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福祉と「エンタメ」 2021.12.5

新聞でこんな文言を見た「エンタメは一部の人のぜいたく品か」

コロナ禍になってまもなく2年が経つが、エンタメ業界に突き付けられた「不要不急なもの」という刃は、その存在価値を私たちに直接問うものだった。

日本国憲法に「すべて、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。「生活はできている。だから娯楽品は嗜めなくとも貧困ではない。」その論理は果たして本当に正しいのか。その中にある「文化的な」という文言。それは、どういう意味なのか。私はエンタメに触れられる生活を指すのではないかと思うのだ。

このブログでは何度も述べているが、音楽がドラマが私を救ってくれた、支えてくれた。1人でも音楽がそばにいてくれたから、寂しいとは思わなかったし、どれだけ周りの目を伺って自らの姿をそれに合わせようとも、自分の「ありのまま」の姿を肯定し覚えてくれていた。

それ故、「不要不急」ではないし、「ぜいたく品」でもない。むしろ、生きる糧だ。そういう意味ではエンタメも、「福祉」の一つの手段として、万人が当たり前に享受できるものであってもいいのではないかという思いがあったりする。

既に、音楽やドラマが「福祉」の分野で活用されている例はいくつかある。音楽という面では、”音楽療法”が挙げられる。音楽は医療の見地からも「記憶や感情と直結している」と評価されており、認知症などの患者の治療の一つとして用いられている。

なんとなく、「高齢者施設で童謡などを歌う」イメージだが、京都のある病院では、その患者さんがこれまでの人生で親しんできた好きな曲を、メドレー形式で立て続けに歌う「フラッシュソングセラピー」という音楽療法を行っているらしい。

自分の好きな曲を歌う事で、その曲に結びついた思い出の想起や、気分の安定、立て続けに歌う事で脳や体の機能を動かすといった実利があるという。

kyoto.hosp.go.jp

他にも、ドラマという面では、子供の教育に、ドラマ内で使われたセリフが役に立つのではないかという視点から、『子供が変わるドラマのセリフ もっと話がうまくなる』という本が発売されていたりする。

このように、音楽やドラマが応用されている例はあるが、私が述べたい「福祉」への活用は、「福祉の敷居を下げる」事、そして「繋がりの創出」「居場所の創出」の点も大大きい。音楽や映画、ドラマなどの作品は、色んな考えに溢れている。だからこそ、孤独から救ってくれる事もあると思う。貧困には様々な形があるが、一時的にお金を与えたり、食料をフードバンクから提供したりでは解決しない問題もある。それは心の貧困だ。

「自分は他者とは違う」

そんな思いに代表されるように、家庭環境によっては、その環境が改善されても、長期、将来に渡って、存在しない劣等感や疎外感に苛まれる事もある。

そういう心のケアは、現代においては進歩を続けているが、まだまだ敷居が高かったり、間口が狭いなど十分に、その機能が働いているとは言えない。実際に、私がカウンセリングを受けるにも時間がかかった。一種の嫌悪感を持つのは当たり前の事だろう。直接相談できる電話やチャットも充実はしているが、自己申告制である以上、当の本人が利用を拒めばその痛みや苦しみは知られる事がない。

その中で、エンタメはそういう敷居の高さ、間口の狭さなどの福祉の難しさを越えていく可能性を持っているのではないか。音楽もドラマも、その性質上、馴染みやすく皆が嗜む普遍的な存在だ。それ故に、敷居は無いに等しいし、間口もとても広い。だが、その中身を覗けば、自分自身の苦しみや悩みを見える形で代弁してくれるカウンセリングの真似事のような事ができる存在だと私は思う。

そんなエンタメが「福祉」の受け皿になり得る可能性を感じられるのが「図書館」だ。

本がエンタメと言われると、少し違和感があるかもしれないが、作品をもって表現するという意味ではエンタメの一つと言える。

www.sankei.com

「図書館」と言えば、誰もが一度は通ってきているだろう。学生時代に学校の図書館に通い詰めた人もいるかもしれない。そんな「図書館」が、近年、子供の”居場所”として注目されている。

産経新聞で連載されている特集『チーム学校』の10月13日の回(上記リンク)によると、NPO法人学校図書館内で居場所事業を行っており、放課後スタッフが図書館に音楽をかけ生徒を待つのだという。そこでは、何も本を読むだけでなく、トランプをしたりボードゲームをしたりパソコンで動画を見る生徒もいるという。

記事内では「なぜ図書館なのか?」という問いに、NPOのスタッフは「図書館は立ち寄るかどうかも子供自身が決められる場所。本があれば雑談のハードルが下がる」と語っており、私が述べた福祉における「敷居の高さ」という問題を「本」というエンタメが下げている事が分かる。

また記事内では識者のコメントも掲載されており、医療的に子供を考えるのが保健室なら、図書館は「魂の安息を与える居場所」、「生徒は本を読むことで世界を広げ、将来に希望や夢を抱くことができる」としている。

これらの「図書館」や「本」が果たしている役割は、本だけでなく音楽や映画にも通ずる。音楽も聴くことで世界を広げる事ができるし、自身の苦しみや悩みに寄り添ってくれる。

図書館の例では、まだまだ教育の面での活用が重視されており、福祉という面での活用に関しては、まだ認知が低いそうだが、今後もこのような取り組みで一人でも苦しむ学生が減ればいいと思う。

そして、音楽や映画なども図書館の例のように、活用できないだろうか。音楽で言えば、ライブハウスやレコードショップなどがあるが、そこを図書館のように使う事は、ライブハウスのステレオタイプからも、そして公共の施設でもない事からも難しい。

そうであれば、いっそ学校図書館での取り組みを地域の図書館に広げ、音楽や映画などに詳しい臨床心理士やカウンセラーに入ってもらい、一部をカウンセリングルームにするであったり、そういう少しハチャメチャなアイデアがあってもいいかもしれない。

私が考える中で、一番現実的なアイデアは、物理的に居場所を設けるのが難しければ、インターネット上にプラットホームを作るという事。

私のブログは、誰かの苦しさや辛さに寄り添えるような作品を、私が好んで紹介する事が多いのだが、もっと相互的に、「曲を用いてその人の心の内に寄り添う」という仕組みがあればなと思う訳だ。

例えば、「音楽に救われた」など感じている人がそのサービスにアドバイザーとして参加し、曲と共に自身の経験を書き込む。利用者には「孤独が辛い」「自己肯定感が持てない」などの感覚的なワードで検索できるようにする事で、自身の思いを検索欄に打ち込み検索。すると、同じような状況にあった、苦しみを抱えていたアドバイザーのオススメ曲が一覧で表示される。

そして、その音楽を聴いてもらい、共感するところがあれば、アドバイザーの経験談を読み、チャットもする事ができる。チャットは専門機関なり自治体で管理してアドバイザーを支援、そしていずれは、専門機関でもカウンセリングに回すといった流れだ。

まぁ、今書いただけでも、現実的とは言ったものの無理な感じがすごいし、現代ならそんなまどろっこしいプラットホームを作らなくても個々人が自分の心に寄り添ってくれる作品を探し出せる気もする。

だが、必ずしも出会えるとは限らないし、そういう「音楽」や「映画」、「ドラマ」など親しみやすいものが取っ掛かりになり、支援に繋がるなら、より幅広い優しい輪を作れるのではないかと思うのだ。特に福祉の手が届きにくい「なんとなくの生きづらさ」を感じている人たちをすくい上げる事にも繋がりそうだ。

前半で紹介した”音楽療法”でも現在、保険の適用外のサービスだそう。そうとなれば、音楽や映画、ドラマ、本といった娯楽産業はますます無理だろう。

だが、エンタメが私たちに必要なのは間違いない。「生きるのに必死でそんなもの楽しんでいる余裕はない」という意見も分かる。でも、皆がもっと音楽やドラマを身近なものとして、その恩恵を受け、そして産業としても認められていく事を切に願いたい。

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