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「言葉」で振り返る『おかえりモネ』~一人の少女が痛みの中、見出した優しさの物語~ 2021.11.29

朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』

本ブログでは、連載として記事を投稿してきたが、ちょうど一ヶ月前に、無事最終回を迎えた。前回の『おかえりモネ』の記事から約3ヶ月。まず、楽しみにしてくれていた読者の皆様、記事が投稿できず誠に申し訳なかった。もちろん、その間も記事を投稿していないだけで、ドラマは最終回まで、優しい気持ちになったり、心が痛くなったりと胸を熱くして視聴を続けていた。

当初は、「ドラマを観ていない人にも分かるように」を意識し出来るだけ3週に一度くらいの頻度で更新していたが、今回は最終回を迎えて『おかえりモネ』の視聴者、そしてこの記事を読んで下さっている読者の方々に向けて、総括記事を投稿する事にした。

書きたい思いが溢れて非常に長文になってしまったが、良ければ最後まで読んでもらいたい。今回は劇中で印象的だった”言葉”を中心に構成している。セリフ部分は太字で強調しているので「あのセリフ良かったけど、なんて言ってたっけ?」という人は、辞書的に本記事を使ってもらえればとも思う。

また、「『おかえりモネ』を見ていない」という人も、気になったら少しでも読んで欲しい。このドラマは、全ての悩み苦しむ人、そしてその人のそばでどうしようもできず苦しむ人に「未来」をくれるものだった。必ずあなたの助けになる作品だと確信している。本記事が、そんなあなたと『おかえりモネ』を繋ぐ架け橋になれれば、そんなに嬉しい事はない。それでは、はじめよう。

 

『おかえりモネ』は気象予報士というヒーローになる物語ではない

このドラマの記事を初めて書いた時、冒頭で私はこのように綴っている。

”海” 宮城県気仙沼市の亀島で育った主人公、永浦百音(清原果耶)通称”モネ”が、”森” 宮城県登米市森林組合で勤める中、様々な人々と触れ合いながら、”空”「天気予報士」という夢を見つけ、邁進する物語。

「”天気予報士”じゃなくて”気象予報士”だろうが!」という点には目をつむって欲しいのだが、この導入部分、今ではとても違和感を覚える。

確かに、モネ(清原果耶)は気象予報士になったし、前半部分はその”夢”までの過程を描いていた。だが、最終回を終えて、このドラマの紹介をしてくれと言われると、絶対にこの文章ではないと断言できる。また、序盤の記事を読み返していて他にも引っかかる部分があった。

それは、朝岡(西島秀俊)や菅波(坂口健太郎)が、皆の命を救う”ヒーロー”であり、この物語は、そんな彼らに導かれモネが”ヒーローになっていく物語だというような表現をしている点だ。先ほどの部分は、まだ内容的に相違はないので、違和感も軽微だったのだがこの部分には強烈な違和感を覚えた。

「何言ってんの???このドラマ見てそんな事言えんの???は??」

と割と本気で自分に対して憤りを感じるほどだ。

私も、ドラマを好きで観てきて15年以上になるが、ここまで見始めた頃と印象が変わった作品は初めてだった。しかし、ドラマに対するこの印象の変化は、自然なものなのかもしれない。

なぜなら、この作品は、「役に立つ」事で心の傷を埋めようとしていた主人公が、必要な事は「役に立つ」事ではなく別の方法だと気づき向き合い始める物語だからだ。

そういう意味で、私はモネと同じ思いで考えで、彼女に同期して物語を一緒に生きたとも言える。脚本の安達奈緒子の術中にまんまとハマったとも言える。

「ヒーローを否定する物語」であり、「ヒロインという役割を否定する物語」

このドラマの中で半年間生きた私が感じた、ドラマの本質をいくつかの要素に分けて書き連ねたいと思う。

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”積み重ね”と”繰り返し” 少しずつ進んでいく時間の大切さ

モネをはじめとして妹の未知(蒔田彩珠)、亮(永瀬廉)など劇中では、様々な人の”痛み” ”苦しみ” ”悩み”が描かれた。モネは、3.11の震災の日に、地元にいなかった。皆のために何も出来なかったという思いを抱え、未知も同じく誰かのために生きる事に固執し苦しんでいた。亮は、震災で最愛の母を失い、その傷がずっと残り続けていた。彼ら彼女らの、苦しみは何度も繰り返し描かれた。

モネは、気象予報士になって働く中で、自身がこだわっていた「誰かのために」「役に立つ」に何度も向き合う事になった。亮や未知も同様に、何度も何度も自身の痛みと向き合い、時にはモネや亮、未知がぶつかり合い、傷つけあう事もあった。そうやって、同じことの繰り返しが行われてきたのが一つ、このドラマの特徴だと言えるだろう。視聴者の中には「辛気臭い。また同じことをやってる。」といった声もあった。

だが、心の傷は、そう簡単に癒えない。周りからすればなんてことない事が、その人にとっては重大な問題だったりして、理屈で解決できるような都合の良いものではない。一度受けた心の痛みは、薬を塗れば完治するといったものではなく、時間とともに深くそして広く広がって根深く残っていくものだ。

モネが東京で過ごした下宿先「汐見湯」の大家である菜津(マイコ)の、遠い親戚である”宇田川さん”の存在が、それを印象づけた。宇田川は、モネと明日美(恒松祐里)が住む部屋の隣に住む人物。一度仕事で心が傷つき、以降は部屋に引きこもるようになってしまった。当初、そんな存在だけのキャラクターに「宇田川を演じる俳優は誰だ?」と予想合戦が繰り広げられたが、彼が私たちの前に現れる事はなかった。

モネに絵や激励の言葉を直筆で送るなど、確実にモネたちとの親睦は深まっていたが、それでもあの部屋からは出てこなかった。

彼の存在が、心の傷を負って動けなくなるとはどういう事か、そして心の傷を癒す事の難しさを物語っていただろう。なんとか闇から這い上がろうとするが、また落ちて、それでもまた這い上がっての繰り返し。このドラマの中で、一度のシーンで問題が解決するということはほとんどなかった。心の傷は何度も繰り返される痛みだと私たちに伝えた。

その反面、それでも這い上がる事をやめず、積み重ねる事の大切さもこのドラマは教えてくれた。

第22週において海が荒れる予報をしたモネが、その時、海に出ていた亮に、「早く戻った方がいい」と言って欲しいと漁協の人に掛け合ったことがあった。漁協はモネに対して「地元の勘が一番」と一度は拒むのだが、そんな状況でモネの意見を最終的に受け入れたのは、地元に帰ってすぐ、カキの開口予測を当てたという経験、積み重ねがあったからだ。

モネ、未知、亮のそれぞれが抱える心の傷へ向き合うのは難しい。そして向き合おうとしても、また逆戻り。その繰り返しだ。だが、それでも積み重ねていき、前に進むしかない。

第6週「大人たちの青春」で、菅波は、治療に消極的なある患者にこう言った。

「本心なんてあってないようなもの、人間の気持ちなんてそんなもんです。でもいいんです。”一日でも生きたい” ”もう終わりにしたい”と毎日言ってることが変わっても。固定概念や意地や罪悪感のために、結論を急ぐようなことはやめて、本当に自分がそうしたいと思う方にいつでも進路を変えられるような選択をしませんか?」

これは、菅波が「迷う時間」を肯定している発言だ。朝岡の気象災害への考え方、災害を予測し回避することのできる時間「リードタイム」もそうだ。現代ではつい時間通りに動こうと、時間に追われてしまい、時間の重みを感じることを忘れてしまう。

だが、迷い続ける時間、守るために準備をする時間、そして心の傷と向き合おうと這い上がり、落ちての「繰り返し」をする時間、時間に追われず一つずつ「積み重ね」ていく時間。そんな時間が私たちには必要なのだ。

心の痛みと向き合うには時間が必要だ。劇的な展開よりも「繰り返し」「積み重ね」をドラマの展開として組み込み、そういう時間の大切さを、このドラマは描き切った。

 

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「分からないけど、分かりたい」伝える事。聞く事。考える事。

「時間」の大切さを伝えたが、それはあくまで向き合うには最低限長い「時間」が必要という意味だ。ただただ「時間」をかければ、心の傷が癒えるという訳ではない。先ほども述べたが、這い上がって落ちての繰り返しで、心が疲弊してしまう。

自分自身だけでは自分の身を縛る呪縛からは逃れることは難しい。問題を長期化させると、それが大きなしこりとして残り、他人を寄せつけず、人を傷つけようとする棘を持った殻と化してしまう。作中では未知がそうだったかもしれない。第15週「百音と未知」はとても衝撃的だった。

母方の祖母から「娘の死亡届を出して欲しい」と言われ、荒ぶ父を背に、どうしようもなくなってしまって行方知らずになってしまった亮を巡り、亮を思い続けていた未知の思いが爆発した。序盤から、”お姉ちゃん” ”みーちゃん”と呼び合い仲睦まじい様子だった永浦姉妹だったが、姉と同じく妹の未知も、震災によって植え付けられた苦しみがあった。そして、それが心の内で渦巻き増大していた。

「やっぱモネしか言える相手いないわ」

肝心な時に、亮が頼るのはモネ。自分はあの日もあそこにいたのに、なんで。という気持ちから「ズルい」「なんでお姉ちゃんなの」とモネに掛けていた服を投げつけたシーンは胸が痛くなった。その後、現れた菅波にも「あの2人は昔から通じ合ってるんです」と悪態をついてしまい、視聴者からは、未知へ厳しい言葉が多く寄せられていた。

自分の痛みや苦しみは、なかなか他人には言えず自分の中に閉じ込めてしまう。

だが、そこにそばに寄り添ってくれる人が一人でもいれば違う事をこのドラマは示した。その一人が、モネにとっての菅波だった。

私含め、菅波とモネの将来を案じる視聴者皆が、嬉し泣きをしたであろう第16週「若き者たち」のラストに描かれた菅波とモネのシーン。菅波はその場で、モネにこう告げた。

「あなたの痛みは僕には分かりません。でも分かりたいとは思っています。」

菅波のこの言葉は、『おかえりモネ』を象徴する言葉の一つといっていいだろう。心の傷を持った当事者は、それを心の中に閉じ込める。その痛みを理解する事は本当のところ他人にはできない。第22週「嵐の気仙沼」にて、亮が放った本音。

「お前に何が分かるんだ。ずっとそう思って生きてきたよ!!」

心の傷は、それを受けた本人にしか傷の深さも広さも分からない。どうせ皆には分からない。ならば、自分が周りからの言葉で余計に傷つく必要もない、周りもこんな話を聞く必要はない。だから、自分の中に閉じ込める。

モネも「そこにいなかった」事に苦しみ続けてきた。未知は「逃げてしまった」事に痛みを感じ続けてきた。そのどれもが違う痛みで、誰もが当事者だ。

モネが「地域密着の気象の仕事がしたい」と地元に戻ってきたのも、彼女にとっては菅波の言葉を受け、思いが変わったからなのだが、「なんで帰ってきたの?仕事も順調だし、結婚もぼちぼちする感じだったんでしょ?」と、何も悩みがなく順風満帆かのように菅波がモネに問いかけられたシーンからも、その難しさが分かる。心に傷を持っているからといって理解し合えるわけではない。むしろ傷つけあってしまう。

そう考えると、菅波の言葉はこのドラマの一つの解であり、心の傷を負った者の助けになる唯一の方法かもしれない。「分かりたい」と思う、「聞く」という事でいえば実は、序盤から彼のその考えは一本貫かれている。

第6週「大人たちの青春」において、気象予報士の仕事を選ぶか、森林組合に残るか迷うモネに対しては、「誰かに話すことで考えがまとまるという事はよくある」

第8週「それでも海は」で、亮とその父親、信次(浅野忠信)の助けになりたいと思っていたが、どうすればいいか分からないでいたモネに、「(どういう訳か)さっぱり分からないので、大変不甲斐ないですが、建設的な回答は何一つ出来ません。ただ、回答できない分、聞くことは出来ます。何かありましたか?」と、当時から「分からないけど、聞くことは出来る」の立場でモネに接していた。

自らの苦しみや痛みを話せないのは、それを話す事で、大げさに慰められたり、”甘え”だと一蹴されるかもしれないと感じるから。「他者には自分の痛みは分からない」とどこかで思っているから。でもそれでも「分かって欲しい」と思っている。亮が言っていた「話しても地獄、話さなくても地獄なんだよね」という言葉にもそれは表れている。

最終週「あなたが思う未来へ」では、モネの回想で度々登場しモネの傷跡とも言える「お姉ちゃん津波見てないもんね」という未知の言葉が、「助けて」「聞いて欲しい」という思いの表れだったのだとモネは気づく。第16週でモネにすがる亮も「分かってんでしょ」と半ば強引に迫るシーンがあったが、これも、第22週の「お前に何が分かるんだ」という発言と合わせて見ると、「俺以外には俺に痛みは分からない」という思い、「でも一人で背負うのは辛い。誰かに分かって欲しい」という矛盾した二つの思いがある事が分かるだろう。

「分からないだろうけど分かって欲しい」に寄り添うためには、こちらも「分からないけど分かりたい」という思いをしっかりと持っておかなければならない。ただただ「分かりたい」と思うだけでは、独りよがりな「役に立つ」になってしまう。

第17週「わたしたちに出来ること」では、東京でのモネの同僚気象予報士、神野(今田美桜)が、”説得力”で悩む様子が描かれた。その中で、神野は説得力に必要なのは「経験」であるとし、自分は「本当、ハッピーに生きてきたからなぁ。そこそこチヤホヤもされてきたから」と、自身にその「経験」がない、そして自分のやるべき事が分からない事に苦悩した。だが、そんな神野が出した答え。自分のやるべき事、自分が出来る事が、”考える”事だった。

「何もないなら、何もないなりに考える。世の中にどんな人がいるのか。ものすごく辛い経験をしている人がいるのかもしれない。何か事情があって動けなくなっている人がいるのかもしれない。そんな人が私を見ているんだって一生懸命考える。」

確かに、その人の心の傷や痛みの全部は、その人にしか分からない。もしかすると本人だって「何が辛いのか」分かっていないかもしれない。だけど、少しでもそこに近づきこうと想像する事は誰にでもできる。

「生きてきて何もなかった人なんていないでしょ。何かしらの痛みはあるでしょ。」

これは第16週で同僚の気象予報士内田(清水尋也)がボソッと口にした言葉だが、痛みの大きさ、種類は違えど、皆”痛い”って感触を知っているはず。だから、想像すること自体はできる。何もないように見える人だって、亮や未知、モネのように笑って隠してるかもしれないし、痛みを感じながら、それでもそれを何かで麻痺させて、痛みを感じないようにして生きているかもしれない。言えないだけ。言いたくないだけ。言わないだけ。

だから、そんな人の前で出来る事は、アドバイスをするのではなく、ただそばでその人の思いを聞くこと、「分かりたい」という姿勢を示すことなのだ。その人の痛みを想像力をフルに活用して受け止める事なのだ。

 

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それ故に、伝える事も大事になる。気象予報士になるために、菅波がモネに勉強を教えていた時も「まずは雨が降る仕組み、空気が冷やされると水や氷が表れる。その一つの事だけを考えるようにしましょう。他の事は考えないでおきましょう。」と伝えており、「伝える」という面はその時から意識されていた。飽和水蒸気量を理解できないモネに、実際コップに氷を入れ、溶けて水滴がつく様子を見せ「実践的な理解」を促した。

これは、第18週「伝えたい守りたい」において大型台風が近づいた際に、モネが、この少し先の未来に起こる事をできるだけ具体的に想像できるように伝えるという場面に繋がっていた。当事者は、伝わらないものだとしても「伝える」努力を。非当事者は、分からないものだとしても「分かろうとする」努力を。

「伝える事」「聞く事」「考える事」ができれば、心の傷をやわらげる事が出来るかもしれない。だが、それは難しい事だ。だって面倒くさい。だって「分からないものは怖い

だから、皆それをしない。関わる全ての人間にそれが出来ればいいが、それもできない。でも少しでも、「分かりたい」と思う人がいるなら、そうやって寄り添う事がその人を救う事になる。

「誰かのため」の役割からの解放。自分の「したい」で選ぶ。

モネは、3.11のあの日から「役に立つ」事に固執してきた。「役に立つ」とは「誰かのためになることでもある。だが「誰かのために」生きるという事は、時に自分の首を絞める。なぜなら自分より相手を優先するという事でもあるからだ。

モネが「役に立つ」に縛られたあの日、一人で心細いながら祖母、雅代(竹下景子)を連れて避難してきたと思っていた未知も、最終週、実は祖母をおいて逃げており、彼女もそんな罪悪感のために「役に立つ」に縛られていた。劇中では、様々なものが登場人物を縛りつけた。

”場所”

”地元”から逃げた(離れた)モネ、”地元”から離れられなくなった未知。

”イエ”

家業であるカキの養殖業を継がなかったモネの父、耕治(内野聖陽)。代々伝わる寺の住職を継がないつもりでいたモネの幼馴染、三生(前田航基)

”親”

震災で亡くした母の面影に、そしてその母を忘れられず大好きだった船に乗れなくなってアルコール依存症になった父、信次のために動く亮

”性別”

”女”である事で、キャスターとしてやりづらさを感じていたテレビ局の高村(高岡早紀)

”慣例”

「上からなじられて成長する」やり方が当たり前の時代に生きた朝岡と高村

”守ろうとした人”

自分の勝手な思いで、誤った判断をし、患者の将来を黒く塗ってしまった菅波、震災の際、担任をしていた小学校の子供たちより、自分の子供を優先しようとした母、亜哉子(鈴木京香)

人は誰しも、何かに縛られている。このドラマでは、皆が何かしらに縛られていた。そんな印象が強い。そういった鎖は枷は、傷をそのままにするだけでなく、その心を束縛することで、さらに心に傷を与え続ける。

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この作品の印象的なセリフの一つだったと言える「あなたのおかげで助かりましたっていうあの言葉は麻薬です」この言葉が端的に、モネを縛る「役に立つ」の正体を表していた。

「気持ちいいでしょ?単純に。全ての不安や疲れが吹き飛ぶ。自分が誰かの役に立った。自分には価値がある。そう思わせてくれる。自分は無力かもしれないと思っている人間にとってこれ以上の快楽はない。脳が言われた時の幸福を強烈に覚えてしまう。麻薬以外の何物でもない。そして”また言われたい”と突っ走ってしまう。その結果、周りが見えなくなる。行きつく先は全部自分のためだ」

菅波は、その言葉を第12週「あなたのおかげで」でこう説明していたが、”麻薬”である一方で、呪縛でもある事を表していた。自分を顧みず「誰かのため」に「役に立とう」とすれば、行きつく先は「自分のため」それは「役に立っている」という快楽であり、一度はまってしまえば、永遠にそのループから抜け出せず、永遠に「自分のため」に生きられなくなってしまう事を示している。

それは逆説的に、「自分のため」に生きられなければ、「自分の意思で」選択しなければ、「誰かのために」なれないという事だ。

未知や亮を見れば、それは一目瞭然だろう。未知はモネや周りの人の前で「優秀な妹」を演じ続け、中盤にかけては特に、思いを寄せる「亮のための存在」としての役割に縛られていた。そして、「祖母を置いて逃げた」事が、「誰かが残らなきゃ」と彼女に「地元に貢献するいい子」を強いた。

亮も、「ずっと笑顔な地元のアイドル」を演じ、中盤以降は「父のための存在」、「父そのもの」の役割を担おうと一人で苦しんできた。(アイドルである永瀬が「ずっと笑顔のアイドル」の役割を強いられる役を演じるという点、偶然だろうが、最も痛みが響いた良いキャスティングだと感じた) ”自ら”が”自分の”船を買うのにも関わらず、第22週で亮は「親父が好きそうな型だから手に入れたいんです」という笑顔で口にしている。これも、亮がどれだけ自分よりも父を、家族を優先しようとしてきたかが分かるのではないだろうか。

彼女たちの選択は全て何かに強いられたものだった。そのどれもが、自分が「したい」と思ってした選択ではなかったのだ。

どれだけ時間がかかっても、そうやって縛られた故の行動ではなく、自ら選び取る事の大切さを描いたのも、このドラマの際立ったところであった。

実家の寺を継ぐ気はなかった三生も、地元の人の笑顔が見たくて「やりたい」と結局、住職になった。家業のカキの仕事が嫌で、都会の仕事である”銀行マン”になった耕治も、家業の、そして父である龍己の存在の大きさに気づき「なくしたくない」と、困難が待っているのにも関わらず、結局、海の仕事を選んだ。

そして、モネも、東京に行き、自分の性に合わない”お天気お姉さん”を勧められた際に、自分でその仕事を選んだ。モネがその準備をする中で、少し弱気になる部分では、野坂に「自分で決めたんでしょ?」のような言葉をかけられていた(ここのセリフは少し記憶が曖昧だ。申し訳ない。)

また、気仙沼で自身の描く「全国津々浦々の気象予報士」のプロジェクトに取り組む中、自然に対し自身が無力である事、そしてそれ故に、頼ってくれた人にも何もできなかったと弱気になるシーンでも、相談を受けた菅波が「自分で選んだんでしょう?」と声をかけており、「こうありたい」「こうしたい」という自身の思いで、自ら選ぶ重要性を視聴者に訴えかけた。

「ずいぶん、遠回りするよね。今から漁師って。」未知のその言葉、皆が思う事だ。だけど、それに対し亜哉子は

「やりたいことは変わってもいいし、いつ始めてもいい」と幸せそうにつぶやくのだ。

その言葉を受けて最終週でモネも「一度なんかを諦めたり、またやってみたり、みんなそういうのでいいんだなって」と言っている。

時間がかかってもいい、途中からやり始めてもいい、途中でやめてもいい。だから自分の「やりたい事」「したい事」をしなさい。

背負った傷は、消えない。過去も消えない。でも、その傷を自分の中心に「アイデンティティ」にしてはいけない。その傷が残り続けたとしても、その傷を理由に選択を続ける限り、その傷は痛み続ける。何かうまくいかないことがあった時に「私のせいじゃない。私がしたくて選んだんじゃない」と言い訳にしてしまう事だってあるかもしれない。

哲学者のモンテーニュが述べた言葉に「自分を他人に貸し出す事は必要だが、自分だけにしか自分を与えてはならぬ」という言葉がある。この言葉の通り、自分を一時的に「他者のため」に貸してもいいが、「自分」自身は自分以外のものに与えてはならない。「誰かのため」に自分自身を手放す、他者に受け渡すことに慣れてしまえば、いつの間にか「自分で選ぶ」事が出来なくなってしまう。

だからこそ、「自分」が「したい」と思う選択をする事、それが「自分」の存在を自分で保持することであり、「他者のため」に「役に立とう」とした者が呪縛から逃れるための方法なのだ。

意味なんかいらない。役に立たなくていい。「ただ、そこにいる」

冒頭に私が過去記事で「ヒーローになる物語」に強烈な違和感を覚えたと述べたが、その違和感の正体に当たるのがこの部分だ。

このドラマは、モネが「役に立ちたい」と気象予報士を目指す。そんな一辺倒な話ではなかった。それはここまで述べてきた内容からも分かると思う。「役に立つ」は、聞き心地の良い言葉だが、このドラマにおいて、その正体は彼女の心の傷そのものだった。

彼女の心の傷、というかここまで具体的に挙げてきた未知や亮にも言える事だが、「こうあって欲しいのに、できなかった(できない)」「だから、私がやらなければならない。私が苦しい思いをしてでも」という考えから来る考え、それが「役に立つ」という形で表象されたのであろう。出来なかった故に、傷つけてしまったという痛みが「役に立てなかった」となり、「役に立たなければならない」と彼女たちの心を縛り続けたのだ。

それは、モネが「役に立つ」事に邁進すれば邁進するほど、その傷はモネの心の奥深くに広がって、「自分」を傷つけ続ける。

「ヒーローになる物語」とこの物語を称するのは、ヒロインを美化し憧れの的として捉え、モネ自身が自らを傷つけることを助長する事になる。それ故に、最終回を終えた私は激しい違和感を覚えたのだ。

序盤、「役に立つ」方法を探していたモネに、サヤカがこう言ったのを覚えているだろうか。

「死ぬまで、いや、死んだあとも、何の役にも立たなくったっていいのよ」

この時は、「役に立つ」事には、感謝だけでなく、責任も求められるから「別に役に立たなくてもいいんじゃない」という軽微な意味で捉えていた。だが、先ほどの「役に立つ」という言葉の意味を考えれば、モネの痛みを感じ取ったサヤカなりの言葉だったのではないだろうか。

「役に立つ」の否定。それは、モネの心の痛み、もしくは呪縛を和らげ、解くという意味でもある。物語が進むにつれ、サヤカのこの言葉はさらに様々な人の、様々な言葉でモネに訴えかけられ続ける。

”想像力”という観点で前述した第17週「わたしたちに出来ること」において、神野は当初、”説得力”には「経験」が必要だと考えていた。そして隣にいたモネを見て「傷ついた経験がある人は強い」と言うのだが、そこでいつもは温和な菜津が声を強くしてこう言ったのだ。

「傷ついている人の方が強いなんて、そんな...そういう事は言っちゃダメ。傷ついて良い事なんてなんてない。傷ついて本当に動けなくなってしまう人もいるから。神野さんが心からハッピーに生きてこれたならそれは素晴らしい事。神野さんがそういう力を持った人だったんだし、周りの人も素敵な人だったんだと思う。人は傷つく必要なんてない。絶対にない。何も無くてもいいじゃない。どんな人もいるだけでいいじゃない。そこにてくれるだけで。神野さんもモネちゃんも私から見たら十分すごい。でも、そういうところにいない人もいるって時々思い出してくれるといいな。」

筆者自身もこのセリフが、菜津から語られた時には、とても驚いた。いつもは温和な彼女が、強い語気、そして強い言葉で神野の言葉を否定したからだ。

”苦労”を美徳とする文化は、日本では根強い。「若い時の苦労は買ってでもせよ」なんてことわざもあるくらいだ。だが、「傷ついていない人は、他者の心の痛みが分からない」「傷ついた経験を持っているから、人の心に寄り添える」これらの言葉は正しいだろうか?

その答えはNOだ。傷ついた事があるかを人間性の裏付けにしてはならない。モネは神野から「傷ついた経験がある人は強い」と言われて、笑って受け流していた。だが、それはダメだと、菜津は言ったのだ。

自らの心の痛みを無視し、「役に立つ」事に進むことは、自らの心の痛みをどこかで正当化する事でもある。だが、それではその「痛み」はずっと奥底で残り続ける。

「傷ついても役に立てればいい」

その論理は、自分で自分に麻酔を打ち、無理やり生きていくようなものだ。傷ついた経験を簡単に美化してはいけない。それで得たものがあったとしても。そんな事経験しない方がいいに決まっているのだ。「あの経験は無駄じゃなかった」なんて言ってはダメなのだ。辛い時は”辛い”、痛いときは”痛い”、苦しい時は”苦しい”とありのまま言える自分でいていい。そうなくてはいけない。サヤカが「役に立つ」の否定という形だとすれば、菜津がモネに伝えたのは、その先にある「そこにいるだけでいい」「ありのままでいい」という事だった。

物語後半、菅波は、自身の心の痛みであった元プロホルン奏者の宮田(石井正則)とばったり遭遇する。宮田は、菅波が研修医時代、助手として担当していた患者の一人で、手術を早期にすべきか、化学療法でゆっくりと治療するかの判断を迫られた際、宮田にとって大事な演奏会が近くあるということで、気になる所見が見られたが早期の治療を主治医に助言しその通り進めた。

だが結局、宮田がその演奏会に出る事はなく、プロホルン演奏者として再び活躍する事はなかった。菅波はその時の判断をずっと悔やみ、モネに出会うまでは、「患者には深入りしない」という考えを貫いていた。

そんな彼は、現在、ボイラー整備士として働いていた。当時は菅波に対して怒りの感情もあったというが、彼は、楽器の手入れをするようにボイラーを修理しながら「今の仕事すごく好きなんですよ」という言葉に続いて菅波にこう言った。

「”今、私は生きている”それが大事なんだ。」

やるせない何かがあっても、生きがいだったものを失う事になっても、「ただ、そこにいる」それだけあれば、十分なのだ。生きていて、そこにいるだけですごいことなのだ。菜津の言葉とも、そしてサヤカの言葉とも繋がって見えてくる。

そして、「ただ、そこにいるだけでいい」というメッセージは、モネの同級生の言葉からも私たちに伝えられた。

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第16週「若き者たち」で、行方不明になっていた亮がモネと無事に戻った後、三生と悠人(髙田彪我)が仙台から駆け付け、モネと明日美、未知、亮といった”地元の幼馴染”勢ぞろいで話をするシーン。このシーンは「ファン感謝祭in気仙沼」にてファンが選ぶ好きなシーン第一位にも輝いた。

震災以降、亮の事を含めた震災の事について話さずに避けていた幼馴染が、この場面をきっかけにその心の傷に向き合うとても印象的な場面なのだが、そこで三生が呟いた言葉に「ただ、そこにいるだけでいい」というメッセージが込められていた。

このシーン冒頭で、幼馴染たちが、昔UFOを呼ぶといった遊びをしていた事が、思い出話として語られる。その中で「でも、もうUFOは来ない」と亮が呟く。

震災の日以降、家族を失った者と、そうでない者。つまり亮とそれ以外の皆の間には壁が出来てしまっていた。それまで”地元の幼馴染”として皆が同じ気持ちで、同じものを経験し共有してきた彼らにとって、あの日は、その共同性を失う一日になっていた。

”UFOの話”はその比喩として作用している。震災前までは、皆が手を繋ぎ心を一つにすれば何だってできたし、何だって乗り越えられた。そうUFOだって呼べたのだ。

だが、震災後は心に壁が出来て、手を繋げなくなった。物理的にも、地元から離れた人もいて、手を繋げなくなった。そして、互いの思いの内を打ち明ける事を拒み、それを感じる事もできない。地元で働く人もいれば、その選択をしなかった人もいて、心はもう一つにはならない。だからもう何も乗り越えられない。UFOは来ない。

震災以降、そして大人になって、「皆で何でもやれる」という絶対的な気持ちや確信がなくなったという失望を”UFOが来ない”事が表している。

だが、それに反論したのが、三生だった。

「皆バラバラなとこいたってこれからもUFO呼べんだよ。信じてるよ。手なんか繋がなくたっていい。心を一つになんかしなくたっていい。俺らはUFOだってなんだって呼べんだよ。」

彼のこの言葉は、前述したサヤカ、菜津の言葉と共通して『おかえりモネ』の中で一番大事に伝えられたメッセージだったように思う。

震災以前に彼ら幼馴染を繋いでいたのはいわゆる「絆」だと思う。”手を繋ぐ”であったり、”心を一つにする”という言葉にもそれが表れている。だが、三生は言うのだ。”手なんか繋がなくていい” "心を一つにしなくていい”と。これは、ある種、「絆」の否定ではないだろうか。

サヤカの言った言葉が「役に立たなくてもいい」、菜津の言った言葉が「そこにいるだけでいい」と形容されるなら、この三生の言葉は「意味や理由なんかなくていい」だと思う。

「絆」という言葉は、とても良い言葉として使われ、悪い印象を受ける人は少ないだろう。実際、「絆」というものは素敵なものだし、強いものだと私もそう思う。だが、その一方で「絆」という形を美化するあまり、無理やりその枠組みを強制したり、「それがないから生きづらいんだろ」といった的外れで、生きづらさを持つ人を余計に苦しめる考えに発展する事もある。

だからこそ、三生のこの言葉が意味するのは「生きづらさを解消し、心の傷を癒す方法は「絆」だけではない。」という、「絆」で救われない、むしろ「絆」が美化される世界だからこそ、生きづらさを覚えてしまっている人々への、これ以上ないメッセージだったのではないだろうか。

そういう意味で、この三生の言葉は抽象的ではあるが、この物語の心の痛みへの向き合い方を非常によく表していた。

「遠くにいるから」「しばらく話してないから」「向こうは忙しいから」「きっと幸せにしてるだろうし邪魔しちゃいけないから」「あの頃とは変わったから」

そんな全ての「意味」を否定し、「話したいんでしょ?」「聞いてあげたいんでしょ」と問いかけてくれる。

「友達」「家族」「同級生」「同僚」

そんな肩書きを全部否定して、「聞いてくれる人なんでしょ?」「話したいと思える人なんでしょ?」と言ってくれる。

『おかえりモネ』に根底に流れる思いやりは、「役に立つ」「助け合う」などの様々な意味や理由を無視し、「そこにいるだけでいい」「そばにいるだけでいい」と肯定してくれる、とても揺るぎない確固たるものだった。

不条理な現実に立ち向かう術は「綺麗事を信じる事」

さて、ここまで私がこのドラマから感じた事を書き出してきたが、「そんなの綺麗事だ」そう放送中つぶやく人もいた。私のここまでの解釈も「そんなの絵空事だ」とやじられるのかもしれない。確かに、これはドラマだ。所詮は”作り物”であり、”理想”であり、”綺麗事”だ。それは間違いない。だが、このドラマはそうやってフィクションの外から、モネたちを覗いていた私たちをも巻き込んで、心に寄り添った。

ここまで、メインテーマである”気象予報”に触れてこなかったが、このドラマにおける気象は綺麗事の真逆にある不条理な”現実”として幾度もなく描かれた。モネの心の傷になった東日本大震災を始めとして、台風や大雨。ドラマの中では様々な災害が起こる。気象災害は、突然、我々に牙をむき大切なものを無慈悲に奪っていく。朝岡も「私たち(気象予報士)の力を過信してはいけない。(中略) 不確かな未来を自分たちの思うように操作できる訳ではない」と言うように、災害の前に私たちは何もできない。

そして、そんな災害に限らず、どうしようもない、どうにもならない不条理な”現実”は私たちの日常に溢れている。「そんなのはドラマだ。綺麗事だ。」と”作り物”を見て、口にする人たちの意見も分かる。決してそううまくはいかない。なのになぜ、そんな絵空事を見せるのかと。無駄に希望を抱かせるのかと。

当然、”綺麗事”だけではうまくいかない。モネも、自らが実現させたかった「気象予報士津々浦々計画」を実行に移す際、「ビジネスとして結果を出さなければならない」という”現実”を突き付けられた上に、地元の農家の人の力にもなれず、思うようにはいかなかった。ドラマの中でそうであるならば、現実はもっと悲惨でどうにもならないのかもしれない。

だが、このドラマが私たちに見せたのはただの「綺麗事」でもなければ、「”綺麗事”は無力だ」という事でもない。”綺麗事”を「信じる」事が生み出す力、それこそが希望なのだという事だ。

キャスターが内田に代わり自分は無力だと自信喪失していた神野に対し高村は、

「仕事に優劣つけてるなら失礼よ。それから、自分で自分をおとしめるのもやめないさい。”私みたいなのは”なんて言っちゃダメ。誰よりも自分が、あなた自身が実力で勝負できるって信じなさい。信じられるようになりなさい。」

と神野に叱咤激励の言葉を与えるのだが、この言葉は「女性だから」という理由で選択を強いてきた不条理な”現実”の中で生きてきた高村が、出した一つの結論だと感じる。

どんな不条理が襲ってきたとしても、自分を信じろ。自分の思いを、信じろ。綺麗事を信じ抜け。そんな風に聞こえる。

”綺麗事”といえば、モネが地元に帰ってきた時、モネの「どうしてもこっちに帰ってきたかった」という言葉に当てられた亮の「地元のために働きたかった?綺麗事にしか聞こえないわ」という言葉が印象的だろう。それはまさに、不条理な現実の前に絶望した亮だからこその言葉だったように思える。

そんな亮が海の上で立ち往生して帰って来れなくなった第22週。不条理な”現実”を表現する言葉としてこの項で、最初に取り上げた朝岡の言葉は、この時、大事な人を奪われてしまうという恐怖の中で、パニックになるモネに言った言葉だったのだが、あの言葉には続きがあった。

「祈るしかできないという経験を私たちは何度もしています」

そう。不条理な現実に対して私たちが取れる行動は、「助かれば良い」「良くなればいい」「皆が幸せであればいい」と自身の願望、綺麗事を信じ、祈る事しかないのだ。「それしかできない」という後ろ向きな考え方もできるが、裏を返せばそれはできる。

大きい台風のあおりで被害を受けたモネの実家。「何もできなかった」ともう言いたくないと橋を渡って来たモネが見たのは、被害をものともせず、笑って皆で協力し復旧活動に勤しむ家族や地元の人たちの姿だった。それを見て”強いね”と口にしたモネに祖父、龍己(藤竜也)はこう言った。

「強いんじゃねえんだよ。何つうかな...しぶといんだな」

強いのではなく、しぶとい。その言葉にあるように、不条理な現実に何もできなくとも、無力だとしても、綺麗事を信じる事しかできなくとも、それを諦めない。信じ続ける事、それが一番の力になる。それが”しぶとい”ということではないだろうか。

「綺麗事」を捨てれば、世界は今よりもっと窮屈で暗くなる。「暗黙の了解」「建前」「正論」に支配されてしまう。だから、世界を少しでも優しく温かく良くするには「綺麗事」を信じる事しかない。「綺麗事」自体に意味があるのではなく、現実も全て受け止めて「綺麗事」を信じる事が大事。それが強さになるのだ。そして、それは不条理な現実に対する唯一の対抗手段なのだと、このドラマは教えてくれたのだと思う。

モネが進む”未来”

ここまで様々な視点から作品を見てきた。自らの、そして他者の心の痛みに、心に寄り添うにはどうすればいいのかを描き続けてきたのが『おかえりモネ』という作品だったと思う。物語終盤、モネは、これらの視点をもって自らの心の痛みに向き合い、前に進んでいく。

第19週「島へ」にて、「何もできなかった」と再び後悔しないために、島へ帰ったモネが、台風被害に遭いながら笑顔で復興作業をする地元の人々を見て呟いたのは、こんな言葉だった。

「自然を前に為す術がない時でも、明るく前を向こうとする姿に「あぁ...すごいな...こういう皆と一緒に生きていきたい」そう思いました。”役に立ちたい”って気持ちは変わらずあります。でもそれ以上に「そばにいたい」と素直に思えた。」

これまで、震災の経験で「役に立たなければいけない」と、形骸化した「役に立つ」に固執していた彼女が「そばにいたい。だから役に立ちたい」としっかりとした自分の”選択”として、自らの思いを告白したのはとても印象的だった。

何度も紹介している第20週の、地元に戻って来たモネが亮に「そんなの綺麗事だ」と言われるシーン。実はその後、モネはニヤリとしながらこう呟いている。

「自分がいなかった時間を埋めるのはしんどいけど案外面白い」

これまで、震災のあの日「自分がいなかった」ことを重く受け止めていたモネ。その事が彼女と幼馴染との壁になってしまっていた。そんな彼女が、いなかった事で出来た空白を肯定的に「案外面白い」と捉えていたのは、放送当時とても驚いた。周りと違う経験、思いがつくった空白、違いは大きなものだ。それと向き合ってこれから先を積み上げるようとするのは並大抵の事ではない。だが、彼女はその中に、面白さを見出していた。

物語序盤から「役に立つ」に拘って、自分よりも他者を優先するが故に自分で自分を苦しめてきたモネが、徐々に活路を見出した終盤。その中でも特に私自身が「もう大丈夫だな」と思ったシーンがあった。それはあかり(伊東蒼)、水野(茅島みずき)とのシーンだ。

あかりが登場したのは、第21週「胸に秘めた思い」モネの職場である「はまらいん気仙沼」のスタジオ兼オフィスにふらっと現れた彼女。制服に赤いマフラーを巻いており、その風貌はかつてのモネを思わせた。何よりも、かつてのモネと同じように何かに悩んでいるようだった。そんな彼女に声をかけたモネは、あかりとこんなやり取りをする。

あかり「どうして気象予報士になろうと思ったんですか?」

モネ「誰かの役に立ちたいと思ったから」

あかり「なんか”綺麗事”っぽい」

モネ「あなたの言う事は正しいと思う」

中学生であるあかりに対しても、子ども扱いせず誠実に話をするモネに素敵だなと思ったシーンでもあったが、亮にも言われた”綺麗事”という言葉がここで彼女から再び飛び出した。その時と同様、モネは「綺麗事だ」という彼女の意見を否定せず、しっかりと受け止めた。相手の意見を否定せずとにかく「聞く」、そしてその上でモネ自身の「綺麗事」だとしてもそれを貫くという態度が見え、彼女の成長が垣間見えたシーンだった。

その後、あかりが、モネの母亜哉子が教師をしていた時の教え子だと判明。”先生”に会いたいというあかりの願いに応え、モネは母を会わせる。そしてあかりは自身の悩みを亜哉子に吐露した。

あかりは、元々、気仙沼に住んでいたが親の仕事の都合で引っ越していた。だが、その後また気仙沼に戻ることになった。向こうで出来た友達と離れたくはなく、本当は戻りたくなかった。だが、気仙沼も嫌いなわけではなくむしろ好きで、親が喜んでいるのを見ると「ずっと言い出せなかった」とその胸中を明かした。

この点は、第16週で苦しむ亮のことを案じる幼馴染の会話で出てきた明日美の「漁師なんかやめて仙台でも東京でも来ちゃえばいいじゃん。何で地元で頑張ってるからえらいみたいになる?そういう空気があるからりょーちん辛くなってんじゃん。」という言葉に、「決めつけないで。辛い事あるかもしれないけど、そこだけで辛くなってるとか決めつけないで。」と返した未知の胸中が重なるようだった。「辛い」「やめたい」「戻りたくない」そう言ってしまえば、全てがマイナスだったのだと相手に思われてしまう。でもそうではない。楽しいこともあったし、好きなところもある。その微妙な心の内が正確に伝わらないもどかしさと、好きなもの楽しいものまでが否定されてしまう苦しみが生まれてしまうかもしれないと思い、簡単に悩みを言い出せないのだと改めて感じさせられる。

亜哉子は一つ一つそんなあかりの思いを受け止め、彼女は一つ心の詰まりが取れたようだった。そして「また家に遊びに来て」と言うモネに彼女は「助けてもらってばっかりで悪い」と呟く。それに対してモネが返した言葉を聞いて、私はそんなモネに涙した。

「違うよ?あかりちゃんを助けてるようで、こっちも助けてもらってるから。いや、それにね?もし助けてもらってばっかりだったとしても、”それはそれでいい”っていう世の中の方が、いいんじゃないかな。」

「助けてもらったから返さなくちゃ」なんて思わなくていい。助けられるときに自分の出来る分だけその人にしてあげればいい。「役に立つ」事に固執しなくとも、自分が「したい」と思ってする行動が、積み重なっていけば、結果的にそれがその人のためになる。そして、それが巡っていく。サヤカや菜津の言葉を受けて、自分のありのままの姿であかりに笑いかける彼女の姿は、とても穏やかでそれでいて強く見えた。そしてこの言葉からは、かつて、気象の仕事に関わる中で出会った車いすラソンの選手、鮫島(菅原小春)がモネに説いた言葉が思い出される。

「私が100%自分のために頑張ってることが、巡り巡ってどこかの誰かをちょこっとだけでも元気づけられてたら、それはそれで幸せやなと思う。自分が自分のためにと一生懸命やってる事が、誰かのためになったらそれが一番いい」

この言葉を聞いた時、このドラマの”ゴール”のようなものをこの言葉に感じていたが、終えてみると、モネがこの言葉を、考えを自らの心でで受け入れ言葉にするまでがゴールだったのだと、あかりちゃんに呟いた言葉を聞いて感じた。助けて貰う事に、申し訳なさを、罪悪感を覚える世界なんておかしい。それが”現実”なのだとしたら、「助けて貰ってばかりでもいい」が””綺麗事”だとしても、「それでも」私はそれを願い続ける。そんなモネの覚悟も感じられた。

水野は第20週から登場した東京から気仙沼に来ていた大学生。気仙沼で何か自分にできることはないか、役に立てないかと来ていた彼女だったが、「外から来た自分に何が出来るの?」と一度、東京に戻っていた。そんな彼女が再び、気仙沼に来た際、その悩みにモネはこんな言葉をかけた。

「それはもういいんだと思う。また会えてすごく嬉しい。”何が出来る”とかじゃなくて、水野さんが、短い時間でもまたここに来てくれたことが大事だし、もうそれだけでいいんだなって」

この言葉で、水野は安堵の顔を浮かべるのだが、この言葉もまるでサヤカがモネに説いた「死ぬまで死んでからも役に立たなくていい」という言葉、そして菜津の「そこにいるだけでいい」という言葉を踏襲した言葉だ。モネの言葉として「意味なんて」「役割なんて」いらない、「そこにいるだけでいい」という考えが聞けたのは、やはり嬉しいし、安心した。そういう意味で、あかりと水野とのシーンはモネ自身が「あの日」抱えた傷を受け入れ、前に進み始めた事を印象付けるシーンになっていたと言えるのではないか。

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モネと進む”未来”

この物語においてモネに欠かせない人と言えば誰だろう。まず確実に最初に出るのは菅波だと思う。気象の仕事の中で、幼馴染の中で、様々な経験の中で、心の傷と向き合い前を向いて歩き始めた彼女だが、菅波との二人の空間で醸成されたモノも大きかった。中でも印象的なシーンは前述もしたが、第16週ラストのシーンであろう。ずっと微妙な距離感を保っていた二人だったが、このシーンで菅波が動く。

これまで他者、特に何か事情を抱えた人に対して「深く踏み込まない」ようにしてきた彼だったが、そんな彼がわざわざモネに会いに来る。そして、「あなたがずっと、抱えてきた事を、僕が正確に理解して受け止められるとは思えない。ただ、あなたに出会って、自分が少し変わったと思っています。今なら少しは受け止められる、いや受け止めたい。」とモネに告げる。思わぬ言葉にモネは、動揺してそのまま帰ろうとする菅波を「あ、待って」と引き止める。

この時点で、菅波が自ら選択して「受け止めたい」という姿勢でいる事が、モネにとっては驚きであり、同時に「この人の胸に飛び込みたい」「頼りたい」という思いと、「それはダメだ」という思いが錯綜した状態だった。ここまでの関係性と、受け止めたいと心のドアを開けてくれている人がいれば、迷わず飛び込んでしまいそうだが、モネの場合そうはいかない。なぜなら、直前に亮にすがられたモネは「これは違う。私はりょーちんのことを”かわいそう”とか絶対に思いたくない」「これで救われる?」と、亮に対して心の扉を開かなかった事が自分では正しいと思っていてもどこかで引っかかっていたからだ。

そんなモネに菅波は、自身が大学病院を離れ、登米の診療所に専念する事を告げる。それに対してモネは亮の声に応えられずに、自分だけ「先生が目の前からいなくなるのが嫌だ」と思っている自分に呵責を覚え、一度掴んだ菅波の手を離す。

だが、そこで菅波はモネの手を掴み抱き寄せる。文字ではなかなかうまくここの空気感を表せないのだが、何が言いたいかと言うと、ここで菅波がモネに対し「受け止めたい」という姿勢を見せ、そこに頼る事にすら迷い拒んでしまう彼女を強引に引っ張った事が、モネの心の傷に向き合う第一歩になったという事だ。

彼女が、亮の助けを拒んだ事は正しい。「これは本当の思い合いではない」「ただの依存だ」そう思ったからだろう。何より彼女が本当の意味で「そうしたい」と思えなかったから。だが、モネは不条理に傷つけられた亮の心の傷に寄り添いたいとずっと考えていたし、そんな彼のために「何でもする」と思ってきた。それ故に苦しかったのだ。自分だけ「わがままじゃないか」と。

だが、見方を変えればモネはずっとそんな亮の「亡き母」の役割をずっと担わされてきたとも言える。自分の意思よりも、「役に立たなければならない」という思いが優先される。そんな状態だった。

だからこそ、菅波自身が「この人のそばにいたい」と思い、無理やりにでもモネを”役割”から解放した事は、モネにとっては救いであり、向き合うために欠かせないものだったのだ。役割から解放されたモネが翌週、第17週で仕事が忙しくなかなか会えず「寂しかった」という感情をあらわにして、菅波の胸に飛び込んだところまでをセットにして見ても、やはり菅波光太朗という人物との出会いが、彼女が前に進むためには必要だったのだと思わされ、ただの”恋愛関係”には収まらない強い繋がりを感じさせる。

菅波の次に、モネに関わりがある人物と言えば、こちらも皆が口をそろえて答えるのではないだろうか。多分、未知と亮ではないか。

モネ、未知、亮はそれぞれ同じであって違う。 皆、心に傷を持っているが、震災のあの日からそれぞれが異なる痛みを抱えてきた。この物語の中でも特筆すべき三人だった。モネは自ら、心の痛みを抱えながら、いや自らのその痛み自体が、彼女たちの「役に立ちたい」「救いたい」というものであったため、ずっと苦しみながらも彼女たちに接してきた。未知には「何でも頼れる姉」であろうとした。亮には「亡き母の代わり」の役割を知らず知らずで担っていた。だが、菅波によってその役割から解放されたモネが、彼女たちの役割からの解放を助けたのが、度々話題に出してきた第22週「嵐の気仙沼」、海で遭難していた亮が無事戻り未知と話すシーンだ。

亮は帰って来て「大丈夫だから」といつもの様に未知に違和感を感じるほどの笑顔を見せる。そして「もう縛られなくていい」「俺といてもしんどいだけ」と彼女を突き放す。亮と未知の関係性は、終盤までモネと菅波の二人とどこか対照的に描かれてきた。何を聞いても「大丈夫だから」で終始してしまう未知と亮に対して、モネと菅波は「助けて下さい」「助けます」を言い合い、モネが「”助けて下さい”って言ってもらえる事って幸せな事なんですね」と口にするほどの、まさに「助けて貰ってばっかりでも”それはそれでいい”」を体現する関係性だった。

モネは、未知が「大丈夫」と言われるたびに辛くなっている事、そして亮は「未知を思って」行動しているのに、彼女を傷つけてしまっている事を一人目の前にしていた「二人ともお互いに”大事だ”って言い合っているのになんで?」それ故に、彼女はかつて菅波が強引に彼女の手を引いたように、間に入っていった。

モネ「りょーちんに”大丈夫”って言われるたびに、私もみーちゃんも少しずつ傷ついてきた。でもそう言わせてきたのは私たちだし、りょーちんはそういい続けるしかなかったよね。りょーちん、もう笑わなくていいよ。」

亮「お前に何が分かる?そう思ってきたよずっと。俺以外の全員に!!」

モネ「私には分かんない。それでも一緒に生きていきたいってそばを離れなかった人がいる。りょーちんを絶対一人にしなかった人がいる。”大丈夫”なんて突き放さないで」

菅波が「分からないけど分かりたい」とモネに言ったように、モネは未知の思いをこう表現した。「そばにいる」事、「分かりたい」と思ってくれる人がいる事がどれほど、心に余裕を、光を与えてくれたか知ったモネだからの言葉。第21週で、龍己がカキの養殖業を自分の代で終わるという話になった際も、「研究」という夢があるのにも関わらず、頑なに「なんで私がいるのにそんなことを言うの」と意地を張って「お姉ちゃんはいいね。自分のやりたいことが出来て。全部順調じゃん。全部持ってんじゃん。私の気持ちなんて分かる訳ない。」と言った彼女にモネは、「待って。聞くから。全部。思ってる事全部言って。言って欲しい。」と彼女に向き合っていた。今回も同じだった。

そしてそれは「分からないけど分かりたい」と己の無力さを知ったうえで、そばにいることのすごさを知っているモネだからこその言葉でもあった。また「亮のため」の存在でいようとすればするほど「自分のため」に生きられなくなっていた未知を、その役割から解放してあげないとというモネの思いが溢れた言葉だった。

このシーンに関しては、数あるシーンの中で特に賛否両論あった。二人の幸せを願う人もいれば、「モネが間に入るのは違う」「この二人では幸せにはなれない」そういった現実的な意見もあった。

だが、私は、これで良かったとそう心から思う。漠然と「役に立つ」に苦しめられたモネに対し、未知は曲がりながりにもずっと「この人のそばにいたい」という自分の純粋な願いで行動していた。それが彼女の呪縛になり他の「自分のしたい事」を圧迫していた事は確かにあったが、その思い自体は本当だったはずだ。

モネの行動は、強引だったかもしれないが、その思いを、行動を蔑ろにしたくなかったモネ自身の”選択”だった。この後、もしかしたら、彼女たちはまた過去に縛られ続け、また「大丈夫」と言って互いに傷つけあってしまうのかもしれない。だが、それでもそれが彼女たちの”選択”だ。そして何よりも皆が二人が幸せになると言う「綺麗事」を信じていたいではないか。

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『おかえりモネ』に携わった全ての方々へ感謝を。

さて、あまりに思うところがあり、長くなってしまったが、皆さんもこのドラマを観てきて各々、思うところがあったと思う。

過去の自分はこのドラマを「ヒーローになる話」と形容していた。しかし、今となっては全然違う感想になっている。それがここまで述べてきたものだ。やはり不思議な気分だった。私もモネと同じように歩んだ。まるでそんな感じがした。モネと共に様々な事に気づき、色々なしがらみから解放されたような。

このドラマに”ヒーロー”はいない。このドラマはただただ一人の女の子が、自分らしく生きようとした物語だったのだと思う。最終週「あなたが思う未来へ」のシーンを見ているとそう確信を持って思えた。

「私、あの時おばあちゃんをおいて逃げた」「私は絶対自分の事を許す事はできない」「私はどこにもいけない」

最後の最後で、未知がモネに告白した思い。その痛みを全力で受け止めたのはモネだった。

モネ「みーちゃんが自分の事を許せないと思うのは仕方ないと思う。みーちゃんがどうしても自分を許せないなら、私が言い続ける”みーちゃんは悪くない”って。記憶も、あの日、私たちを隔ててしまったものも消えない。だから、みーちゃんが何度も何度も自分を許せなくなるなら、そのたびに私が言う。”みーちゃんは悪くない”」

未知「そんなの言われたって無理だよ。」

モネ「こんな言葉、綺麗事で、何の役にも立たないかもしれない。でも言う。みーちゃんが思い出すたびに私が言う。」

大事な事は「こうすれば痛みはなくなる」という解決法の提案ではなく、その痛みを「痛いんだね」って聞いてあげる事。そしてそばにいてあげる、「大丈夫だよ」と言ってあげる事だった。モネは自分がそれで救われたように、自分の大事な人のため、自分のために寄り添った。

第21週、家族皆が悩んでいる時、「皆、ここでずっと頑張って何とかやってきたんだから逆に言えない事を沢山抱えてる。痛みはきっと何年経っても消えなくて”言って欲しい”って言っても”分かる訳ない”ってそうだと思う。でも痛みを抱えたまま平気な顔で居続けるのは辛いでしょ。」と菅波に思いを漏らしていた。それに対して菅波は、

「まずは”ここが痛い”って言わせてあげるだけでいいんじゃないですか?”ここが痛い” ”まだ痛む”って口に出させてあげる事は本人の心を軽くします。解決は無理でも糸口が見つかるという事もある。」

と答えた。誰かの助けになろうとする時、つい自分の考えや思いを「答え」として提示してしまう。だが、心に傷を負った人間が必要としているのは、問題の解決ではない、解答ではない。”痛い”と言って受け入れてくれる受け皿だ。それには「分からないけど、分かりたい」という姿勢を見せる事、想像する事が必要になる。

今この瞬間にも、コロナウィルスの後遺症に悩みながらも「本当に後遺症なの??」と傷を抉られる人々が沢山いる。毎日何かに傷つけられ、苦しみながらも生きている人。見かけは「大丈夫」でも、今にも自ら命を絶つかもしれないギリギリの場所にいる人もきっと沢山いる。「誰にも自分の気持ちは分からない」そう思って一人殻に閉じこもって生きる方が楽だと泣いている人だっている。

人間なんて意外と簡単に折れてしまうものだ。「私より大変な人だっているから」と笑っていた人も明日にはいないかもしれない。モネや亮や未知も、一見なんてことないように見えたが、いつ命を絶ってもおかしくなかった。そう表現しても大げさではない。人の心はそれだけ繊細で脆いものだ。生死の境界なんて私たちが思っているほど明らかではなく曖昧なものだろう。

第16週で傷つく亮と信次を癒したのは、幼馴染と耕治、亜哉子だった。それぞれが亮と信次の話相手になった。もし、自分の苦しみがすぐに話せないなら話さなくてもいい。なんでもいい。「楽しい」話をしよう。誰でもいいから、ただただ話す。話したくても話せない事があるのなら、それでもいい。ただどうでもいい話をするだけで救われるもの。このドラマを観てそんな人々の思いに気づき、そばにいてくれる、話をただ聞いてくれる人が増えればいい。そう思った。そして、何かに悩んで苦しいと思ってる人が「話してみようかな」と少しでも思えればいい、そう思った。

「そんなの綺麗事だ」「そんなの何の役にも立たない」

そんな声を、全て否定したのもこのドラマだった。綺麗事でもいい、役に立たなくてもいい。だから「生きて」「そこにいるだけでいい」

理屈、建前、遠慮。そういう全てを無視して「痛い時は”痛い”って言っていいんだよ」「笑ってごまかそうとしなくていいんだよ」「自分のしたいようにしていいよ」と寄り添ってくれた。

このドラマはそうやって、「痛みを持つ者」「痛みに寄り添うもの」どちらのそばにもいてくれた。そして、心の痛みに正面から向き合った。私自身も長い間、モネと似たように自分より他者を優先してしまい、いつからか自分がしたいように生きられなくなっていた。”他者のため”と尽くせば尽くすほど、知らぬ間に自分が縛り付けられていく。気づいた時には身動きが取れなくなってしまう。だが、そんな思いは周りには分かってもらいにくい。だから心の傷はずっと残り続けていく。それにずっと縛られ続け、どこかそれを乗り越えなければいけない。なかったことにしたいとも思っていた。

だが、このドラマは「過去に受けた心の傷はずっと残り続ける」と断言した。自分と世界、そして他者を隔てた記憶や経験は、永遠に埋まらない。だから乗り越えるも何もない。だからこそ、その記憶と経験と心の痛みと向き合って一緒に生きていかなければならない。過去に負った傷も消えないし、ずっと残り続ける。でも、それを誰かに求めてはいけない。それを自分にしてはいけない。

その傷に寄り添いたいとそばにいてくれる人がいるなら、完全には分かってもらえないとしても、その人を大事にしなくてはならない。そういう人がいることは幸せな事だ。頼っていいのだ。自分と同じ、心の傷を持った人を探して傷をなめ合ったり、すがったり、「役に立つ」事で自分の存在を維持してはいけない。頼っていい。心の痛みを単純化せず、描き受け止めてくれたから、私自身もそう思えた。

そして、現実はそう簡単じゃない。そんな風にいかない。と弱気になってしまう、憤慨する人にも、このドラマは「それでも!!!」と言い続けた。亮が菅波に「そんなに大事だと怖くなりませんか?」と聞いた時、

「怖いですよ。残念ながら僕らはお互いの問題ではなく、全くの不可抗力で、突然大事な人を失ってしまうという可能性を0にはできません。未来に対して僕らは無力です。でも、だからせめて、今、目の前にいるその人を最大限、大事にする他に恐怖に立ち向かう術はない」

菅波はこう答えた。不条理な現実が待ち構えていようと、「そばにいること」でしか立ち向かえないと。一方のモネも、菅波がモネの両親のもとへ挨拶に行く際に「僕はあなたの家族になんて言えばいい?」と不安になったのに対して、こう答えている。

「”一緒にいる”って事は”一緒に二人の未来を考える事”って前に(菅波が)言ったの覚えてますか?私は私たちを説明するとしたら、それで十分なんじゃないかと思う。何かあったら(菅波)先生と相談して答えを出す。私はそういうのがいい」

不条理な現実を経験してきた彼女でさえ、ためらいもなく答えた言葉は「一緒にいること」だった。それこそ、綺麗事かもしれない。ドラマだからかもしれない。でも、それでも脚本を担当した安達が伝えたかったのは、不条理な現実に対抗できるのは、「そばにいる」「そこにいる」「思い合える相手がいる」という事だった。

私自身がこの作品の裏テーマとして捉えてきた「音楽」にもその思いは、ある種の”覚悟”のような形で表れていたと思う。モネは震災当時、「音楽なんてなんの役にも立たないよ」と言った。

そう言ったのは、モネが”音楽”の高校を受験していたために、震災直後、すぐに大事な人のもとに駆け付けられなかったから。大事な人のそばにいられなかったから。いわばモネの心の傷、皆との心の壁をつくったものだったからだ。それ以来、モネは好きだった音楽から離れ、毎日手入れをしていたサックスにも触れなくなってしまった。放送当時から、今も続くこのコロナ禍においては、「エンタメは不要不急のものだ」という考え方が、一部で取り上げられた。そして今も、コロナ禍で様々なエンタメ文化に関わる人々に影響が出ている。

モネがずっとこだわっていた「役に立つ」という考え方。

コロナ禍や災害時など人命を左右する不条理な出来事の前では、どうしても「役に立つか」「救えるか」が物事の良し悪しをはかる基準になりがちだ。実際問題、それが重視されるのは当たり前で、音楽やドラマが「役に立たない」と切り捨てられるのも自然な事なのかもしれない。

だが、このドラマでモネを苦しめたのはそんな「役に立つ」という考えそのものだった。そして、その呪縛から彼女を解放したのは、「そこにいるだけでいい」という考えであり、「綺麗事を信じる」ことだった。つまり、それは「音楽」を捨てる事ではなく、「音楽」がモネにとってはやはり必要だったという事ではないだろうか。

実際、物語終盤、離れていた、突き放していたはずの”音楽”がモネの元に近づいて戻っていく描写が描かれる。第19週、ホルン奏者の宮田の演奏を聴きモネは「音楽ってこんなにも背中を押してくれるものなんですね」と感慨深そうに菅波に呟いた。その後、地元に帰って取り掛かった仕事も偶然なのか”音楽”をかけるコミュニティFMラジオの仕事だった。そして、最終週ではコミュニティFM開始当初、放送を受け持っていた高橋(山口紗弥加)も、モネに「やっぱり音楽っていいね」と発言している。

作品の中では、東日本大震災という不条理。現実では、コロナ禍という不条理。その不条理な出来事に傷つけられ疲弊した人々の心を癒せるのは、音楽でありドラマであると、このドラマはフィクションの外で苦しむ私たちにその必要性を訴えかけた。

確かに「役に立つ」事、有用性こそが人生において、生きるために重要なことかもしれない。だが、それだけでは生きていけない。人には心があるから。そんな時に、心に栄養を与えることができるのは、綺麗事を信じていられる、意味を求められない、ただ「楽しい」と思っていられるエンタメ作品そのものなのではないだろうか。

最終回では、モネが長年開けていなかったのサックスケースを開けるシーンがあった。

亮「これ見るのが怖くてずっと開けられなかった?」

モネ「最初はそうだった思う。向き合うのが怖くて。あの日、島にいなかった後ろめたさとか、痛みを分かち合えない苦しさとか。でも今はちょっと違ってて、なんか、これを開けたらまた、”私は無力だ”って思っていた頃の自分に戻ってしまうんじゃないかって。それが怖かった」

明日美「どうだった?」

モネ「”戻ってたまるか”って思ったよ」

このシーンの「戻ってたまるか」がまさに、不条理な現実に対しての”無力さ”を自覚した上で、それでも綺麗事を信じて私は進むというモネの、『おかえりモネ』という作品の覚悟でもあった。

このドラマは表層的には、優しい全肯定のドラマに見えた。だが、その本質は、現実を突きつけてその惨さを提示した上で、それに対し覚悟を持って否定することで、もがきながら前に進むそんな優しくもリアリスティックなドラマだったのではないだろうか。

劇的な展開もない、むしろ何度上がってもまた下がる。そんな繰り返し。同じ苦しみを繰り返し描くその展開は、現実のやりきれなさと生きづらさの難しさを表していた。でもその度に何度もモネは、人々は向き合い続けて、上がっては下がる波が緩やかになっていく。地味なようでとても重厚な物語。

気仙沼という”地方”を舞台をしていれば、「絆」や「家族」などという枠組みは良いものとして描かれやすい。だがこのドラマはむしろそれによる痛みや、その存在の一時的な否定すら行った。それはまさに、大勢の人から叩かれ撃たれて血だらけになることを分かっていながらも、それでも描こうとした芯の通った覚悟のある物語だったと言える。

否定という観点では、距離と時間の否定も目立った。モネが東京に来てすぐの第11週、菅波の「東京に来るという事はそういうこと、人間は環境に順応する4ヶ月。離れていたら気持ちも離れる。」という発言に対して、「4ヶ月間、離れていたけど私、先生と距離が空いたとは思いません。全然。」とモネは言っている。モネと菅波の中での「一緒にいる」は「一緒に2人の未来を考える事」という事だった。それは、例え、出会ってからこれまでの”時間”が短く、同じ場所にいられず”距離”があったとしても、「一緒にいる」事は可能なのだという事を示す。

そのメッセージは「私たちに距離も時間も関係ないですから」という最後のモネの言葉でダメ押しされた。どんな過去があって、どんな痛みがあったとしても、ここから先積み上げていけばいい少しずつ、何にも縛られずに思い合える人が一人でもいればいい。

コロナ禍で、人間同士の距離が、過ごす時間が、関係が分断されていく中で、「そばにいる」事をもっと簡単に身近に考えさせてくれた作品でもあった。

さて、ここまで長々と書いてきたが本当に最後だ。

この記事は、私が劇中で心に響いた「言葉」を余すことなく引用し執筆した。それはそれほど、この作品の中で登場人物が発した「言葉」が意味を持っていたということだ。モネが受け取った言葉が、モネの心と体を巡り、そしてまたモネが言葉を誰かに与えていく。その流れはまるで、空から雨として降り、山に、海に巡っていく「水」のよう。言葉は、水は、優しさや思いやりは人を巡っていく。それを体感させてくれた素晴らしい物語だった。

私自身も大きく影響を受けた作品になった。『おかえりモネ』の脚本を担当した安達奈緒子氏、そして主演の清原果耶さんをはじめとする出演者の皆さん、そしてスタッフの皆さんに心からの感謝を申し上げる。

この物語がこれからも誰かの力に、居場所になることを祈っている。

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年末には『おかえりモネ』の総集編の放送が決定している。本記事を読んで「もう一度観たい!」「観たことがないけど観てみたい!」と思った方は是非。

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