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「恋」とは「心が動く」事、そして”ありのまま”でいる事『ファイトソング』レビュー前編 2022.3.28

先日、ドラマ『ファイトソング』が最終回を迎え完結した。ラブコメ作品が定番になっているTBS系火曜ドラマの2022年一作目となった今作。

私は今作を観る事、そしてブログを書く事を発表されたタイミングで決めていた。それは主演があの『おかえりモネ』の"モネ"、清原果耶だからだ。

私にとって『おかえりモネ』は今も心の中にある”お守り”のような特別なドラマである。それ故に、そんなモネの熱が冷めないまま、シームレスに始まった今作には放送前から期待値が上がっていた。放送を終えた今、期待通り、いや"期待以上"の作品だったと思う。

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この物語は、児童養護施設で育った花枝(清原果耶)と”一発屋”ミュージシャンの芦田(間宮祥太朗)の二人の恋愛が中心に描かれる。その中で、花枝と同じ養護施設で育った慎吾(菊池風磨)、凛(藤原さくら)、そして芦田がかつて組んでいたバンドのメンバーである薫(東啓介)、そのマネージャーである弓子(栗山千明)らを巻き込みながら話は進んでいく。

今作もラブコメの例に漏れず、一応突飛なテーマ付けはある。花枝と芦田は互いに”恋愛経験ゼロ”

それ故に、恋の「取り組み」と称し、恋愛を学んでいくといういかにも”ラブコメ”な設定である。

だが、『おかえりモネ』など数々の硬派なドラマを通って来た清原果耶だからなのか、ラブコメでありながらある意味で硬派な人間ドラマの側面もあったと思う。

不条理に立ち止まった彼女がすがったのは「恋」

恋の「取り組み」をする

それだけであれば何の変哲もない王道ラブコメだ。だが、今作はそこに留まらない。その魅力は、花枝が、恋の「取り組み」をする理由に隠されていた。

芦田は『スタートライン』という楽曲で大ヒットしてから次の楽曲がなかなか売れず大ピンチ。そんな時マネージャーの弓子に冗談で言われた「恋でもしてみたら?」という提案を実行に移したのが「取り組み」の始まり。

そんな時にたまたま出会った『スタートライン』を大事そうに聞く花枝に何かを感じ、「付き合ってください」と伝え、花枝が恋の「取り組み」と名付け本格的にスタート。

花枝にとって『スタートライン』はとても大事な楽曲だった。母親が好きだった曲。そして、家族がみんな笑っていた頃の思い出。花枝が養護施設に来たのは、母が亡くなり父が家を出て行ったから。それから花枝は、家族の思い出である『スタートライン』を胸に、「強くなる」事を目指した。

家族を失っても、強くなること、その体現である「空手」に打ち込むことで不条理な世界に勝とうとした。それは弱い自分が、不条理に負けないため。「強くなってこの世界と戦うため」だった。

そんな花枝が恋の「取り組み」をしようと思ったのはそれでも「世界に負けそうになったから」だった。ある日の空手の試合終わりに、事故に遭ってしまう。幸い、怪我は軽かったが、「耳が聴こえなくなる」恐れを孕んだ腫瘍が脳に残ってしまった。

「進めないんだよどこにも」「何したらいいか分からないんだよ」

一度は不条理な現実を乗り越えたのに、また挫かれた。今度はもっと辛い現実。もうどうすればいいか分からない...

この作品がただのラブコメに留まらないのは、「家族を失くす」「耳が聴こえなくなる」という2つの不条理がバックグラウンドにあるから、さらに、それに「勝つため」に花枝にとってある意味”不条理”な意味の分からない「恋」をしてみるという”ヒューマンラブコメディ”だからだ。

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”恋は矛盾だらけ” でも、だから前に進む力をくれる

「いやいや...何したらいいか分からないから恋って...」

そう思う人もいるだろう。だが、この作品はそんなハチャメチャを丁寧に描写する事でなんだが腑に落ちる、なにか新しい心地にしてくれた。

序盤は、恋愛経験ゼロの花枝と芦田の二人の恋の「取り組み」が中心に描かれる。二人でネットで”恋とは?”を調べてホワイトボードに書いてみて、2人で食事に行ってみたり、遊園地に行ってみたり色んな事に取り組んだ。

その度に、2人は「なんか違う?」と戸惑いながら迷いながら「取り組み」をしていた。だがそのどれもがとにかく楽しそうだった。

第3話で食事に行った時は、ししおどしの鳴る「取り組み」的には不正解の場所に関わらず、それがおかしくて二人の会話は盛り上がった。花枝が一人で弾丸トークを繰り出したり、女の子扱いされて喜んでいた様子も微笑ましかった。(花枝の「うれしい」の言い方がとても好きだった)

筆者である私はこの段階で、「え?もうこれが恋じゃないの?」と感じていた。突然だが、筆者である私も恋愛経験ゼロだ。それ故に実は、これだけフィクションとしての”恋”を見ていながら、それが何なのか分かっていない。

第3話ラストから第4話冒頭にかけて、横浜デートを終えた時、芦田が花枝に無許可キスをしようとして正拳突きでぶっ倒されるシーンがあった。ここで花枝はこう言い放つ。

「ちょっとがっかりしました。なんか強引というか。そういう風にしたら女の子ちょっとキュンとするだろとか思ってんだとしたら、少なくとも私はしないです。ドラマとかで見るのはいいんですけど自分にされるとなんかバカにされてる気がして。とにかく決めつけられるのホント嫌いなんですよね。付き合うってこういうことだろとか。女なんだからこうしろとか。」

「なんか彼氏なんだから、男なんだからこうしろっていう決めつけ?それもしたくないと思ってて、女らしさ要求されるの嫌だから相手に男らしさ求めるのもやめようと思って」

花枝のこの言葉に序盤とても共感した。私も「付き合う」ってなんだろう?と考えた時に、”付き合ってるからこうしなきゃいけない”みたいな考え方が嫌で、それこそ花枝の言う通りだと思っていた。

でもだったら「付き合う」ってなんだ?(堂々巡り)となる。そうなると「彼女にはこうして欲しい」みたいなわがまま?みたいなのも言っちゃダメなのか...とも思ったり。

だが、そんな花枝の理論はどんどん崩れていく。終盤に進みにつれ、花枝の言った「取り組み」からは外れた、ある意味”カップルとはこういうものだ”という行動を自然に取るようになっていく。「キスしたいなら”したいけどいいか?”って聞いてもらわないと」って言っていたくらいだった彼女はキスを割と気軽にするようなる。

その極めつけは、第8話。ファミレスでの”呼び出しボタンピンポンチュー”だ。大学に通っている時は「バカップルかよ」「最低」って思っていた、ファミレスでのキスを、一緒にいて楽しかったら「そうなるんだよな~」と言いながら、店員の前でやってのけるのだ。あらまあ...

「おかしいおかしい!花枝そんなので喜ぶ人じゃなかったじゃん!」

と思わず言ってしまったが、あまりにスムーズに違和感なく「取り組み」が「恋」になったからかどこか納得してしまう節もあった。恋とはそういうものだと言われているようで少し腑に落ちてしまったのだ。

「恋はきっと矛盾だらけなんじゃないかな」

意気揚々と「恋の取り組みとはこういうものだ!」と宣言した直後、芦田にムササビのぬいぐるみをプレゼントされて喜んでしまい、自分自身でその論理を早々に破綻させてしまった花枝。そんな花枝に芦田はこう言った。

芦田もそうだ。第4話で薫に「あの子にそばにいて欲しいんじゃないの?」と聞かれ、芦田は「そういうのじゃないから。だからそばにいてくれとか逸脱した事を頼める関係では」と答えた。だが「そばにいたい」と思っていたし、結局そうした。

そんな風に、恋は矛盾だらけ。花枝が思い描いた「取り組み」の理屈通りになんかいかないものだった。

そう、この物語における「恋」はそんな矛盾。理屈を超えた「心が動く」を表す、いやそれそのものだった。そして、だからこそ花枝にとって、芦田にとって力をくれるものだったのだ。

”心が動く”は”未来が変わる”

「心が動く」

この言葉はこのドラマの中で、特に印象的に聞こえてきた。この言葉が初めて出たのは、物語序盤の第2話。「泣かない」と決めていた花枝が芦田の『スタートライン』の生演奏に思わず涙したと聞いた直美(稲森いずみ)から出た一言だった。

「あんたが大泣きしたって聞いて嬉しかった。心が大きく動いたんだから、未来も動くよきっと。いい風にね。あなたたちはさ、色んなものを奪われてここに来た。だから、これからは良いことたくさん起こるんだよ。」

”心が動く”とはどういう事なのか?なぜ、心が動けば未来が変わるのか?

ここで、少し木皿花枝という人物を振り返りたい。彼女は空手をやっていることから、いわゆる”体育会系”女子だ。個人的には第4話でかつて所属していた大学の空手部員とたまたま遭遇した時のリアクションがそれを物語っていた。

まぁ、そんな事言わなくとも、芦田が無許可キスを繰り出そうとした時も正拳突き×10を食らわせるし、芦田自身も「自分の思ってる5倍は怖いから。自分の思ってる10倍は怖いから」と言っているくらいだから、花枝は体育会系で負けず嫌いでちょっと...怖い...”気の強い”女の子だ。

だが、その反面一人で「耳が聴こえなくなる」かもしれない現実を抱え込み怯えている描写も要所要所で描かれていた。

花枝は家族を失くした時、「泣かない」と決めた。そして「強くなる」と決めた。

「いつだって自分の意思がしっかりあって。曲げないし負けない。その強さは美しい」

芦田がそう表したように、花枝のその思いは「強さ」として花枝自身の芯として彼女を作っていった。だが、これは「そうしなければ負けてしまう」「でも本当は泣きたい」という花枝自身の本音を無理やり抑え込んでいるようにも思える。

もしハツラツとした一面だけが彼女なら「悩んでるだけ無駄!とにかく前に進むだけ!!」というようにどんな悩みも気合で乗り切るはず。だが実際はそうはいかず、ずっと一人で抱え込み立ち止まっていた。

「空手の場合だけど、相手がね、多分こう来るだろうなって楽なの想定してたら負ける。絶対負ける。絶対そんなの来ないでしょってのに備えないと負ける。だから、嫌な事が起きる前提で戦うスタンス」

第8話でこぼした花枝の空手へのスタンス。一見「強い人」の考え方に見えるが、ここからも花枝の本音が読み取れる。

家族を失くしショックを受けた経験から、常に「何かが起きる」と構えている。そして、それに対する備えを怠らない。

「こういうトレーニングをしたらこの筋肉が鍛えられるみたいなの考えるのが好きで」

作中のところどころで、そんな花枝の慎重でかつどこか「理屈っぽい」一面は垣間見えた。「気合で乗り切る」とは真逆で、彼女はとても慎重で、堅実なのだ。そしてそれは自信がなく怖がり、いつも不安と付き合っているということでもある。

それは、不条理が起きる事に怯え、それに苦しめられないようにしようとするが故に、自分が強くいる事で、一人で抱え込んで苦しむ事にどこか慣れてしまっているからではないだろうか。

そんな、花枝の本音に苦しみに気づいたのが芦田だった。

花枝は強いというか”頑な”なんだなと思いました。自分の決めた事を絶対に変えない。何があっても。それは強さでもあるけど、そこから動けない、それしかできない弱さでもあるんじゃないかな。

慎吾に花枝が隠している事を知りたくないのか?と聞かれても、「彼女の意思を尊重する」と踏み込まずにいた芦田が”踏み込んで”花枝にこの言葉をぶつけたのはある意味衝撃的だった。視点を変えれば、花枝の心に一番近づけた芦田だから言えた言葉でもある。

そして、これは花枝が”一人で戦わなければならない”という状況からの解放であり、花枝の心の壁を壊す一言でもあった。

そんな芦田の言葉を受けて、花枝は最終話でこう自分の気持ちを語っている。

「私は確かに”頑な”なところがあると思う。でも、それしか生き方を知らなくて。自分に厳しくしてないとどうなっちゃうか分からないくらい自分に自信なんかないし、弱いし、ダメだし。弱いところばっかり相手に見せて、甘えて、なんかそういう自分が想像できなくて怖いんです。耳が聞こえなくなってやっぱり大変で。自分がバラバラになっちゃうんじゃないかって思うくらいきつくて。でも弱気になったら戦えないから。」

芦田の言葉が花枝のありのままを引き出した。そして花枝が前に進めたのは、やはり芦田との「恋」だった。

自分で壁を作って鎧を背負って抱え込む事で、戦おうとしていた花枝に必要だったのは、隣で寄り添ってくれる存在、そして「こうすればこうなる」という打算を覆すパワーを持ち、花枝が奥に封印していた”ありのまま”を受け入れてくれる「恋」だったのだ。そしてそれこそが「心が動く」という事でもあった。

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自分の心を誰かに話す大切さ

花枝がいろんな心の鎧を脱ぎ捨ててありのままになれるまで、寄り添ってくれていた人は他にも沢山いた。

その中でも特に印象的だった人が一人いる。花枝がハウスクリーニングの仕事で出会った葉子(石田ひかり)だ。彼女と花枝は仕事を依頼する顧客とそれを受ける業者の関係から、物語が進むにつれ”親友”と言っても過言ではない特別な関係になっていった。

葉子は、花枝と同じで人生の途中で聴力を失った一人で、彼女の存在は「耳が聴こえなくなる」という孤独の中に1人いた花枝を大きく救った一人だった。劇中でも花枝が迷ったり悩んだりしている時には必ず、葉子とのシーンが描かれていた。

第5話で彼女が花枝に「何か秘密、心配事があるんじゃないか」と聞いた際、「誰かに言った方が楽になるってのも分かるんですけど、でも言わずに抱えてる方が楽だっていうのもあって。誰か一人にでも言ったら壊れてしまうんじゃないかって」と漏らした花枝に対して

「うん。分かった。そういう事もあると思うよ。でも、”頑な”にはならない事。私に話したくなったらいつでも来る事。遠慮はしない事。」

と、花枝の”頑な”なところを指摘しながらも寄り添ってくれていた。耳の聞こえない葉子と花枝のやり取りからは、”聞こえない”からこその「伝える」事の大切さがあった。

葉子は花枝と2人でフレンチトーストを作っていた時は「たのしい」「うれしい」と言い合っていたし、耳が聴こえなくても好きな人に「大好きだよ~」と電話をするとも楽しそうに花枝に語っていた。

第3話で直美も「まあ言いたいの。誰かに”疲れた”って。良いもんだ誰かに言えるってのは」と言っていた。

聞こえなくとも、伝えたいと思ったら伝える。どんな拙いどんな短い言葉でも、伝える事が大事なんだ。

そしてそれは、聞こえている人も同じ。

自分の気持ちをありのままに伝える事の大切さを大事にしていた葉子がいたから、花枝が自分らしく「心が動く」ままに芦田に思いを伝えられたのではないか。

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聴こえなくても、家族がいなくても「恋」していい

このドラマでは、花枝と芦田の恋愛が中心に描かれるが、もう一人忘れてはならない人物がいた。それは凛とともに花枝と幼少期を過ごした慎吾だ。

慎吾はずっと花枝に恋していた。だが、芦田との恋の「取り組み」が始まって、半ば一人苦しい片思いを募らせることになる。

第5話では、花枝に自分の「好き」を伝えようと慎吾は花枝をキャンプに誘う。それまで、そこで、花枝に思いを真っすぐに伝えられずにいた慎吾が、凛にこぼしたのは、花枝への恋心に対する思いだった。

「男とか女とか恋とか、そんな事よりも深い出会いをしてしまってる訳だからさ。兄弟とか家族とかより強い絆を持ってしまってるから」

この物語において花枝、凛、慎吾は児童養護施設で育ったという他とは違う経験をしている。凛は父親が急逝、花枝は母親が急逝し父親は失踪、慎吾も母親が男を作って蒸発したという経験をして、3人は他の誰にでも共有できない痛みを分かち合える特別な間柄になった。

でも、それは同時にその関係にある彼ら同士では恋愛をする関係にはなれないという難しい状態を生むことにもなっていた。あえて言うなら”恋愛なんてそんなものじゃない”それ以上の関係になっているから、慎吾はその尊さを知っていて、それを崩したくなくて花枝への恋心をごまかしてきたのだろう。

だが、「そんな事ない」とこのドラマは慎吾を通じて伝えたのだ。

第9話で慎吾はついに花枝に告白する。

「俺はずっと好きだ」「女の子として好きだ」「大好きだ」「ずっと花枝に恋してる」

関係が壊れるのが怖くて”チャラくして”ごまかしていた慎吾。だが、その思いを伝えた。

結果的に花枝からの答えは「私たちは家族とか兄弟とか超えた私たちにしか分からない関係」と慎吾の思っていた通りだった。

一時は気まずい関係になるも、最終回では「花枝が幸せになるってことは俺もその幸せの中にいる」とどこかスッキリした表情だった。

「恋愛以上の関係だから恋人にはなれない」ではなく「思いを伝えたけど、他に想い人がいた」

慎吾は何も考えず思いを伝えて「恋」を終わらせることができた。そして、その「恋愛以上の関係」だった凛と結ばれているところにも、彼らにも普通の「恋」はあったんだと思えた。

また「耳が聴こえなくなった」花枝も、それが理由で「恋」を諦める事はなかった。

第6話で葉子は、こう花枝に伝える。

「世界は必ずしも悪い方向にばっか進んでない」

花枝と同じ経験をし、その先を生きる彼女の言葉は、花枝の未来を照らす光になった。

「私みたいな人でも便利な世の中になってる」

耳が聴こえなくとも、”バイブレーション付き”の目覚まし時計、スマホの翻訳ソフトというツールがある。そして、照明を点滅させる事で合図をしたり、口を読みやすいようにゆっくり話してくれる周りの人たちがいる。

どんな不条理に世界を変えられても、当たり前の幸せを手に入れる事はできるのだ。

『スタートライン』これからもずっと続いていく...

今回の物語では、『スタートライン』という曲がキーとなっていた。第1話で生演奏を聞いた時に、涙したあの時からこの曲は花枝の「ありのまま」を受け止めてくれる存在でもあった。そして、芦田との出会いであり、その「取り組み」の思い出がその曲に注がれていった。

「怖かったし辛かった。だから音を聴いて思い出を作った」

「覚えてるんだと思う頭の中で」

花枝が、恋の「取り組み」を始めたのは、「不条理に勝つため」ともう一つ、「思い出をつくるため」でもあった。

遊園地デートをした時、花枝は芦田に名前を呼んでもらいたいとお願いした。それを聞いた花枝は噛み締めるように聞き、嬉しそうだった。

「慎吾が馬鹿な事言って、凛ちゃんがバシッとツッコんで、直美さんがちょっと良い事言って、最後に迫さんが微妙な事言って、良いよね。好き。覚えとこ。」

皆の声が、あの雰囲気が、「好き」な感じは心が覚えている。思い出として。

花枝の耳が聴こえなくなっても、あの瞬間ごとの思い出がずっと彼女の心には残っている。そしてその思い出はいつまでも、あの声、あの思いをリフレインし続けるのだ。

『スタートライン』という音楽も、その一つだろう。「家族の幸せ」という思い出に、芦田との思い出が重なってどんどん大きな存在へとなっていった。

「恋ってなんだ?」

私も正直今でもよく分からない。でも何となく分かったのは、恋って紡いでいくものなんだという事。だから紡がないと分からない。経験しないと分からないのだろう。

恋って矛盾だらけで意味の分からないものだ。「嫌いなところもあるのに、それすら好き」ってなんだそれと思う。だけど、人間とは本来そういうものなのかもしれない。理屈通りにはいかないし、弱さもあって当然。誰かにわがままになったり、正しくない事もするかもしれない。でもそれでいい。それがなければ機械人間だ。苦しいに決まってる。

だからこそ、不躾で間違っていても誰かの心に踏み込んだり、ただそばにいたいと行動してもいい、理屈から逸脱してもいい。

その「心の動き」その一つ一つが「恋」へと向かっていく。それが重なって紡がれて2人の幸せが出来上がっていくのかもしれない。

「恋」は、そんな人間の面白さ、不思議さ、そして「心が動く」事、「ありのまま」でいる事の素晴らしさを証明してくれている気がする。

「恋ってしなきゃいけないものではなくて。でもやっぱり人が人を好きになるのは素敵な事だと思う。誰かが自分の事を好きになってくれるってそれはとても最高な事で。自分が好きな人が自分を好きになってくれるなんて、それはもう奇跡みたいなもので。」

最終回の芦田の言葉は本当にそうだ。恋って奇跡なのだ。人が誰かを好きになって、相手も好きだ、なんて奇跡だ。だから輝くのだろう。

そして、理屈では説明できない、決まった形などない”ときめき”や”虚しさ”そんな感情こそ、私の「ありのまま」。それを受け止めていくことで自分は紡がれていくのだろう。

なーーんて、言ってるこの話も無理やり恋を説明しようとしてるだけなのかもしれない。

「あっ」「えっ」

そんな一言でも伝わる。

「負けた。会いたい。会いたい。甘えたい。泣きたい。会いたい。待ってる。大好き。じゃあ」

投げやりに放った「会いたい」「大好き」そんな一言なのに、なんだかとても嬉しい。

「ドン。ドン。ドンドン。」

音は聞こえなくても、アンプから伝わる振動だけで『ファイトソング』は感じられる。

複雑な言葉がなくとも、伝えようとすれば伝わる。花枝が「押忍」でコミュニケーションできるというように。

恋ってそういう単純で、でも複雑で。なのに理屈では説明できなくて、とても大きな感情だけが居座るもの。でもだから楽しい。

このドラマからは、そんな「恋」を教えてもらった。そして、そうやって「心が動く」事の大切さを気づかせてくれた。

「心が動けば、未来が変わる」

劇中で花枝は「なんなん?」と度々口にしていたが、これも「心が動く」瞬間の声だったのかもしれない。

明るい未来のために、ありのままの心でいたいものだ。

 

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