みぞ!のみぞ知る世界!!

とにかく自由に好きなことについて書いていきます。

ヤングケアラーの「私」の話 ① ~依存がもたらす痛み~ 2021.9.13

皆さん、こんにちは!こんばんは!

このブログの筆者、みぞ!です!!

ちょっとでも読んだ事がある方、いつも欠かさず呼んでるよ~って方、この記事ではじめましてです!って方、

皆さんいつもありがとうございます!!

どんな形でも私の思いに触れてくれているのをとても嬉しく思っています。

 

ブログを開設したのは2019年。

ですが、本格的に更新を始めたのは約1年とちょっと前です。

最近は朝ドラ『おかえりモネ』を重点テーマとして記事を更新していますが、これまで雑談のようなものから、音楽やTVドラマに焦点を当てたものまで、約30の記事を執筆してきました。アクセス数も2500近い数字を記録しており、何だか感慨深い限り。

総アクセス数で2500は、ビジネス的?には、塵のようなものですが、それだけ読んで貰えてると思うだけで胸がいっぱいになってます。

 

さて、前置きが長くなっても良くないので、そろそろ本題に。

今日は折り入って皆さんに伝えたい事がありまして。

いつもブログを見て下さっている方はもうお気づきかと思いますが、今回の記事は普段とは違う「話し言葉」でお話させて貰っています。

何故かというと、伝えたい事とは「自分自身」の事だからです。

 

 

これまでも、様々な記事で広範に私自身のパーソナルな経験や思いの一部分を語ってきました。というかこのブログが「素敵...」と思ってくれている方がいるなら、その私自身の考えからなる作品への切り口に興味を持ってもらってるのかなと勝手に感じています。

 

ですが、自分自身に関して赤裸々に話す事はありませんでした。

それは、自分の事を「隠すべきもの」と感じていたこと、そして「それと向き合いたくなかった」と思っていたからです。

 

ですが、この二年ほどコロナ禍で皆が鬱々とした感覚を共有する中、私自身が経験したこと、感じている事を共有することで、同じような境遇にある方、そうでなくとも「苦しさ」を持っている方の手助けになりたい!と思った。

そして皆さんという”外”に対しての言葉として、自分を語る事で向き合わねばならないと今、思ったこともあり、今回、つらつらとお話しようと思いました。

 

まぁ実を言うと、大学卒業後、仕事をする中で色々思うところがあって、 

「あぁこのままじゃダメなんだろな...今何とかせねば。」

と思い、今回の記事やらに至っています。

ですので、自分の思いを言葉にすることで整理し、自分自身の心の整理の一環としても書いていきたいと思います。

 

Twitterなどで仲良くして下さってる方には、少々ごまかしたり嘘をついたりしてしまったこと申し訳ないなと感じていました。後ろめたさを感じる必要なんてないのだろうけど、なんだか言いづらくて。ごめんなさい。

そういう方にこそ、読んで受け止めてくれるといいなぁと感じてます。

 

 

 それでは少しずつ書いていこうかな。

 

 ヤングケアラーって何?アルコール依存症って何?

皆さんは「ヤングケアラー」や「アルコール依存症」という言葉をご存じでしょうか。

「自分自身」の話と言いながら、まずお話しなければならないのは私の家族の話。

私の親は「アルコール依存症」を患っています。そしてその子供である私は、「ヤングケアラー」と呼ばれる存在です。

 

はじめに、前置きですが、私の文章は親を否定したり恨んだり批判したりするものでは一切ありません。確かにそういう「怒り」とか「悲しみ」のようなものは文章から感じられるかもしれませんが、私は「誰もがそうなってしまう可能性がある。」ということを伝えたい、そして自分が自分自身と向き合うために書いていきます。

なのでバッシングはご遠慮下さい。お願いします。

 

 

まず、「ヤングケアラー」

最近注目を浴び聞いたことがある人もいるんじゃないでしょうか?

 

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 (出典: 厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/young-carer.html)

 

まぁ平たく言うと「親などの近親者の世話をする子供のこと」を言います。

「ヤングケアラー」という言葉は聞いたことがあっても「介護」のイメージが強いんじゃないでしょうか?私もつい最近までそう思っていました。

ですが、少し前からカウンセリングを受けるようになり、そこでカウンセラーさんに「みぞ!さんもヤングケアラーだね」と言われて初めて、「私ってそうなんだ。」と認識しました。

 

「親の世話をする」と言いましたが、私の場合、具体的に生活の世話をしたり、家計を支えたりと言った事はありませんでした。なので、いわゆる親の世話もしてバイトで家計を支え遊ぶ時間もない状態の人に比べれば、私は少し事情が違うのかなぁと思います。なので相対的に見れば、私はまだ楽な方かもしれません。

後々、書いていきますが、私が苦労してきたのは、主に、メンタル面です。

 

www.e-healthnet.mhlw.go.jp

 

アルコール依存症

昔はよく「お前アル中やな」的な感じでフランクによく言ってましたが(今でもスラング的にはある)、今はギャンブルや薬物と同じように”依存症”として定義されています。

 

アルコール依存症」というと、それこそ「アル中」と言っていた頃の

「一升瓶を持って常に酔っぱらっている酒好きのおじさん」

というイメージが、一番皆さんの認識に近いのでしょうか。

ですがそのイメージは当事者家族としては全く違います。

 

具体的には...

酒好き → 好きで飲んでいるとは限らない(主に酔いによるメンタル維持が目的)

一升瓶を持って → 一升瓶は持ってないし一見普通

おじさん →おじさんに限らず若い人も女の人も誰でもなり得る

という感じです。

うちの親も、最初は仕事のストレスをお酒で紛らわす程度の感覚だったようですが、徐々に「ストレスを感じる→お酒を飲めば解決」という思考回路ができてしまい、通常のストレス耐性やストレス対処のプロセスが崩壊し、精神バランスを立て直せなくなり、思考に歪みが出てきたという感じでした。

また、うちの場合、幸い?なのか暴力を振るわれることはありませんでした。まぁそれがあると、なかなか一緒に住むのすら難しいですよね。

 

ですが、逆にここまで聞くと「本人が一番しんどい」というのが透けて見えないでしょうか?好きでお酒を飲むならまだしも、ストレスを解消するために飲んでいて、いつの間にか呑まれた。

依存症は精神疾患の一つでもありますが、ここが精神疾患の難しさだと感じます。

どれだけ周りが自分が迷惑を被っても、大手を振って非難することが出来ない。

私の苦しみの原因もそれが大きかったように思います。

 

それを踏まえて、ここからは私の実体験をお話していこうと思います。

 

依存が心を頭を、全てをおかしくする

そんなアルコール依存症の父親を持っていて何が辛いか。

まず、家では休みになると昔から些細なことで、父親が怒鳴り始めます。お酒やそこから派生したお金の話が多かったかな。

 

お酒でストレス解消をする事。

それはつまるところ、ふわふわしたあの何とも気持ちよい感覚でごまかしてやろうという事です。なので根本的解決というより、アルコール物質を得た時の高揚感を得るためにお酒を飲むのだろうと思います。(直接聞いてないから分からないけど)

でも、お酒が切れると強烈にしんどいですよね。二日酔いとか想像すると分かりやすいですかね。

すると、また仕事のストレスにそのしんどさが追加される。となると、

仕事のストレス→お酒→体調優れないまま仕事→そのストレスでお酒.....

という無限ループに入ってしまい、ほぼ毎日家に帰ってこなかったです。それでも仕事には行っていたので、良かったのか悪かったのか。

家にいなさ過ぎて、小学校の頃は「私の家、片親だったかな」という認識すらあったくらいです。

私自身は、幼く特段意識することはなかったのですが、そりゃ毎日そんな生活してると、ちゃんと仕事するのも厳しくなってくる。お金もなかなかにヤバヤバな状態が続く。

 

そんなこんなで、母親も何とか症状が良くなるようにと手を尽くすのですが、休みの日は「戦場」になります。

ずーっとお酒飲んでると、思考回路としてよく分かんなくなるんでしょうね。

嫌な事、逃げたい事、ストレスの全部の処理をアルコールに頼るから、そもそも考えられなくなる、内省できなくなる。

でもそれがダメな事だっていう自覚は自己嫌悪としてはあるんだと思う。だからそれにアルコール無しで耐えられない。だから、アルコールが入っていないときは、少し何かがあると高圧的になります。

高圧的になるしかない。

だからなのか、父親が怒鳴るのは、筋が全く通っていないものばかりでした。

 

実際、父親は、自分が迷惑をかけていると分かっていても、それを負える程のメンタリティをもう持っていませんでした。

それ故に、周りを悪者にして自分の弱さを隠し、自分はちゃんとしてると思いこもうとするのかな。

何を言っても「否定されてる」「指図されてる」と言われます。

最近も「ダラダラしてるだけの出来の悪い息子に言われたくない」や「子どもになぜ指し図されないといけないのか」などと私自身もそのメンタル維持のための道具として罵倒され、なかなか苦しかったなぁ。

 

「何も分かっていない」「お前のせいだ」「金を出せ」どれもキツイ言葉ばかり。

今はお酒は飲んでないですが、些細な事で怒鳴られるのは変わってなく、それは「自分は断酒して頑張っているのに~」という気持ちから、私に対しても母に対してもつい強く口を出してしまうのだと思います。そういう点でもこの病気の難しさというのを痛感しています。

一度、そのプロセスやシステムが出来てしまうと、それを場合ごとに切り替えることができないのだと思います。というかそれを自分で認知できない。反射的なものだろうから本当に難しい問題です。

 

支えようとすればするほど傷ついていく

でも、そんなの関係なく一人の人間としては、傷つくし怖いし辛い訳です。

特に昔はまだ子供ですからね。そんな事情や理由は分かんないです。

本人が「ダメな事」「申し訳ない」と思っていても、それを受ける方は、理由もなく攻撃を受けるようなものです。

当時の私は「怒鳴り声」自体が恐怖になってしまいました。それは今も続いています。

幼少期の経験はずっと残るものです。今も怒鳴り声自体が苦手で、呪いとして残っています。

もちろん「意味はないしそういう症状だし」と今は分かり切っているのですが、やはり怒鳴られると、どんどん「自分が悪いのかな...?」という気持ちになってきます。

それによって、今も潜在的に「惨め」な気持ちや、劣等感というのも残って私の足を引っ張ります。

 

 それは母も同じで。

母親も必死で支えようと、居酒屋まで行き、連れて帰ろうとしたり、何とかしていましたが、やればやるほど、体力や自尊心が奪われていきました。

「依存症だから」「本人の辛さがそういう形で出てしまっている」とたかをくくっても、やっっっぱり、怒鳴り声や棘のある言葉は痛いし辛い。思っている以上に人の心に残るし、深い傷になります。それが「傷つける」意図が直接無かったとしても。

だから、言葉って凶器になるんだなと幼少から身をもって感じていました。

それを知れたことは良かったのかなとは少しばかり思います。

 

「なんでこんなに頑張ってるのに責められないといけないのか」

よく母親はそう言ってました。自分もそんな風に思う事ばかり。

 それに自分としては「頑張って支えようとしている母がなぜ、責められなきゃいけないんだ?」と子供の頃は、とても辛かったです。二重苦というか。

やっぱり自分が愛着ある人が罵倒されるのを何もできず見るのって辛いじゃないですか。だから今も、怒る時は、なぜか泣いてしまいます。

 

 というように、ただただ「アルコール依存症の人が悪い」では済ませちゃいけないのだけど、自分がそう思えば思うほど自分が背負わなければならない、辛くなっていくという事。

本人は苦しんでる。でもそれが攻撃的なものとして自分たちに襲い掛かる。でも責められない。でもしんどい。しんどい母親を見てもしんどい。

あらゆる板挟み、矛盾の中、それでも解決しない深刻な問題だなと思います。

そして辛かった。

そういう意味でも、これから全5回の記事に分けて少しでも「そういう事」があるって事を知って貰えたらなと思います。

 

今回は、ここまで。

次回は、そんな状況で、ここまで私がどう対処したのかお話できればと思います。

読んで下さりありがとうございました。