ヤングケアラーの「私」の話 ④ ~今の「自分」へ伝えたい事~ 2021.9.16
皆さん!こんにちは!!こんばんは!!
自分についてお話するシリーズもとうとう、4本目です。
ここまで長ったらしい文章にお付き合いして下さった方本当にありがとうございます。
それだけで私はとても嬉しいです。
まだ「見てないよ!」って方は、是非、サラッとでもいいのでご覧になって貰えると、ありがたいです!!
前回までは、具体的に自分が経験してきた事、何が苦しかったか悩んできたかをお話してきましたが、ここからは、「じゃあどうするの?」「今どう思ってんのよ?」
という結びの部分に入っていきたいと思います。
カウンセリングってすごい。
まぁ、なんだかんだあったんだなという事はここまで読んで下さって分かって貰えたかなと思いますが、私は現在、カウンセラーの人に相談に乗って貰っています。いわゆるカウンセリングというやつですね。
実は幾度となく「カウンセリングを受ける」という選択肢は頭の中に立ち現れていました今まで。ですが、やはり、抵抗があり踏み出せずにいました。
ですが、これからは学生でなく仕事をしていく日々がお陀仏になるまでしばらく続く訳で、つまづきを感じたならここで向き合わねば!という事で、
「これもいいきっかけ!(というかもうこれしか手がないだろ!)」的な感じで、カウンセリングを受ける事にしたのです。
まぁカウンセラーさんもいろんな方がいますから、一概には言えませんが、私の場合の肌感を少しお伝えしようと思います。
とりあえず思うのは...
「行ってよかった」
この記事の冒頭から感じていると思いますが、私の悩みや苦しみはめちゃくちゃ主観的で割と漠然としたものが多いんですよね。
そんな状態にもかかわらず、こうやって皆さんに「~だから~という状況」みたいに体系的に話せてるのは、カウンセリングを受けたから、そのおかげなのです!
なので、これまで10数年間は、根本的にはもっとドロドロめんどくさい状態で感情も考えも頭の中で散乱していた状態でした。
まぁ主観的というのは人間皆そうだと思うのですが、私は特に「人の顔色を伺う」や「自分の考えを抑え、周りを優先する」「考えすぎる」などという「サバイバルスキル」の暴走があったので、認識や思考にはおそらく人よりかなりの歪みがあります。
それは前々回の記事なんかでお話した、早期不適応スキーマの中の「自分より他者を優先するから、相対的に自分の存在価値が低くなる」という現象が、まさにそうで、自分は良いと思っていても、反転して悪い方に作用している、自分が過剰に悲観的に認識しているという節は確かにあるからです。
そういった「認知の歪み」も、カウンセリングを受ける前は、しっかりと認識することが出来ませんでした。
また、カウンセラーさんは情でモノを言わない。つまりちゃんとした理論に基づいた客観的目線で、私に対して疑問を投げかけたり、指摘してくれます。
今まで漠然とした不安や苦悩だったものが、構造的に理解できるとかなり気持ちとしては違いました。(私が理論的に理解するのが好きだからもある)実際、先ほども言いましたが、そういう構造的・体系的理解があったからこそ、今この記事を書くに至りましたからね。
だからといって、辛辣過ぎず、しっかりと寄り添う姿勢、いわゆる”傾聴”の姿勢を取ってくれるから、とても話しやすい。
初めてカウンセリング受けた時は「すげぇ...」って唖然としました(笑)
見せかけの「自分」と本当の「自分」
ついつい、話が逸れてしまいますが、そんなカウンセリングの最初に言われた事は、「あなたには二人の「自分」がいる」
なんだかスピリチュアルな怪しい雰囲気になってしまいましたが、解説しますね。
私には「見せかけ」の自分、つまり「サバイバルスキル」を使い社会において、その場において一番都合の良い人間を演じる自分が極めて強く存在します。
カウンセラーさんが言うには、本来人間は、一つの〇を「自分」とすると、そのコアの部分が「本当の」自分、そしてその周辺を「見せかけ」の自分として場合に応じて見せてうまく生きているそう。
ですが、今の私は一つの〇が二つに分離して”見せかけ”と”本当”という二大巨頭になっている状態。
今、二大巨頭と言いましたが、実は私の場合は”見せかけ”の〇が大きくなって、”本当”の〇が小さくなってしまっている。つまりほぼほぼ”見せかけ”の私!!って訳です(笑) ヤバいですね!
(図を作ってみたけど、センスが無さ過ぎる...
一応、左の状態が正常で、右の状態が今の私)
本来、家の中は「本当の自分でいられる場所」だと思います。
そして外では、見せかけの自分としてその場に応じた姿を演じる
でも、私の場合は家でも自分を我慢し「その場に応じた姿を演じる」ことで日々を過ごしてきました。
それ故に、「本当の自分」でいられる場所がなかった。
「見せかけ」ばかりを使うことで、「本当」の自分の出し方が分からなくなって、その結果「見えかけ」が優勢になり、「本当」の自分なんか、まるでいなかったようになってしまったのだと思います。
ずっと誰かに気を使っている。
だから、本心として、自分のしたい事だったり、自分自身で選択するという事が実はよく分かっていません。我慢したり、他人に合わせた結果、分からなくなってしまった。そして、幾度となく諦めたり我慢したりしてきたことで、「したい事」を思い切りする事に罪悪感を持ってしまいました。
ここまで話してきたように、私の家の場合、私が我慢したり自分が間に入る事で、被害も最小限に済んだ。
表面上の平和は維持できたんですよね。
だから、いつの日からか我慢してこのままでいる方が楽になってしまった。
我慢する事、耐える事、他人を優先する事に慣れてしまった。
ですが、今思うのは、長い視点で見ればその我慢は、少しずつ自分の色を消していって、重い問題になってしまうものだったんだなという事です。
それは、自分で”不幸”になる選択肢を選び続ける事でもあったし、解決どころか自分で呪い続ける事を選んだ事になってしまったんですよね。
今の自分へ伝えたい事
カウンセラーさんから、そのような話をされて、とてつもなく納得してしまった私だったのですが。
じゃあ私これからどうしていけばいいのか!!というところですよね。
これは誰に言われるのでもなく、自分で考えなければなりません。
それが「本当」の自分として選択していくという第一歩でもありますから。
まず今までよく頑張ってきた。あなたは立派だよ。
でもそろそろ背中に背負っている荷物、少しずつ下ろしてもいいんじゃないかな。
私自身、これまで家族の事で、「少しでも家族が良い方向に向いていくように」と周りの人にとって都合の良い人間を演じてきたけど、そこには「自分がダメージを受けないように」という気持ちも少なからずありました。
でも、結局それをすればするほど、自分は遠くに遠くに行ってしまったし、むしろ自分自身を閉じ込め、傷つけるようになってしまった。
私が今まで気づかなかったのは、自分が一番、自分を「惨め」にしているという事でした。自分は可哀想だ。惨めなやつだ。周りのために自分の事は度外視した。
それで安定していた。慣れていた。
「私の音楽やドラマに対する感性は、そういう経験があったから。」
そうやって、自分を正当化していました。
ここまでうまくやってきたのかもしれないし、それで得たものだってあったかもしれない。
でも、それでも、それが自分を傷つけるものに縛るものになっていたのだとしたら変えなきゃダメだ。
ここまで来て私が感じた一つは、そういう今までの誰かのための生き方じゃなくて「もっと自分のためにわがままに生きて」という事です。
ここまで、家族の問題を背負って、代弁者として緩衝材として、調整弁としての役割を知らず知らずに担ってきたけど、それは本来は必要のない事。
私が入る事で、事が収まる。「しっかりしてるから」という理由で、システムの一部を強いられてきた。
ずっと他人の顔色伺って、自分の思いを我慢してそれどころか否定して完璧でいようとしたけど、自分のためにも、誰かのためにもならない。
それはただの「サバイバルスキル」の暴走。
我慢してた方が楽かもしれないけど、それは長くなればなるほど、大きな傷にとしてずっと残る。
むしろ自分が辛くなってこの先、他の誰かを巻き込んで不幸にしてしまうかもしれない。だからもっと自分のやりたいように、好きなように、感じるようにそのまま生きて欲しいです。
そして、これまでの辛さや苦しさを理屈で正当化せず、「苦しかった」「辛かった」ってちゃんと言って向き合って抱きしめてあげて欲しい。
誰かがその気持ちを分かろうと、受け止めようとしてくれるなら、頼って欲しいです
。
自分が「仲良くなりたいな」って思う人には、「迷惑かな」と思わず、遠慮せず関わっていって欲しい。
年齢とか性別とか出自とか色んなこと考えず、まず伝える努力をして欲しい。関わる勇気を持って欲しい。
変に「こうしなきゃ」とか、「完璧にしなきゃ」とか思わなくていい。
あなたが否定していた「図太さ」も大事。じゃないとまた、自分でどんどん惨めなポジションに行っちゃう。時にはズルしても、嘘ついても良いんだよ。
あなたは、ロボットじゃないの、人間なんだよ。
そして誰かのための操り人形でも、システムの一部でも、スケープゴートでもない。だから自分らしくいる事を一番に考えて下さい。
自分をまず、真ん中に。家族からは少し一歩引いて今は考えるべき時だよ。
「やりたいことを」「好きなことを」って言うけど、家族のことがずっと頭にあって、自分で挑戦したり選択したりできなかったから、今は自分で何をすればいいか、何がやりたいのか、好きな事を我慢せずやっていいのか、分からなかったり戸惑いもあるだろうけど、少しずつでいいから。
自分で選んで自分で挑戦して生きていって欲しい。
しっかり者じゃなくていい、ちょっとぐらい”わがまま”でもいいと思うよ。
「自分はそういうタイプじゃないから」と自分の「好き」を隠しちゃダメだよ。
否定しちゃダメ。いちいち、やりたい事に意味なんかなくていい。
自分の思いに正直にいること、好きなことをする事にもう罪悪感なんて感じなくていい。とにかく好きな事、楽しいなって思う事、思い切りやって欲しい。
友達と気軽に出かける、気軽に電話する。
これからは出来るといいね。自分のペースで。
カウンセラーさんに言われた言葉で、印象深いのは
「”メンタルが弱い”は感情に敏感なことじゃない。それをどうコントロールするか」
あんまり色んなニュースや自分に関係ない話にまで共感しすぎないように。
「切り離す」「割り切る」も大事にして下さい。
もう一つは、そんな「本当の」自分で、ありのままでいられる「ホームグランド」をちゃんと作って、内と外をしっかり持つ事。
一人の自分としてそれぞれで無理なく振舞えるように。
前半で、”見せかけ”の自分と、”本当”の自分が解離して二つになって優劣ができていると言いましたが、それを統合して一つの「私」に戻す。そして、内と外で切り替える。
今まで私にとって、家は「戦場」でした。
つまり内でありながら自分がありのままではいられなかった。つまり外に近い状態でした。そして学校やその他の社会は当然、外です。
だから内が存在しなかった故に、「サバイバルスキル」が常に働いて、本当の自分は知らぬ間に消えてしまった。そして”見せかけ”の自分でいっぱいになってしまった。
本来なら内と外で、見せていいところ、隠すところを分けるべきところを、全部を見せるか。全部を隠すかのどちらかになってしまっていたようです。
だから、ちゃんと自分自身でいられる空間、パーソナルスペースを確保して、内と外をしっかりと分けて、自分をうまく見せられるようになって欲しい。一人の空間もだけど、誰かと共有できる空間で、「本当」の自分が出せればそれに越したことはないと思います。
そして、「やりたいように」「好きなように」いる自分は「絶対」だから。というか「絶対」持っててください。
どれだけ世間から「おかしい」「変だ」「欠陥だ」と否定されようとも、自分の内では「絶対」でいてください。
今まではずっと「正しく」いようとしていたと主けど、ずっと正しくある必要なんてないからね。
そもそも、「欠陥がある」とかそんな事は絶対にない。
生きてるだけで十分だから。
どんな事を言われてもそれだけは強く思っていいよ。
ということで!
ここまでが今の私の目標であり、自分の中で大事にしなきゃならないことです。
少し自分に問いかけてしまいましたが、同じように自分を抑えて、しんどくなっている人にも届けばいいなと思いました。
今回はここまで。
次回で最後です。次回は、私が皆さんに伝えたい気持ちを改めて。
次回も読んでくれるとありがたいです。では。