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ヤングケアラーの「私」の話 ⑤~最後に皆さんに伝えたい事~ 2021.9.17

皆さん、こんにちは!!こんばんは!!

私、みぞ!自身の事について書いてきたこの一連の記事。

今回で最終回です。ここまで読んで頂いた皆さん本当にありがとうございます。

今日はじめて見たよ!って人は、過去の記事を下に貼っておくので、是非読んで頂ければなと思います。

 

mizomone7118.hatenablog.jp

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私の「わがまま」

前回まで、私の苦しみやしんどさの背景、そしてそれはどういう事だったのか、そしてどうしていきたいのか自分なりの考えも含め書いてきました。

ここからは、総括のような。あとがきのような。

今、私が思う事を最後にお伝えしていこうと思います。

 

突然ですが、今回のこの一連の記事は、自分の「わがまま」の塊です。

もちろん、これを読んで同じように苦しむ人の心が軽くなったり、相談しやすい環境・社会作りの一助になれば言う事なしですが、そこまで私には影響力は無いですし、正直言うと、それが私の頭にまず浮かぶ思いではありません。

では、一番は何か?

まず最初に思ったことは「誰かに聞いて欲しいな」という思いです。

日頃、ブログを読んでくれている方、仲良くしてくれている方に私の事をちょっとでも知って欲しかったんですよね。

 

ここまでで触れたように、ヤングケアラーは、社会との価値観のズレにとても悩まされます。そしてそれによって影響されやすい。

どんな状況であっても、周りには「なんともない」ように振舞う。そこに対してもパワーを使い、疲れてしまう。そういう傾向にもあります。

実際、私もそうです。

 

今、私は幸い、一人ではないどころか、音楽や作品を通じて沢山のお友達(そう言っていいか分からないけど)がいて下さっています。

ですが、どこかで、「自分は皆さんと違うしな」「皆さんが思ってるようなちゃんとした人間じゃない」と思ってしまう瞬間があるんですよね。

それは、自分が装ってる部分があり、それ故に自分をさらけ出せない故の感覚だと思います。

未だに「理解されない」「恥ずかしい」ものだという認識もあります。

それ故に仲良くして下さってる方にも、私自身の事を言い出せず、少し嘘をついてしまった事もありました。申し訳ない。

おそらく、私がここまで合計2万字近く費やして書いてきた事、その全てをしっかり読んでくれている方はいないだろうし、自分の全てが表現できたとも思っていない、それに読んだとしても理解できない、むしろ反感を持たれるかもしれない。

でも、そうだとしても少しでも知ってもらいたいし、言葉にすることで向き合いたい、もう隠さずいたい。

知った上で歩み寄って下さる、その場で待っててくださる方がいるのなら...!と思い、今回は記事を執筆しました。

そういう意味で、この言葉たちは、あくまで私の個人的な承認欲求のため、「わがまま」の権化なのです。

 

「甘え」を許さぬ社会の中で生きる

そして、そんな思いではりますが、正直、「甘え」の部分も多少なりはありますし、皆さんが一連の記事(ないし部分的に)を読んで、「甘えてる」「もっと大変な人もいるのに、可哀想アピールかよ」「被害者面すんなよ」と思われた方、おそらくいると思います。

ヤングケアラーの人間は、「打たれ弱い」という傾向も実際あるそう。

私もその意見自体、否定する事はできません。そういう思いも、今までいっぱいしてきたから。

ここまで事実を書いてきたつもりですが、これらはあくまで主観的な文章です。

「不幸自慢」だと思われても仕方のないものだと思います。

実際、自分が自分を惨めな存在に堕とすことで自分を維持してきたのも事実なので。

 

また、もっと広い視点に立てば、私より大変な家庭環境に置かれている方は五万といます。まだ「どうしようもない」状態に苦しんでいる人もいる。私のように、弱音を吐いて、声を上げられない人もいるでしょう。

 

そういう声もある、そういう世の中で生きなければいけないという事も事実だということ。

「社会との矛盾を受け止めなければならない」

これはカウンセラーの方とのお話で出た言葉です。

実際、どんな境遇だろうが何を経験しても”社会”の中で生きていかなくてはなりません。その中では、私が感じたどうしても埋められない溝が存在する。そして冷たい言葉や痛い言葉を浴びせられることも当然あります。不条理な事もたくさんある。

でも、そこで何か社会に対して不満や文句を言っていても何も変わらない。

社会の中で、人の中で生きていく以上は、そこに適応するしかありません。

私たち、「惨めだね」って肩寄せ合っていても状況は変わらない。

むしろ、それこそ自分で自分を社会から外れた存在に置き、どんどん不幸ポイントを溜めてしまうだけです。

だからこそ、自分の痛みや苦しみを偽りなく、真正面から捉え、「甘え」も「わがまま」も全部受け入れ自分と向き合う。そして、しっかりと社会の中で耐え忍べる忍耐力を鍛える事が必要だと考えています。

そうじゃないとこれからもずっとどこかで「家庭環境が...」と努力を怠ったり苦汁を飲む事になるから。

 

誰もが何かのマイノリティ(「違い」を持っている)

「私より大変な人はいる。だから自分の吐露は「甘え」なのだ。だから私はまだまだ頑張らないといけない。」

そんな話をしたばっかりですが、逆の事を今から言います。

私が冒頭、そんな影響力はないしと言いましたが、私が思いや考えを発信する事で、今苦しい人が少しでも楽になれる、そしてこれから苦しむ人が一人でも生まれない社会に一歩でも近づいたらとも思っています。

 

確かに私より酷い仕打ちを受けたり何かを強制させられたりしている人は沢山います。

ですが、依存症を持った親がいた、虐待をする親がいたなどそれぞれの経験が与えたその人自身の心の傷は、甘えでも言い訳でもない。ましてや批判されることでもありません。

本来そんなことは無いに越したことはありません。

そしてその心の傷は、皆それぞれです。自分にしか分からない。

それに優劣も大小もない。皆それぞれの痛みや苦しみを持っている。

それを糧に出来る人もいれば、出来ない人もいる。頑張れる人もいれば頑張れない人もいる。

だから、本当は「社会の矛盾を受け入れ、ファイトポーズ取らなきゃ」よりも、

「甘え」であろうがなんだろうが、皆が受け止めていける社会でないとダメなんです。綺麗事だけどやっぱりそう思います。

 

 

私は、こういう経験をしているからか、マイノリティ側の意見に共感することが多くあります。

”LGBTQ”や障害を持たれる方などが代表的ですが、もっと広義に言えば、精神疾患を持つ方、依存症を患う方、そしてその世話をする私のようなヤングケアラー、そして人より少し敏感で生きにくさを持っている人々を指す”HSP”の人など、誰だって何かのマイノリティであるんじゃないかと私は思います。

www.nhk.or.jp

特にHSPなんかは、一説によると3人に1人が当てはまるのではないかと言われていたり、とても身近です。

障害や病気、疾患などはなくても「何か人と違うな」「意見が合わないな」と思う事は皆どこかであると思います。

だから、代表的なマイノリティに対して「自分は関係ないから」ではない。

皆が持つそれぞれの痛みや苦しみは考え方によっては、マイノリティで、「関係ないから」で無視したその行為は自分の首を絞める結果になり得るということです。

 

だから「自分は人より恵まれてるから...」と我慢する必要はないし、「痛い」「辛い」 「苦しい」と誰もが声高らかに言える。そんな世の中になっていって欲しいなと思うんです。

痛いものは「痛い!」って苦しい時は「苦しい!」って言って良いんです。

そこにいちいち意味があるとかないとか、自分の気持ちや考えがまとまっているかいないかで、躊躇わなくていい。

ましてや「周りと比べて自分なんか。」という視点もいらない。

しんどかったらずっとしんどいって言っておかないとダメなんでしょうか?

そんな事ないし、「ちょっとしんどいな」ぐらいでもいい。

ずっとめちゃくちゃしんどいという訳ではない。何とかぎりぎりでそう見えないように振舞ってる場合もある。

だから、見かけだけで判断して欲しくないし、正論を振りかざすのではなく、誰もが気軽に甘えて甘やかしてもらえる、気軽に相談できる社会にならなきゃと思います。

そうすれば、LGBTQや障がい者の方、ヤングケアラーだけでなく皆が、生きやすい社会になると思います。

そういったことが、「違い」を認める事であり、多様性を認める社会に繋がっていくのではないでしょうか。

 

分からなくても「分かりたい」と思ってくれるだけで救われる

そういう経験をしているから偉いとか、裕福に生きてきたからなんだか申し訳ないとかそういう論点になってしまう事、度々あると思います。

それに、「分からないから否定する」事も多くある。

でも、そこはそういう視点じゃなくて、ただ悩んでいる苦しんでいる人が周りにいれば「分かりたい」という姿勢で話を聞いてあげて欲しい。

何も「分かる」必要はないんです。むしろ分からなくて当たり前の事もありますし。

私自身も、最近いろんな人と話をする中で、皆さんそういう姿勢でいてくれるので、なんとなく前を向けている気がします。

 

精神疾患は連鎖していきます。

決して「自己責任」なんかじゃない。

その人だけでなく関わる周りの人の心まで削っていく、蝕んでいく。

実際、私も数十年、ずっと「耐える」「我慢する」事で必死で、ある意味「動けず」にいました。だから、将来の事なんて二の次でした。でも社会の流れは一定で進んでいく。だから、どこかで大きなズレに気づくんですよね。それが私は今でした。

どれだけ水を注がれても、水はたまらずこぼれていく。

私の心の中はいつもそんな感じでした。耐える事がスタンダードで、期待値が著しく低かったから。

そういった劣等感や疎外感や孤独感そして、それが引き起こすライフコースの歪曲や、メンタルの機能不全はその子供、そしてその子供...とずっと連鎖していきます。

 

ずっと過去に縛られてその埋め合わせを自分ではない、子供でしようとしてしまったり、自分の受けた辛さを誰かにも味わわせようとしたり様々。

だからどこかで止めなきゃならない。

その人もそうしたくてしたい訳じゃない。だけど酷くなればなるほど支援する周りの人間はその人を「悪者」としか見れなくなります。

そんな悲しい負の連鎖を止められるように、そもそもそんな連鎖が始まらないように、「分かりたい」と思ってる、だから聞かせて。って姿勢が、連鎖を止める一番の方法だと思います。

そして、「メンタルが弱い」などと揶揄する事がなくなり、精神疾患を患う事自体が「悪い事」と捉えない社会になればと思います。

 

「分かりたい」と思ってもらうためにも、自分自身「分かってもらえるように」努力しなければならないなとも改めて。

 

言葉にするメリットとデメリット

「ヤングケアラー」という言葉、そして今話題に出したLGBTQやHSPなど、様々な呼称があります。このブログでは様々な定義づけされた言葉を用いてお話してきました。その中で書きながら感じていたのは、そうやって言葉として定義し使う事には、良いところも悪いところもあるいうところです。

こうやって知らない人に認知してもらい分かってもらう際は、分かりやすく説明できるためとても良いと思う一方、その言葉によって問題が矮小化されたり、簡素化されてしまうという悪い点もあると感じています。

「ヤングケアラーだから~だよね」

「障害者だから~すればいい」

というように、単純で浅はかな思考に結びついてしまう可能性もあります。

そういう点でも、この一連の記事はあくまで「私」の話であって、一括りに「ヤングケアラー」といっても悩める問題も状況も、千差万別だという事を改めてお伝えしておきます。

そして、呼称はあくまで「知って貰うための目印」であって、その人それぞれに寄り添った考えを皆が出来るようになればいいなとも感じます。

 

音楽とドラマが好きでホントに良かった!!!

そして最後にですが、ここまで私が壊れずに伏せずにまだ回復できるレベルの状態に維持してくれたのは、間違いなく音楽やドラマなどの作品のおかげです。

音楽やドラマについて書くこのブログでも度々、「音楽はすごい」「ドラマはすごい」って記事を書いてきましたが、あれはまさに私の体感です。

いつもどんな時でもそばにいてくれて、味方でいてくれて居場所になってくれました。自分の感情や思いを認識するための、語るための”言葉”を与えてくれました。

自分とは違う視点に立たせてくれ、社会との距離が離れている時も、社会と私を繋いでくれました。

誰かを思う気持ち、想像力をくれました。

そして音楽やドラマが沢山の人と出会わせてくれました。

そのおかげで辛かった約10年。

完全に孤独にはならず、今までいられました。

エンタメは同じ価値観や「好き」を持ってる人と簡単に出会える魔法の産物です。

改めて皆さん仲良くして下さってありがとう。

 

そしてそして、音楽は、ドラマはエンタメは私に無限に広がっていく感情で溢れる世界を見せてくれました。

決めつけも優劣も、是非も、理由も関係ない。

なんとなくのニュアンスで生きられる世界。

綺麗事を夢見てもいい。わがままでいられる世界。

そういう意味で、エンタメの世界は、私がなって欲しいなと思う全てがある世界です。

実体はないけど、それがそばにあるだけで、希望を持てる。

 

だから、これからもそんなエンタメが誰かの命綱となって少しでも誰かの気持ちを軽くしてくれるといいなと思いますし、私もそんなきっかけになれるようなブログを書けたらいいなと思っています。

 

最後に。

皆さん!改めてここまで長い長い長い文章を読んで下さいましてありがとうございました。書きたい事伝えたい事はもう伝えた...かな。と思います。

とにかく、「伝えられる事、伝えたい事は全て文字に!!!」という思いで書きましたし、しかもこの文字数なので読みにくいまとまりのない文章だったと思いますが少しでも伝わっていればなと思います。(私も後半、頭がぐちゃぐちゃでした(笑))

 

また、今のコロナ禍の状況。気づけば多くのものが制限されてしまう世の中になってしまいました。中には学生時代の行事や「青春」を奪われたと感じている、そんな風に恨み節も出ずに、気分が落ちている学生さんも多くいると思います。

学生さんに限らず、自分が何かしたわけではないのに、選択肢を減らされ、強制される。そんな状況に鬱々としている人が多くいると思います。

そういう意味では、私も同じような体験、「自分で選択できない」「他に強制される」という思いをしてきた事もあり、日々いろんなことを思います。

なので一言、我慢が続く毎日ですが、決して自分の「好き」や「したい」と思う事を否定しないように、自分を否定しないように。

心の中だけは自由にいて下さい。

そして、衝動的に何かに頼ってしまいたくなりますが、依存には注意してくださいね。

 

そして私自身、これでどうなるとかはないですが、自分自身は前に進んでいきたい。というかまずはちゃんと自分らしく社会の中で生きられるように、今は引き続きカウンセリングを受けながら徐々に頑張っていきたいなと考えています。

今までは出来なかった、「思い切り楽しむ」「好きな事を全面に出す」

をできるように!!頑張りたいと思っています!!

ということで、引き続きこのブログをよろしくお願いします!!

そして、Twitterでも是非絡んでやってください!!

(色々な人と話をするのも大事なので、お暇であればどんどん絡んでやってください!!)

 

ありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!!

スッキリした~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!

幸せになるぞ~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!