「推し」は自分を映す鏡 2020.7.28
以前、このような記事を書いた。
結構前に書いたかと思えば、二か月ほど前...
コロナ以降、時間間隔が狂っているのだろうか...
ずばり言うと、今回はこの記事の焼き回しである(きっぱり
私は自分の書いた文章にあまり納得がいかないことが多い。
自分の考えや思いは文字にした時に、頭の中にある時の鮮度のようなものが失われてしまうと思っているのがその理由。
そのため、よく自分の書いた文章を見返して「うーーーん」と言うことが多い(笑)
なので今回は、内容が少々被るだろうが、「あ!ブログに書こ!」と思ったことをそのまま書いてみる。
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「自分の事を表現しろ」と言われると皆さんどうだろう?
平たく言うと「自己紹介」というやらだ。
小学校、いやもしかしたら幼稚園から呪いのようにつきまとう
「ジコショウカイ」
私はあまり好きではない。みんな嫌いな気がする。なかなか「好きだ!やりたい!」と積極的に言う人はいないだろう。
名前....出身地....学校....学年....
この辺まではいけるのだ。テンプレートの最低限の情報。
だが、それ以降何もないのだ。何を言えばいいかというお手本が。
「好きな食べ物」「好きな映画」「自分の性格」「特技」
まぁ無数にある。
人間「なんでもいい」というのが一番困るものだ。
「なんでもいい」と言うが、的外れなことを言えばヤバいやつ認定されるし、余りに印象的なことを言いすぎると、その後ネタにされる。全然なんでもよくない。
(乃木坂46の白石麻衣さん。私はデビュー初期から知ってるのだが、初期に言っていた「マヨラー星人」なる謎の設定を思い出す。ファンの間ではひそかにネタにされる。まさにやっちまったパターンである。)
そんなこんなで「自己紹介」が嫌になる。間違った選択肢を選べばホントの自分とは違う自分像が伝わってしまう。
そうであるなら「私は特に言うことないです」と言う方が幾分マシだと思ってしまう。
そもそも自分のことをわずか3分も無い自己紹介で分かってもらうなんて無理だ。
だが、自己紹介は文字通り自己の紹介。そのため他者からすればそれを聞き自分を認識する。そしてイメージを固定する。なんたる不条理...
「自己紹介」は就職活動の時期、「自己PR」なるものに変貌する。
「自己紹介」は「あんまり言うことないですね...ははっ(笑)」で済ませられたけど、こういう自分を他者に分かってもらうことを目的とする場合はやらざるを得ない。
しかも、自分の「長所」を「経験」を根拠に、端的に言わなければならない。
「ハードすぎる...」
そんな数分で自分のこと表せやしないのに、評価されるのだ。地獄である。
もはや「自己紹介」が「自己PR」と名前を変え、ゲームと化しているため、就活サイトやらキャリアアドバイザーとかいう人たちは「どうすればゲームを攻略できるか?」に絞って、戦略を学生に教え、学生もゲームクリアを目指した「自己PR」をつくる。
「もはやそれ「自己」じゃなくね?」
そんな声が聞こえてきそうだ。私もそう思う。自己紹介も大概だったが、自己PRとまでいくと、もはや「自分を表現する」から若干、いや大幅に逸脱している。
私も、ホントに「自己PR」考えることが嫌なのだが、一つこんな風にしなくても、楽しく自分を表現できる方法を思いついた。
ずばり!!
「推し」に対する愛から学ぶ!!!
である。
完全に「推し」が存在する人向けの方法。「推し」がいないという方には申し訳ない。
「推し」は作るものではなく、出来るものなので無理強いはできない。
そういう方は参考程度に見てほしい(?
さて、どういうことかというと、「推し」とは手堅く言うと「自分の好きな人」「自部の応援する人」「自分の尊敬する人」という感じである。
これで「推し」という概念を完全に語り切れたとは思っていないが、今回は許してほしい。
まぁ軽く補足すれば、
・日常のように当たり前に存在する
・遠いけど近い家族のような(オタクの主観MAX感覚)
というニュアンスだろうか。
自分で自分の事を表現するのは難しいというのは、言葉の限界という問題もあるが、
「客観的に自分を認識できない」というのが大きい気がする。
自分が当たり前にしていること。それは自分には分からないもの。
大抵それがその人の個性であり、長所であることが多い。
それを認識するために「推し」はぴったりなのだ。
「推し」はザックリ言うと、自分の「尊敬するものを持っている人」「好きだと思うものを持っている人」「目指したい目標」と言える。
であるならば、自分の価値観そのものではないか。
「推し」のレベルには届いていないにしろ、自分の価値観に近いものが知らず知らずのうちに鏡のように投影されているのだ。日々、推しのようになりたいと思っている人であればなおさらである。
そしてもう一つ何が良いのかというと、なかなか表せない自分を、的確に表す言葉が簡単に見つかるということ。
「推し」を持つ人間は、尊さゆえに、「どうすればこの人(モノ)の素晴らしさを表現できるのか?布教できるのか?」考える。
それも尋常じゃないガチさである。
そのため、「推しは優しいところがいい」「推しは真面目で堅実なんです!」
「推しはカッコいい!」「推しは可愛い!」
なんて言葉では納得がいかない。むしろ憤りを感じるレベルである。
それゆえ、「推しのこのインタビューでのこの発言!!こういう言葉選び、繊細な感性が好き!」のように、自然と「経験」を根拠に、細かくニュアンスまで自然と表してしまう。
この流れを、「自己PR」に落とし込めば理論上は最強である。というわけだ。
まぁだからといって「推しには遠く及ばないから参考にならない」とかという意見もあるだろう。確かに「推し」は憧れでもある。だから私の投影なんておこがましいと思う気持ちも分かる。
だが、この方法があれば、「自己PR」を簡単に突破する鍵になる。
そして、そうやって「推し」への愛が応用されれば、さぞかし「推し」も
「推し」冥利に尽きるというものではないか,,,,(誰目線
結びになるが、今はまだ若い学生さんたちは、自分の中で思いつめすぎず、自分の思いをしっかり伝えられる人間になって欲しい(偉そうだなすみません)
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あとがき・・・いかがでしたか?私が若干キャリアアドバイザーみたいになってる文章でしたが(笑)「推し」についても書けて個人的には満足です。なんか就活の相談するキャリアセンターの人とかって痛いところ、プライベートの踏み込んでほしくないところまでずかずか入ってきて苦手なんですよね...その上、「就活」というゲームの攻略法としては正解なんだろうけど、「なんかなぁ~」と思ってしまうのですよね。
だから、入りとして自分の好きなもの・好きな人を自分を映す鏡として見て考えればいいんじゃないかなと思い今回は書きました!!
友達にこのアドバイスをしたら、すごく納得してもらえたので、良い方法だと思います!!
最後まで読んでいただきありがとうございました!!!
したっけー!!