生懸命やってる事が、誰かのためになったらそれが一番いい」

この言葉を聞いた時、このドラマの”ゴール”のようなものをこの言葉に感じていたが、終えてみると、モネがこの言葉を、考えを自らの心でで受け入れ言葉にするまでがゴールだったのだと、あかりちゃんに呟いた言葉を聞いて感じた。助けて貰う事に、申し訳なさを、罪悪感を覚える世界なんておかしい。それが”現実”なのだとしたら、「助けて貰ってばかりでもいい」が””綺麗事”だとしても、「それでも」私はそれを願い続ける。そんなモネの覚悟も感じられた。

水野は第20週から登場した東京から気仙沼に来ていた大学生。気仙沼で何か自分にできることはないか、役に立てないかと来ていた彼女だったが、「外から来た自分に何が出来るの?」と一度、東京に戻っていた。そんな彼女が再び、気仙沼に来た際、その悩みにモネはこんな言葉をかけた。

「それはもういいんだと思う。また会えてすごく嬉しい。”何が出来る”とかじゃなくて、水野さんが、短い時間でもまたここに来てくれたことが大事だし、もうそれだけでいいんだなって」

この言葉で、水野は安堵の顔を浮かべるのだが、この言葉もまるでサヤカがモネに説いた「死ぬまで死んでからも役に立たなくていい」という言葉、そして菜津の「そこにいるだけでいい」という言葉を踏襲した言葉だ。モネの言葉として「意味なんて」「役割なんて」いらない、「そこにいるだけでいい」という考えが聞けたのは、やはり嬉しいし、安心した。そういう意味で、あかりと水野とのシーンはモネ自身が「あの日」抱えた傷を受け入れ、前に進み始めた事を印象付けるシーンになっていたと言えるのではないか。

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モネと進む”未来”

この物語においてモネに欠かせない人と言えば誰だろう。まず確実に最初に出るのは菅波だと思う。気象の仕事の中で、幼馴染の中で、様々な経験の中で、心の傷と向き合い前を向いて歩き始めた彼女だが、菅波との二人の空間で醸成されたモノも大きかった。中でも印象的なシーンは前述もしたが、第16週ラストのシーンであろう。ずっと微妙な距離感を保っていた二人だったが、このシーンで菅波が動く。

これまで他者、特に何か事情を抱えた人に対して「深く踏み込まない」ようにしてきた彼だったが、そんな彼がわざわざモネに会いに来る。そして、「あなたがずっと、抱えてきた事を、僕が正確に理解して受け止められるとは思えない。ただ、あなたに出会って、自分が少し変わったと思っています。今なら少しは受け止められる、いや受け止めたい。」とモネに告げる。思わぬ言葉にモネは、動揺してそのまま帰ろうとする菅波を「あ、待って」と引き止める。

この時点で、菅波が自ら選択して「受け止めたい」という姿勢でいる事が、モネにとっては驚きであり、同時に「この人の胸に飛び込みたい」「頼りたい」という思いと、「それはダメだ」という思いが錯綜した状態だった。ここまでの関係性と、受け止めたいと心のドアを開けてくれている人がいれば、迷わず飛び込んでしまいそうだが、モネの場合そうはいかない。なぜなら、直前に亮にすがられたモネは「これは違う。私はりょーちんのことを”かわいそう”とか絶対に思いたくない」「これで救われる?」と、亮に対して心の扉を開かなかった事が自分では正しいと思っていてもどこかで引っかかっていたからだ。

そんなモネに菅波は、自身が大学病院を離れ、登米の診療所に専念する事を告げる。それに対してモネは亮の声に応えられずに、自分だけ「先生が目の前からいなくなるのが嫌だ」と思っている自分に呵責を覚え、一度掴んだ菅波の手を離す。

だが、そこで菅波はモネの手を掴み抱き寄せる。文字ではなかなかうまくここの空気感を表せないのだが、何が言いたいかと言うと、ここで菅波がモネに対し「受け止めたい」という姿勢を見せ、そこに頼る事にすら迷い拒んでしまう彼女を強引に引っ張った事が、モネの心の傷に向き合う第一歩になったという事だ。

彼女が、亮の助けを拒んだ事は正しい。「これは本当の思い合いではない」「ただの依存だ」そう思ったからだろう。何より彼女が本当の意味で「そうしたい」と思えなかったから。だが、モネは不条理に傷つけられた亮の心の傷に寄り添いたいとずっと考えていたし、そんな彼のために「何でもする」と思ってきた。それ故に苦しかったのだ。自分だけ「わがままじゃないか」と。

だが、見方を変えればモネはずっとそんな亮の「亡き母」の役割をずっと担わされてきたとも言える。自分の意思よりも、「役に立たなければならない」という思いが優先される。そんな状態だった。

だからこそ、菅波自身が「この人のそばにいたい」と思い、無理やりにでもモネを”役割”から解放した事は、モネにとっては救いであり、向き合うために欠かせないものだったのだ。役割から解放されたモネが翌週、第17週で仕事が忙しくなかなか会えず「寂しかった」という感情をあらわにして、菅波の胸に飛び込んだところまでをセットにして見ても、やはり菅波光太朗という人物との出会いが、彼女が前に進むためには必要だったのだと思わされ、ただの”恋愛関係”には収まらない強い繋がりを感じさせる。

菅波の次に、モネに関わりがある人物と言えば、こちらも皆が口をそろえて答えるのではないだろうか。多分、未知と亮ではないか。

モネ、未知、亮はそれぞれ同じであって違う。 皆、心に傷を持っているが、震災のあの日からそれぞれが異なる痛みを抱えてきた。この物語の中でも特筆すべき三人だった。モネは自ら、心の痛みを抱えながら、いや自らのその痛み自体が、彼女たちの「役に立ちたい」「救いたい」というものであったため、ずっと苦しみながらも彼女たちに接してきた。未知には「何でも頼れる姉」であろうとした。亮には「亡き母の代わり」の役割を知らず知らずで担っていた。だが、菅波によってその役割から解放されたモネが、彼女たちの役割からの解放を助けたのが、度々話題に出してきた第22週「嵐の気仙沼」、海で遭難していた亮が無事戻り未知と話すシーンだ。

亮は帰って来て「大丈夫だから」といつもの様に未知に違和感を感じるほどの笑顔を見せる。そして「もう縛られなくていい」「俺といてもしんどいだけ」と彼女を突き放す。亮と未知の関係性は、終盤までモネと菅波の二人とどこか対照的に描かれてきた。何を聞いても「大丈夫だから」で終始してしまう未知と亮に対して、モネと菅波は「助けて下さい」「助けます」を言い合い、モネが「”助けて下さい”って言ってもらえる事って幸せな事なんですね」と口にするほどの、まさに「助けて貰ってばっかりでも”それはそれでいい”」を体現する関係性だった。

モネは、未知が「大丈夫」と言われるたびに辛くなっている事、そして亮は「未知を思って」行動しているのに、彼女を傷つけてしまっている事を一人目の前にしていた「二人ともお互いに”大事だ”って言い合っているのになんで?」それ故に、彼女はかつて菅波が強引に彼女の手を引いたように、間に入っていった。

モネ「りょーちんに”大丈夫”って言われるたびに、私もみーちゃんも少しずつ傷ついてきた。でもそう言わせてきたのは私たちだし、りょーちんはそういい続けるしかなかったよね。りょーちん、もう笑わなくていいよ。」

亮「お前に何が分かる?そう思ってきたよずっと。俺以外の全員に!!」

モネ「私には分かんない。それでも一緒に生きていきたいってそばを離れなかった人がいる。りょーちんを絶対一人にしなかった人がいる。”大丈夫”なんて突き放さないで」

菅波が「分からないけど分かりたい」とモネに言ったように、モネは未知の思いをこう表現した。「そばにいる」事、「分かりたい」と思ってくれる人がいる事がどれほど、心に余裕を、光を与えてくれたか知ったモネだからの言葉。第21週で、龍己がカキの養殖業を自分の代で終わるという話になった際も、「研究」という夢があるのにも関わらず、頑なに「なんで私がいるのにそんなことを言うの」と意地を張って「お姉ちゃんはいいね。自分のやりたいことが出来て。全部順調じゃん。全部持ってんじゃん。私の気持ちなんて分かる訳ない。」と言った彼女にモネは、「待って。聞くから。全部。思ってる事全部言って。言って欲しい。」と彼女に向き合っていた。今回も同じだった。

そしてそれは「分からないけど分かりたい」と己の無力さを知ったうえで、そばにいることのすごさを知っているモネだからこその言葉でもあった。また「亮のため」の存在でいようとすればするほど「自分のため」に生きられなくなっていた未知を、その役割から解放してあげないとというモネの思いが溢れた言葉だった。

このシーンに関しては、数あるシーンの中で特に賛否両論あった。二人の幸せを願う人もいれば、「モネが間に入るのは違う」「この二人では幸せにはなれない」そういった現実的な意見もあった。

だが、私は、これで良かったとそう心から思う。漠然と「役に立つ」に苦しめられたモネに対し、未知は曲がりながりにもずっと「この人のそばにいたい」という自分の純粋な願いで行動していた。それが彼女の呪縛になり他の「自分のしたい事」を圧迫していた事は確かにあったが、その思い自体は本当だったはずだ。

モネの行動は、強引だったかもしれないが、その思いを、行動を蔑ろにしたくなかったモネ自身の”選択”だった。この後、もしかしたら、彼女たちはまた過去に縛られ続け、また「大丈夫」と言って互いに傷つけあってしまうのかもしれない。だが、それでもそれが彼女たちの”選択”だ。そして何よりも皆が二人が幸せになると言う「綺麗事」を信じていたいではないか。

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『おかえりモネ』に携わった全ての方々へ感謝を。

さて、あまりに思うところがあり、長くなってしまったが、皆さんもこのドラマを観てきて各々、思うところがあったと思う。

過去の自分はこのドラマを「ヒーローになる話」と形容していた。しかし、今となっては全然違う感想になっている。それがここまで述べてきたものだ。やはり不思議な気分だった。私もモネと同じように歩んだ。まるでそんな感じがした。モネと共に様々な事に気づき、色々なしがらみから解放されたような。

このドラマに”ヒーロー”はいない。このドラマはただただ一人の女の子が、自分らしく生きようとした物語だったのだと思う。最終週「あなたが思う未来へ」のシーンを見ているとそう確信を持って思えた。

「私、あの時おばあちゃんをおいて逃げた」「私は絶対自分の事を許す事はできない」「私はどこにもいけない」

最後の最後で、未知がモネに告白した思い。その痛みを全力で受け止めたのはモネだった。

モネ「みーちゃんが自分の事を許せないと思うのは仕方ないと思う。みーちゃんがどうしても自分を許せないなら、私が言い続ける”みーちゃんは悪くない”って。記憶も、あの日、私たちを隔ててしまったものも消えない。だから、みーちゃんが何度も何度も自分を許せなくなるなら、そのたびに私が言う。”みーちゃんは悪くない”」

未知「そんなの言われたって無理だよ。」

モネ「こんな言葉、綺麗事で、何の役にも立たないかもしれない。でも言う。みーちゃんが思い出すたびに私が言う。」

大事な事は「こうすれば痛みはなくなる」という解決法の提案ではなく、その痛みを「痛いんだね」って聞いてあげる事。そしてそばにいてあげる、「大丈夫だよ」と言ってあげる事だった。モネは自分がそれで救われたように、自分の大事な人のため、自分のために寄り添った。

第21週、家族皆が悩んでいる時、「皆、ここでずっと頑張って何とかやってきたんだから逆に言えない事を沢山抱えてる。痛みはきっと何年経っても消えなくて”言って欲しい”って言っても”分かる訳ない”ってそうだと思う。でも痛みを抱えたまま平気な顔で居続けるのは辛いでしょ。」と菅波に思いを漏らしていた。それに対して菅波は、

「まずは”ここが痛い”って言わせてあげるだけでいいんじゃないですか?”ここが痛い” ”まだ痛む”って口に出させてあげる事は本人の心を軽くします。解決は無理でも糸口が見つかるという事もある。」

と答えた。誰かの助けになろうとする時、つい自分の考えや思いを「答え」として提示してしまう。だが、心に傷を負った人間が必要としているのは、問題の解決ではない、解答ではない。”痛い”と言って受け入れてくれる受け皿だ。それには「分からないけど、分かりたい」という姿勢を見せる事、想像する事が必要になる。

今この瞬間にも、コロナウィルスの後遺症に悩みながらも「本当に後遺症なの??」と傷を抉られる人々が沢山いる。毎日何かに傷つけられ、苦しみながらも生きている人。見かけは「大丈夫」でも、今にも自ら命を絶つかもしれないギリギリの場所にいる人もきっと沢山いる。「誰にも自分の気持ちは分からない」そう思って一人殻に閉じこもって生きる方が楽だと泣いている人だっている。

人間なんて意外と簡単に折れてしまうものだ。「私より大変な人だっているから」と笑っていた人も明日にはいないかもしれない。モネや亮や未知も、一見なんてことないように見えたが、いつ命を絶ってもおかしくなかった。そう表現しても大げさではない。人の心はそれだけ繊細で脆いものだ。生死の境界なんて私たちが思っているほど明らかではなく曖昧なものだろう。

第16週で傷つく亮と信次を癒したのは、幼馴染と耕治、亜哉子だった。それぞれが亮と信次の話相手になった。もし、自分の苦しみがすぐに話せないなら話さなくてもいい。なんでもいい。「楽しい」話をしよう。誰でもいいから、ただただ話す。話したくても話せない事があるのなら、それでもいい。ただどうでもいい話をするだけで救われるもの。このドラマを観てそんな人々の思いに気づき、そばにいてくれる、話をただ聞いてくれる人が増えればいい。そう思った。そして、何かに悩んで苦しいと思ってる人が「話してみようかな」と少しでも思えればいい、そう思った。

「そんなの綺麗事だ」「そんなの何の役にも立たない」

そんな声を、全て否定したのもこのドラマだった。綺麗事でもいい、役に立たなくてもいい。だから「生きて」「そこにいるだけでいい」

理屈、建前、遠慮。そういう全てを無視して「痛い時は”痛い”って言っていいんだよ」「笑ってごまかそうとしなくていいんだよ」「自分のしたいようにしていいよ」と寄り添ってくれた。

このドラマはそうやって、「痛みを持つ者」「痛みに寄り添うもの」どちらのそばにもいてくれた。そして、心の痛みに正面から向き合った。私自身も長い間、モネと似たように自分より他者を優先してしまい、いつからか自分がしたいように生きられなくなっていた。”他者のため”と尽くせば尽くすほど、知らぬ間に自分が縛り付けられていく。気づいた時には身動きが取れなくなってしまう。だが、そんな思いは周りには分かってもらいにくい。だから心の傷はずっと残り続けていく。それにずっと縛られ続け、どこかそれを乗り越えなければいけない。なかったことにしたいとも思っていた。

だが、このドラマは「過去に受けた心の傷はずっと残り続ける」と断言した。自分と世界、そして他者を隔てた記憶や経験は、永遠に埋まらない。だから乗り越えるも何もない。だからこそ、その記憶と経験と心の痛みと向き合って一緒に生きていかなければならない。過去に負った傷も消えないし、ずっと残り続ける。でも、それを誰かに求めてはいけない。それを自分にしてはいけない。

その傷に寄り添いたいとそばにいてくれる人がいるなら、完全には分かってもらえないとしても、その人を大事にしなくてはならない。そういう人がいることは幸せな事だ。頼っていいのだ。自分と同じ、心の傷を持った人を探して傷をなめ合ったり、すがったり、「役に立つ」事で自分の存在を維持してはいけない。頼っていい。心の痛みを単純化せず、描き受け止めてくれたから、私自身もそう思えた。

そして、現実はそう簡単じゃない。そんな風にいかない。と弱気になってしまう、憤慨する人にも、このドラマは「それでも!!!」と言い続けた。亮が菅波に「そんなに大事だと怖くなりませんか?」と聞いた時、

「怖いですよ。残念ながら僕らはお互いの問題ではなく、全くの不可抗力で、突然大事な人を失ってしまうという可能性を0にはできません。未来に対して僕らは無力です。でも、だからせめて、今、目の前にいるその人を最大限、大事にする他に恐怖に立ち向かう術はない」

菅波はこう答えた。不条理な現実が待ち構えていようと、「そばにいること」でしか立ち向かえないと。一方のモネも、菅波がモネの両親のもとへ挨拶に行く際に「僕はあなたの家族になんて言えばいい?」と不安になったのに対して、こう答えている。

「”一緒にいる”って事は”一緒に二人の未来を考える事”って前に(菅波が)言ったの覚えてますか?私は私たちを説明するとしたら、それで十分なんじゃないかと思う。何かあったら(菅波)先生と相談して答えを出す。私はそういうのがいい」

不条理な現実を経験してきた彼女でさえ、ためらいもなく答えた言葉は「一緒にいること」だった。それこそ、綺麗事かもしれない。ドラマだからかもしれない。でも、それでも脚本を担当した安達が伝えたかったのは、不条理な現実に対抗できるのは、「そばにいる」「そこにいる」「思い合える相手がいる」という事だった。

私自身がこの作品の裏テーマとして捉えてきた「音楽」にもその思いは、ある種の”覚悟”のような形で表れていたと思う。モネは震災当時、「音楽なんてなんの役にも立たないよ」と言った。

そう言ったのは、モネが”音楽”の高校を受験していたために、震災直後、すぐに大事な人のもとに駆け付けられなかったから。大事な人のそばにいられなかったから。いわばモネの心の傷、皆との心の壁をつくったものだったからだ。それ以来、モネは好きだった音楽から離れ、毎日手入れをしていたサックスにも触れなくなってしまった。放送当時から、今も続くこのコロナ禍においては、「エンタメは不要不急のものだ」という考え方が、一部で取り上げられた。そして今も、コロナ禍で様々なエンタメ文化に関わる人々に影響が出ている。

モネがずっとこだわっていた「役に立つ」という考え方。

コロナ禍や災害時など人命を左右する不条理な出来事の前では、どうしても「役に立つか」「救えるか」が物事の良し悪しをはかる基準になりがちだ。実際問題、それが重視されるのは当たり前で、音楽やドラマが「役に立たない」と切り捨てられるのも自然な事なのかもしれない。

だが、このドラマでモネを苦しめたのはそんな「役に立つ」という考えそのものだった。そして、その呪縛から彼女を解放したのは、「そこにいるだけでいい」という考えであり、「綺麗事を信じる」ことだった。つまり、それは「音楽」を捨てる事ではなく、「音楽」がモネにとってはやはり必要だったという事ではないだろうか。

実際、物語終盤、離れていた、突き放していたはずの”音楽”がモネの元に近づいて戻っていく描写が描かれる。第19週、ホルン奏者の宮田の演奏を聴きモネは「音楽ってこんなにも背中を押してくれるものなんですね」と感慨深そうに菅波に呟いた。その後、地元に帰って取り掛かった仕事も偶然なのか”音楽”をかけるコミュニティFMラジオの仕事だった。そして、最終週ではコミュニティFM開始当初、放送を受け持っていた高橋(山口紗弥加)も、モネに「やっぱり音楽っていいね」と発言している。

作品の中では、東日本大震災という不条理。現実では、コロナ禍という不条理。その不条理な出来事に傷つけられ疲弊した人々の心を癒せるのは、音楽でありドラマであると、このドラマはフィクションの外で苦しむ私たちにその必要性を訴えかけた。

確かに「役に立つ」事、有用性こそが人生において、生きるために重要なことかもしれない。だが、それだけでは生きていけない。人には心があるから。そんな時に、心に栄養を与えることができるのは、綺麗事を信じていられる、意味を求められない、ただ「楽しい」と思っていられるエンタメ作品そのものなのではないだろうか。

最終回では、モネが長年開けていなかったのサックスケースを開けるシーンがあった。

亮「これ見るのが怖くてずっと開けられなかった?」

モネ「最初はそうだった思う。向き合うのが怖くて。あの日、島にいなかった後ろめたさとか、痛みを分かち合えない苦しさとか。でも今はちょっと違ってて、なんか、これを開けたらまた、”私は無力だ”って思っていた頃の自分に戻ってしまうんじゃないかって。それが怖かった」

明日美「どうだった?」

モネ「”戻ってたまるか”って思ったよ」

このシーンの「戻ってたまるか」がまさに、不条理な現実に対しての”無力さ”を自覚した上で、それでも綺麗事を信じて私は進むというモネの、『おかえりモネ』という作品の覚悟でもあった。

このドラマは表層的には、優しい全肯定のドラマに見えた。だが、その本質は、現実を突きつけてその惨さを提示した上で、それに対し覚悟を持って否定することで、もがきながら前に進むそんな優しくもリアリスティックなドラマだったのではないだろうか。

劇的な展開もない、むしろ何度上がってもまた下がる。そんな繰り返し。同じ苦しみを繰り返し描くその展開は、現実のやりきれなさと生きづらさの難しさを表していた。でもその度に何度もモネは、人々は向き合い続けて、上がっては下がる波が緩やかになっていく。地味なようでとても重厚な物語。

気仙沼という”地方”を舞台をしていれば、「絆」や「家族」などという枠組みは良いものとして描かれやすい。だがこのドラマはむしろそれによる痛みや、その存在の一時的な否定すら行った。それはまさに、大勢の人から叩かれ撃たれて血だらけになることを分かっていながらも、それでも描こうとした芯の通った覚悟のある物語だったと言える。

否定という観点では、距離と時間の否定も目立った。モネが東京に来てすぐの第11週、菅波の「東京に来るという事はそういうこと、人間は環境に順応する4ヶ月。離れていたら気持ちも離れる。」という発言に対して、「4ヶ月間、離れていたけど私、先生と距離が空いたとは思いません。全然。」とモネは言っている。モネと菅波の中での「一緒にいる」は「一緒に2人の未来を考える事」という事だった。それは、例え、出会ってからこれまでの”時間”が短く、同じ場所にいられず”距離”があったとしても、「一緒にいる」事は可能なのだという事を示す。

そのメッセージは「私たちに距離も時間も関係ないですから」という最後のモネの言葉でダメ押しされた。どんな過去があって、どんな痛みがあったとしても、ここから先積み上げていけばいい少しずつ、何にも縛られずに思い合える人が一人でもいればいい。

コロナ禍で、人間同士の距離が、過ごす時間が、関係が分断されていく中で、「そばにいる」事をもっと簡単に身近に考えさせてくれた作品でもあった。

さて、ここまで長々と書いてきたが本当に最後だ。

この記事は、私が劇中で心に響いた「言葉」を余すことなく引用し執筆した。それはそれほど、この作品の中で登場人物が発した「言葉」が意味を持っていたということだ。モネが受け取った言葉が、モネの心と体を巡り、そしてまたモネが言葉を誰かに与えていく。その流れはまるで、空から雨として降り、山に、海に巡っていく「水」のよう。言葉は、水は、優しさや思いやりは人を巡っていく。それを体感させてくれた素晴らしい物語だった。

私自身も大きく影響を受けた作品になった。『おかえりモネ』の脚本を担当した安達奈緒子氏、そして主演の清原果耶さんをはじめとする出演者の皆さん、そしてスタッフの皆さんに心からの感謝を申し上げる。

この物語がこれからも誰かの力に、居場所になることを祈っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

年末には『おかえりモネ』の総集編の放送が決定している。本記事を読んで「もう一度観たい!」「観たことがないけど観てみたい!」と思った方は是非。

www.nhk.or.jp

 

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面食い ならぬ「長文」食い 2021.10.30

このブログを始めてから、ありがたいことに沢山の方に記事に対する感想を頂く。

その中でも特に嬉しかった感想があった。

「どれも読後に満足感のある長文なので好きです。気がつくと納得のレールに乗せられていて「そうだよな」と「そうなのか」を抱いて終着する。絶対にまねできない文章力です!」

まず、こんな綺麗で素敵な感想を頂いて良いものかと恐縮してしまうのだが、この身に余る素晴らしい褒め言葉にあるように、私は”長文”を得意としている。

このブログも少なくとも1000字は越えるし、長く書こうと思えばいくらでも、それこそ10000字も割と優に書けてしまう。

文字数が増えると、文の流れや構成を整える作業が大変なのだが、それも一つ楽しみであり、自分の腕の見せどころ。

学生時代は学業の面で、そして就職試験での論文課題など様々長文を書く機会があったが、ある程度のレベルで良いのなら、考えなくても(考えながら)いくらでも、文字を積み重ねられた。「先生、そんなに書けない。文字数多すぎる~」という同級生の意見に対して一人「文字制限が緩い!!やったぜ。」と思っていた人間だった。

先ほど紹介したような好意的な感想を頂くと、このようについ鼻が高くなってしまうが、同時にそれは私の弱点であり、コンプレックスでもある。

 

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以前に、どこかで話したかもしれないが、私自身、言葉には限界があると常に思っている。こうしてブログを書く時、頭の中に浮かんだ考えや思いをどれだけ、文字として再現できるか、そこが一番苦心するところだ。

それ故、どうしても言葉を積み重ねて再現性を高めようとしてしまう。

私が、長文人間になってしまっている理由はそこにある。

 

逆に言い換えれば、好んで短く簡潔に文を書くことはほとんどない。そう、私は短く書くのが苦手なのだ。

とは言っても、「書けないか?」と言われれば、「書くことはできる」

国語の要約問題、エントリーシートの文章を書く時など、目的意識があれば、時間はかかるがまとめることは容易だ。だが、自らの頭の中から抽出して、それを言葉として再現するとなるとどうも短く終わる事が苦手だ。

 

特に、短い文で終われない症候群をコンプレックスに感じるのは、対人関係の中での文字コミュニケーションだ。

 

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SNSで文章を投稿する時、特に誰かと文字で話す時。

どうしても長々と文字を重ねてしまう。

イマドキの若者は(お前も若いだろ)、「了解」を”り”と略したりする。

どうもその文化には永遠に染まらないだろうと思う。

 

先日、Twitterで仲良くしている方との会話で面白い事を言われた。

その方のTwitterでの名前が、ローマ字表記なのだが、「なんでローマ字表記で呼ぶんですか?」と聞かれた。最初は、その質問の意味が分からなかったのだが、どうやらいちちローマ字を打つのが面倒くさいんじゃないのかと、疑問と気遣いが混ざったような思いだったようで。

私は、その方の名前は、仲良くなって違う呼び名を決めたりしない限り、表記通り呼ぶのが普通だと、礼儀?だと思っていたのだが、相手からしたらそんな事は頭になかったようだ。

 

こんな話はまだ序の口で、普段の文字での会話でも、出来るだけ文脈を削らず(例えば、事の経緯を省略しない、接続語を省略しない)話をしてしまう。

最近、YouTubeでネットサーフィンしていたら偶然見つけたお気に入りの歌い手の方の、配信にお邪魔しているのだが、ああいう配信系では特に、私の長文気質と場の違和感が気になる。

配信系のコメントで、長文なんて見たことがない。大体一言ぐらいだろう。

でも、それができない。絶対長文で打ってしまう。二文にはなる!!

だからといって、短文でコメントすると「なんか誤解されたらどうしよう」「これはさすがに言葉足らずだろ」とか色々考えてしまうので、もうお手上げだ。

配信では、考える暇がないので、そうは言ってもまだ短くなるが、LINEなんかはもうだめだ。

考える時間もあるため、色々詰め込んで爆弾おにぎりみたいなバカでかい吹き出しを送り付けてしまう。それにLINEは、既読が付く。それ故に、分けて発言しようとすると、その間にも相手が返信してくるのではないかという恐怖に襲われ、小分けで打てない。

だから結局、爆弾おにぎり。

小さな塊が連発されるスピード感のあるLINE画面を見ると、もう唖然としてしまう。何か違う人類?新人類?みたいなリアクションになる。

 

だから、長文癖が発動してしまい長文をやり取りの中で打ってしまうと「長すぎて重い」とか「長すぎてキモい」とか思われないだろうかと、いつもびくびく必死で文字を削ろうとしていたりする。

 

文章が長くなるという事で言えば、句読点がない文を書けない。絵文字を乗せたくなってしまうという事も言える。

ここまでの話を聞けば、「文章が長くなるから句読点が必要になるんだろ」と自分で腑に落ちてしまったが、相手に送る文章の語尾に何もないと不安になってしまう。

だからといって「。」だけでも、友人レベルでの会話だと、無機質な冷たいイメージを感じてしまう。

それ故、私は語尾に「!」や絵文字をつけるのがほとんどフォーマットになっているのだが、それが、現代社会では「おじさん構文」なんて呼ばれるんだから、それも長文に追い打ちでコンプレックスになってしまってしまうのだ。

 

ここで冒頭のお話に戻るのだが、「言葉には限界がある」そう強く意識してきた私にすれば、省略したり簡潔に話しすぎる人は「不誠実だ」と思ってしまう...そんな節が少し前まではあった。

それが自分のここまでに説明した長文気質問題に留まればまだ良いのだが、他者を見る時にも、その物差しを使ってしまう。

今思うと、とてつもない暴論で、反省でしかないのだが、やはり、私と同じように言葉を尽くして対話してくれる人には、それだけで何となく信頼感があるし、文脈も変に読み違える事がないため安心感を持つことができる。

反対にそれがない人には、”不信感”とまではいかないが、何となくの不安を感じるし、相手の思いを計りにくかったりして難しいなと思い、距離を置きがちになる事もあった。

だが、最近、私と真逆の「短文」「語尾に何も無し」の人と仲良くさせてもらっていると、そんな事はただの杞憂で、私の想像力の欠如であり、偏見であったと感じている。

 

私は、どうしても文字の多さ、文章の長さに、”信頼”や”安心”を感じるし、言葉遣いや言葉選びに、その人へ伝えようという”思い”だったり、”思いやり”を見出そうとしてしまう。

確かに、言葉遣いや言葉選び、その人の”言葉”には、その人自身がそのまま出る。

そのため、人を見る物差しの一つとしてはありだろう。

だが、それが全てではない。

「短文」だったり、言葉を省略したり、語尾に何も付けない人が不誠実だと決めつけるのは違う。例えば、その人が、思いやりどうこうではなく、ズボラだったり面倒くさがり屋なだけかもしれない。

そして、さらに言えば、「この人にはこれくらい砕けた言い方でもいいか」と思ってくれている、そういう分かり合えてる関係性故の場合もあるかもしれない。

見える言葉で、全てを判断するのは、女性のタイプを聞かれ「顔!!」と言う面食い野郎とさして変わらない。

自分と同じ「長文だ」「丁寧だ」と見かけで安心したいだけ。もっと言えば自分と違うものを、大義名分を設けて排除したいだけなのかもしれない。

だから、「短文」だから「語尾に何も無いから」とかで、相手に変な悪いイメージを持つのはやめなければならないと、今回反省した。

 

だからこそ「この絵文字を使うのはおじさん」 「これはこういう意味でしょ!分かってよ!」「長文はうざい」という声にも、私は大きく反論していきたい。

「長文」であろうが「短文」であろうが、見かけで判断せず、その人がどういう気持ちでその言葉を発したのか。それを常に考え、互いに否定せず、その人のスタイルを理解していく。

そんな人でありたい。

「こいつ、また短く返しやがって~!こっちは長文で送ってやる~」

「そっちこそ、長すぎて重い!!読んでられない!!でもまぁ良いけど、私はそんな長く書けないよ」

みたいな、そういうやり取りが出来る関係性もなんか良いなと思ったり。

短文でも、その人は「こう言おうとしてるんだな」と思えたり出来る関係もなんか良いなと思う。

一言に思いを込めるのも良し。

思いを誤解ないように伝えようと言葉を積み重ねるのも良し。

長文か短文かが大事なのではなく、どんな関係性でその文章が捉えられるかが大事なのだ。

 

まぁ、そんな事を言いながら、私は長文が送られてくると短文よりやっぱり嬉しい。それだけの文字を紡ぐのに、かかった時間や労力、思いをダイレクトに言葉の重さとして感じられるから。

という事は、面食いならぬ「長文」食いなのかもしれない。

となると、「長文」食いの誰かに、私はクリティカルヒットなのでは...

そう思うと何だか自分の長文気質も誇らしく思える。

そうやって誰もが誰かを否定せずに、自分の好きを持っていられたらと思う。

これからもこんな長文人間の長文ブログを読んでくれると幸いだ。

 

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「部屋」という心の自由 2021.10.24

皆さんは自分の部屋を持っているだろうか?

突然だが、私の家には、私の部屋があるようでない。一応あるのはあるのだが、ほぼ家族に侵食されてしまっている。まぁいわゆる物置きのような形になっている。

住宅には様々な種類がある。

マンション、アパート、一軒家。

どんな家に住んでいても、自らの部屋が家族との空間としっかりと棲み分けされているというのは、とても重要な事だ。

実際、私がヤングケアラーとしてここまで悩み拗らせ、ある意味「八方塞がり」な状態になってしまったのも、そういう棲み分けが皆無であった事、とりわけ自分の「部屋」が無かった事が大きく影響している。

 

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私自身、小学生の頃から、自分の部屋(既に侵食は始まっていたが)に勉強机はあれど、勉強はほとんどリビングでしていた。

そして子供の頃「テレビ大好き!!」な人間だった私にとってテレビは生命線。

そんなテレビも当時リビングに一つだけだった。

現代のようにTverだのYouTubeだのHuluだのがあれば別だが、スマホすらなかったので、遊びという面でも、リビングでテレビにかじりついていた。

そうなると、私は今まで生活のほとんどをリビングで過ごしていたという事になる。

いつの事だったか「リビングで勉強する事は良い」なんて話題になったが、リビングにずっと居るのも考えものだ。

 

というのも、カウンセラーの方から今の自分の状態を改善するために「部屋を明確に分ける」事を強く求められている。

なぜ私がここまで自らの権利を放棄し、家族の歯車のようになってしまったか。

それは家族と常に空間を共有しているからだった。

常に皆がリビングにいるため、全ての情報は共有されるし、感情も共有される。

それ故に、家族の問題に関わりすぎてしまい、自分のプライベートとしての感覚も希薄になってしまっていた。

だから、それを避ける事、物理的な距離を取る事が大事という訳だ。

物理的な距離があれば、何か家族のトラブルがあった時、そもそも影響を受ける事も、私が割って入って緩衝材になる必要もない。親の機嫌が悪い時に、その影響をもろに受ける必要もない。

 

そういう意味で、リビングで大半の時間を過ごすことを「何ともない」「むしろ、家族皆が仲良い象徴」だと思っていた私の認識は少しズレたものであった。

とはいえ、分けたくても分けられない。そんな状況ももちろんある。

私の家も、部屋数としてはあっても、その多くが共有スペースになっており、子供だけでなく、夫婦も十分な個人スペースを保持できていない状況。

というか、私が幼少期からリビングで過ごしていたのだから、自然とそこが物置化するのも当然と言えば当然で、それも相まって、私の部屋は現在確保されていない。

 

ここで少し、ふと思いついた疑問を調べてみた。

「皆の家にはどれぐらいの数の部屋があるのだろうか?」

しっかり統計を調べればもっといいデータがあるのかもしれないが、別にこれは論文ではないので、まぁザックリと。

「2021年社会生活統計指標-都道府県の指標-」のデータを見ると、全国で居住室数トップなのは富山県で6.02。ワーストが東京都で3.26らしい。

地方の方が高くて都会の方が低いのは、人口密度や土地面積の問題などが関係しているのだろう。だが、ここで注目したいのは、全国の居住宅の部屋数は大体3~6の間にあるという事だ。

 

家にある部屋数の事は、統計上「居住室数」と言うらしいが、いわゆる”3LDK”とかのあれで説明すると。部屋を表す”3”はもちろんの事だが、L(リビング)、DK(ダイニングキッチン)も部屋数に含まれる。

という事はリビングとダイニングキッチンの2つがあると考えれば、ワーストの東京都では、3-2=1と、一部屋しか余剰スペースを確保できない事になる。

 

この推測は、全部を家族単位で見ており、ひとり暮らしを無視しているので、極めて大雑把なものなので、あてにはしないで欲しいのだが、この考えからすると、家族全員、少なくとも子供が、十分なパーソナルスペースを取れている家は少ないと推察できる。

そう考えると、

「部屋がないんだから、リビングにいるしかない」

という考えになってしまうのも自然だろう。

 

だが、家族と言えども、適度な距離感、自らの空間を持つこの重要性は私が身を以て実感している事だ。

親(大人)が抱える問題から子供をしっかりと離す。そして子供は、自らの空間で、自分のしたいようにする。

物理的な距離・仕切りは、人との心理的な距離を適切に調節し、「自分」を維持する最も手軽で有効な手段だ。

 

「自分の部屋がなくても、家族仲が良く、リビングにいてもたいして問題もない。」

と思っている人もいるかもしれない。だが、自らの部屋があるというのは一つ「誰にも踏み込まれない」安全地帯を持つこと、そして絶対的な「自分」を持つことでもあるのだ。

それ故、「自分の部屋がなくとも~」などと言っている時点で、実は「自分」の存在が危うい状態なのかもしれない。

 

一方で自分の部屋がある人は、ここまでを読んでこう思ったのではないだろうか。

「自分の部屋がないとかめちゃくちゃ不便じゃない?」

 

親には言えない(言いたくない)趣味も自分のやりたいように楽しめない。

自分のコレクションを飾る事もできない。

友達と電話しようにもできない。

1人になりたい時に1人になれない。落ち着いて考える事もできない。

 

と、部屋がない事で「できない」事は沢山ある。部屋がある人にとっては「当たり前」に出来る事だろう。それ故、”不便”と思うはずだ。

部屋がない事で出来ない事は、一見すると「なんてことない」些細な事。だが些細な事だからこそ、それが出来ないというのは問題で、それが子供であればより大きな問題だ。

自分の好きな事が十分にできない、それどころか我慢しなければ、隠さなければならない。それは「自分の好きは、我慢すべき。隠すべき」という考え方に繋がりかねない。

また、友達との交流に関しても、親の前では友達との会話はしたくない。だが自分の部屋がないため、親がいないときにしかできない。そのため交友関係の希薄化を生むことにもなる。

また、部屋がある人が”当たり前”とする事が、そうではないことで、周りとのギャップも生まれ、人と違うという事が、さらに自分のコンプレックスになったりする。

 

私自身も、子供の頃から親に趣味はモロバレ。言えない(言いたくない)趣味は、親のいないときに謎の罪悪感を持ちながら楽しんでいたし、コレクションスペースもないため、グッズはあまり買わない(買えない)。親は早く寝るので、夜更かしは出来ず、当然夜通し電話をするみたいなことも未だ経験がない。

今書いてるブログも、本当は部屋に籠って書きたいのだが、それが出来ない故、かなり作業効率の面では苦労していたりもする。

それは、自らの「好き」に対して億劫になったり、罪悪感を持つことにも繋がったし、交友関係が生成されにくいという事に繋がった。

現に最近も、フォロワーさんの配信に、参加したかったが、声を出せないため聞き専に徹する事になり、苦い思いをした。(その反動で、文章力があるのかもしれないが)

それに何より、ヤングケアラーとして関わりすぎ、今に至る一つの要因になった。

そういう意味では、子供の頃に部屋があったかなかったかが、自らの自己形成やアイデンティティに大きく影響するなと改めて感じる。

 

最近、我が家では私を中心に、部屋の棲み分けをしっかりしようと整理が始まっている。物理的な距離を持つ事で、適切な距離で家族と関わり、「自分」を大事にする事が簡単になるなら、お安い御用だと思う。

母親は、昨日私にこう言った「あなたの事を友達のような感じと思って色々愚痴とか相談とかしていた」と。

”友達親子”なる概念も、家族の多様化という面では一理あるのかもしれない。

だが、親子の距離は適切でなければならないし、決して友達ではない。

自分の部屋があるという事は、親と子が生活を共有しながらも、「自分は自分」と、”子供”という立場を抜け個人としてのアイデンティティを育み、「自分はいてもいいのだ」「自分の好きなようにしていいのだ」という心の自由を、分かりやすい形で保障することなのかもしれない。

 

【出典】

総務省統計局 統計表で用いられる用語,分類の解説

https://www.stat.go.jp/data/kokusei/1995/04-03.html

 ・「2021年社会生活統計指標-都道府県の指標-」

https://www.e-stat.go.jp/stat-search?page=1&query=%E5%B1%85%E4%BD%8F%E5%AE%A4%E6%95%B0&layout=dataset&year=20210&file_type=0&metadata=1&data=1

 

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「解散」は偶然とのサヨナラ 2021.10.17

来たる11月1日。アイドルグループ「V6」が解散する。

以前、解散報道が出た際は、とても驚いた。結局それは偽りの情報で、活動は続けられたのだが、今回は本当に解散ということらしい。

私は特段、ジャニーズが好きという訳ではないが、以前も記事にしたように、子供の頃は皆がテレビを観ていて、皆が同じ音楽に触れていた。そんな世界だった。

そして私もその世界にいた。

特に私自身が、テレビっ子という事もあり、その影響は多大だった。

そんなテレビから流れていた音楽の一つにジャニーズの音楽があった。

そのため、今回の「解散」も何も他人事ではない。

 

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「解散」

その言葉が意味するのは、単純に「グループが無くなる」という事以外にも、「その音楽の歌い手がいなくなる」事も意味する。

音楽は、なくならないし永遠に残る。

だが、その歌い手が「歌う」という事をしなくなれば、その音楽が一つ形を変えるという事ではある。

今なら、CDもあれば、それこそサブスクリプションのサービスで聞けたり、音楽は保存され半永久的に、生き続ける。

それは「私たちはいなくなっても、音楽はあなたの心の中で永遠です!!」的な、そういううやつでもなく、技術革新がもたらしてくれた音楽の延命だ。

だが、「その時」、「その人が」、「歌う」。

それは「解散」すればもう二度とない。

 

「それってそんなに大事?」

と感じる人もいると思う。それを望むのはファンぐらいなのではないかと。

だが、私はそうではないと思う。

そのアーティストが歌わなくなれば、音楽番組で「あ!久しぶりじゃん!V6!!今日はなんか懐かしい曲歌うんかな~?」と口に出る事もない。

ファンではないけど、「その曲は好きだ」という人がおそらく沢山いる。

そんな人の心からは、その存在は徐々に消えていってしまう。

そう。そのアーティストが、その時、歌わなくなれば、その存在は狭く薄くなってゆく。その曲自体に触れる機会が失われるのだ。

 

実際、V6には『TAKE ME HIGHER』という曲があるが、この曲は、音楽番組で歌われると毎回、Twitterのトレンド入りを果たしていた。

この曲は、メンバーの長野博が務めた特撮ドラマ『ウルトラマンティガ』の主題歌であった。この曲が番組で流れて、当時の特撮ファンがその曲に盛り上がる。そんな光景が、印象的だった。

そんな出来事が少なくなっていくという訳だ。

 

youtu.be

 

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(小学生の頃、昼休み後の掃除の時間に流れていた。テンション上げ上げでほうきを

振っていたことを思い出す)

 

 

過去にはあまり良くない幕切れがあった。

国民的アイドルグループと言われた「SMAP

彼らが「解散」した後、いや。する前、私はすぐにベストアルバムを買った。

なぜなら、彼らの音楽を覚えておきたかったから。

もう、ふと音楽番組で「あ!この曲好きなんだよ~!!歌ってくれるの嬉しい!!」

と言う事もない。そうやって曲に思いを積み重ねてきた私からすれば、「解散」は、その音楽が私の中で「バイバイ」と言おうとしてるのと同義だ。

 

youtu.be

(ちなみに『愛なんだ』の歌詞がとても私は好きだ。

「とにかく愛なんです!!愛なんだ!!全部愛!!愛!!最高!!」

という感じなのが良い。これほど振り切った歌詞だと、逆に乗り切れない場合もあるが、玉置浩二が織りなす自由に溢れるメロディーが調和を取り、とてつもなく心地よく、エネルギーを充填できる一曲になっていると思う。)

 

バンドサウンドとボーカル長瀬の作詞作曲センスが光った「TOKIO

彼らは明確な「解散」ではなかったが、それこそ私が言う意味での「解散」に一番近いかもしれない。

1人のメンバーが脱退することになり、「彼が抜けるのなら音楽活動をしない」と演奏されることはなくなった。

TOKIOは、私のイメージでは気さくにどんな番組でも演奏をしてくれるグループのイメージで、突如鳴り止んだその衝撃はとにかく大きかった。

 

youtu.be

(TOKIOSMAPの曲を入れるべきなのだろうが、V6の曲を入れざるを得ない。だって良いのだから。『Darling』は、言葉遊びが本当に楽しい。”いい just night"が「いいんじゃない」、”what 感 eye”が「分かんない」、”knight 病んで”が「悩んで」に聞こえるといった具合に、文字を当ててる感がとても感じられてそれが良い。今は皆「カッコ悪い」と言いそうだが...それでも良い。)

 

10年程前、AKB48がブレイクし始めの頃は、よく「口パク疑惑」が世間を揺るがせた。

「口パクなら別にあの人たちが歌わなくてもいい」

そんな声も聞こえた。

だが、私はそうではないと思う。彼ら彼女らが歌うからその歌は生まれる。生まれた。

そして、そんな彼らがいなくなれば、その曲たちは一つの区切りをつけ生まれ変わる。

だから、その曲の価値を決めるのは、歌の上手さではないのだ。”彼らが””彼女たちが”歌うから、その曲なのだ。

 

音楽が情報と一緒に大量に流れる現代で、「解散」は音楽と一度「バイバイ」する事なのだと思える人はどれだけいるだろう。

大量に流れる音楽の中で、大事になるのは、その音楽に触れる「きっかけ」

そんな「きっかけ」が「解散」という出来事で、絶えてしまう。

だが、彼らが「解散」を決めたのだ。

「きっかけ」がなくとも、いつでもその音楽が鳴らせるように、彼らと共に音楽をしっかり覚えていたい。

 

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(解散前に、良い曲に出会ってしまう...”あの時代”の曲って感じで良い...)

 

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