百音にとっての「音楽」とは『おかえりモネ』震災とコロナ禍、裏テーマとして描かれる「音楽」 2021.6.9
宮城県気仙沼市の亀島で育った主人公、永浦百音(清原果耶)通称”モネ”が、偶然知り合った天気予報士の朝岡をきっかけに、「天気」に魅かれていき「天気予報士」を目指す連続テレビ小説『おかえりモネ』
3週目「故郷の海へ」では、モネが「音楽」を辞めた理由、そして中学時代の思い出が描かれた。
カキに転生した(?)祖母、雅代の初盆のため、モネは故郷に帰港。
これまで漁師見習いである”亮ちん”こと亮(永瀬簾)がモネの幼馴染として登場していたが、他の幼馴染もようやく私たちに姿を見せてくれた。
個人的に、女子の寝床のシーンで、百音がうつ伏せ寝だったことに興奮した。
(筆者もうつぶせ寝であるため)
亮が、モネの妹、未知(蒔田彩珠)に以前「漁師への思い」を吐露していたように、皆それぞれ悩みを持っている。寺の息子である三生は、実家を継ぎたくないと、大学を放り出して現在、父親から逃げるように雲隠れしている。
筆者である私は、地縁が未だ強固なコミュニティで過ごした経験がないため、表面的でしかないが、彼らにとっての「親」「実家」「地域」というものは自身の「選択」を制限する、強いるものだと思う。
初盆に皆で集まり、わいわい近況報告をしたりお泊り会をしたり、そんな楽しい一面だけではない。苦悩も感じられた。
モネもそんな理由で「選択」を強いられるのが嫌だったから、地元から離れたのか
そうではない事は、ここまで観ていれば察せられる。
モネだけでなく、亮や三生や未知、そして明日実(恒松祐里)、悠人(髙田彪我)にとって
ある種、選択を強いた出来事が10年前に起きた東日本大震災であった。
中学時代の回想は、見ていて心が和む。モネを演じる清原は、幼い印象を与えるツインテールを披露。凛々しい表情を見せる彼女のツインテールは、ギャップ萌えを誘う。
「音楽をやっていた」「幼馴染とは吹奏楽部(?)で一緒だった」
という事は、これまでの描写で何となく察することが出来たが、まさか、部員0から、某超次元サッカーアニメのようにメンバーを集め、部を創設したとは思わず、驚いた。
(うち2名が亮目当てに加入しているところも何だか青春スポ根アニメのよう)
自ら部を創るため奔走するほど音楽が好きだったモネの転機になったのが、2011年3月11日。その日、音楽コースがある高校の合格発表のため仙台に渡っていたモネ。
結果は不合格。地元では、コンサートに向けての練習が行われており、モネの合否発表に胸をドキドキさせながら皆、練習に励んでいた。
付き添っていた父、耕治(内野聖陽)は、落胆するモネを励まそうとジャズクラブに誘う。お昼をそこで済ませ、店を出ようと立つモネの耳に、楽器の音が「ちょっと待ってよ」と鳴り響く。
その声を聞いたかのようにモネは演奏を聴いてから帰ることにする。
ジャズの人を陶酔させる雰囲気、混沌とした音楽の誘惑にモネは心躍らせ笑顔だったが、その瞬間、時計が14時26分を指した。
モネが心躍らせた音楽が、悪魔のような不吉なメロディに聞こえた。
モネたちは震災後、数日間、故郷に帰れなかった。
ようやく帰港し避難所である学校に戻った彼女が見たのは、事態を受け止める間もなく避難所の手伝いをする幼馴染たち、そして不安の余りモネを見て泣きながら駆け寄ってきた未知であった。
筆者は、あの日まだ小学生であったが、テレビから流れる津波の映像が忘れられない。
だが、そんな私たちと変わらない子供たちが必死に避難所運営の一旦を担っていたという事実を今回初めて知った。このドラマは、大きな出来事の中に隠れた小さな出来事も伝える。
中学生達が給食室など避難所で働いてたのは、大人達は気仙沼に働きに行ってる間に被災したので、なかなか島に戻って来れなかった人が多かったこと、体力のある大人は行方不明者捜索と瓦礫の片付けなどに出ていたから。大人もいるけどよく見ると女性ばかりなのもそのため。 #おかえりモネ
— 寿司さしみ (@oomaemi_komaemi) 2021年6月4日
モネが島を離れた数日間。その数日間で様々な事が変わってしまった。
震災後、初めて顔を合わせた時の、呆然としながらも驚きを覚えている表情からも、
モネにとって部活の皆と「私」の間に、埋められない深い溝ができたように感じた。
『おかえりモネ』は、「天気予報士」を目指す物語だ。だが、その裏には、震災での体験があり、さらに言えば「音楽」があった。
モネは物語が始まった当初から「人の役に立つ」ことに固執している。
それは、自分が「役に立たなかった」、つまり1週目朝岡とのやり取りで度々口に出した「私はそこにいなかった」という言葉からも分かる、震災時に物理的に「いなかった」という出来事からの考えだろう。
だが、その一方で、今回、モネが中学時代、「音楽」のおかげで人の輪を繋げてかけがえのない仲間を得たこと、「音楽」が皆を笑顔にする事、言うなれば「音楽は人の役に立つ」場面が描かれたことで違う一面からもモネの心情を浮かび上がらせることになった。
「音楽」の楽しさや、素晴らしさ、その価値を実感していた真っ最中のモネにとって、地震の瞬間に聴いていた音楽は、緊急地震速報以上のトラウマになってしまった。
そして、島に着き、音楽で繋がった仲間を助けられなかった事に、さらなるやるせなさを感じたのだと思う。何故なら、その繋がりをくれたはずの「音楽」が、自分が「そこにいなかった」原因だったから。
「音楽なんて何の役にも立たないよ」
父へ放ったこの言葉、それがモネが「役に立つ」に拘る本当の理由なのかもしれない。
コロナ禍の今、音楽はじめエンターテイメントは厳しい状況にあり、モネと同じような思いを抱いている人もいるかもしれない。
だが、私はそれでも「音楽」が無価値だとは思わない。
朝岡に教えてもらったのは、天気予報の有用性だけではない。天気の楽しさもだ。
参考書に目を細めながらも、幼馴染や家族の会話、そして空を眺め、楽しむことで天気予報士に近づこうとするモネ。
そんな彼女が、「天気予報」を通じて、いつか「音楽」の楽しさを思い出し、そして「音楽は役に立つ」とまた胸を張って言えることを切に願う。
【過去記事】
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