ヤングケアラーの「私」の話 ②~サバイバルしても良いことはない~ 2021.9.14
皆さん、こんにちは!こんばんは!みぞ!です。
前回に引き続いて、私自身の話をしていきたいなと思います。
(前回の記事を読んでいない方は、是非読んで欲しいです。)
「戦場」で耐えながらも、何とかしなきゃと思う日々
小中学校の時期に、父親がお酒に苦しめられていたという話をしましたが、中学ぐらいになると自分自身もその異常性に気づき始めて、自分でも行動を起こすようになります。今回は、そんなやっと家庭状況の不全に気づき始め何か「しなければ」と思った頃のお話から。
行動を起こすと言っても、前回述べたように、毎日お酒を飲んでストレス解消するが、飲んだことのストレスでまた飲むという負の無限ループ。
でも、本人は苦しい。だから責められない。でもでも、自分もひたすらその本人のストレスの受け皿として暴言を受ける。苦しい。でも...
というどうにもならん状況でした。
でもだからといってもやはり攻撃を受け続けてそのままという訳にはいきませんから。
小学生まではただ、嵐が去るのを待つというかただ「耐える」という行動しか取れませんでした。というかそういう台風とか雷とかそういうものと同じで、そこだけ耐えれば大丈夫なものと思っていたのかもしれません。
実際、その頃は、家族で旅行にも普通に行っていたし、楽しい事も多くありました。
ですが、「家族」と言う形に父は拘っているようで、母も割とそんな感じで。
今思えばその意識が私を苦しめたのかなと思ったり。(私だけでなく家族皆)
と脱線してしまいましたが、中学の頃になると同じ「耐える」でも、両親の言い合い(?)に入っていくようになりました。
「少しでも穏便に」
その思いだけで、父親を何とか諫めようとしました。
今思い返せば、「中学生でよく頑張った」と昔の自分に言ってあげたい。よく頑張った。その頃からそのストレスに耐えられなくなり、私が少し暴れてしまったりもありました。普通ならグレてもいいところ、私は基本、ケガしないクッションを投げたり父親の背中を叩いたり(マッサージかよ)しかしなかったのでこれも私らしいというか(笑)
完全に悪い方向にはいかずに良かったなと思います。
仲裁に入ったはいいが、大体私が暴れてその場が収まったかな。
前回もお話しましたが、父のキツイ言葉や怒鳴りには、ほとんど荒唐無稽な、どちらかというと本人のメンタル維持のために、私たちに対してストレスを向けられるようなものです。ですから、その時「話し合いでなんとか諫められれば」と思っていた私は粉砕されたのでした。だからこそ、行動した意味はなかったのですが、やるしかありませんでした。
よく私が例えで言うのは「日本語が分からない外国人に日本語で話すようなもの」
今も時々そうなのですが、そういう時にむしろ私が父に「この子大丈夫だろうか?」みたいな目で見られるんですよね。認知症の親御さんの世話をされる方も、そんな辛辣な経験をされているのだろうかと考えたりもします。
また話が逸れてしまいましたが、とにかくこの頃から私は週末や休み(場合によっては平日に)に突如と起こる「戦争」に備えるような日常になっていきました。
「戦争」にならないようにどう気を付ける??
どうすれば精神的被害を最小限にできるか??
それを一番に考えるようになりました。するといつの間にか、常に誰かに命を狙われているかのような、言うなれば「サバイバル」のような日々を過ごすようになります。
ずーーーーーっと緊張状態にあるので、当然、何もないフリーな時間でも心休まらない、楽しめない、それどころか何だか不安になる。今もその症状に苦しんでいます。
またそれに付随して我慢する事や自分の感情を抑える事、そして周りの顔色を伺う事が普通になっていきました。
いつ銃弾が飛んでくるか分からない、いつ爆弾が落ちるか分からない、どこに地雷が埋まっているか分からない。比喩としてこれを使うのは大げさと思われるかもしれませんが、感覚としてはまさにずっと「戦場」にいるかのようでした。
そんな辛い時に支えてくれたのが音楽やドラマでしたが、あくまで現実からの逃避、我慢としての側面が今より大きくあって、エンタメがあって良かったと思う一方、「耐える」事に、殻にこもる事を可能にしてしまったため、それに固執してしまう事になってしまったのは良くなかったのかなとも思います。だから苦い記憶の一部でもあったり。
自分が生き抜く=”家族維持システム”の一部になる
ここまでで「あれ?」って思った方がいると思います。最初は「何とかしよう」と行動を起こした私でしたが、どんどん私までが父のメンタル維持システムに組み込まれて巻き込まれて、一番嫌だった「耐える」事を悪化させる一途を辿ってしまったのです。
これが良くなかった。
だからそれを可能にした音楽やドラマに感謝する一方、苦い記憶もあると言ったのです。
そんな状況下で私が奇しくも育んでしまったのは、周りの目を、顔色を伺い、その場を出来るだけ穏便にするスキルです。
前述しましたがそれに伴い「自分」の気持ちや考えを封印し、色々な事を我慢して周りを優先するようになっていきます。
それは私自身が両親の「調整弁」に図らずもなってしまったから。
母親が罵倒され、父親が怒鳴るという状況下では、私しか真ん中に入る人はいません。だから、最初は父親の発言をできるだけ肯定する方に私が口を出していましたが、「言っていることはおかしい」というのが明白だったので、母親に付くしかなくなり、先ほども言いましたが、結局は私が泣きながら怒り、暴れる事でしか場は収まりませんでした。
毎回起こっていると、「もう嫌だ」と反射的に体が動いてしまうんですよね。
まさにトラウマというか。
そんなこんなで私は、意図せず、夫婦の問題に首を突っ込み、お互いの声の代弁者になり、二人の間の緩衝材になってしまいました。
それでも何とかしようと、母の弱音や吐露を聞いたり、両親の感情コントロールをしていました。
誰かのストレス、感情のコントロールを他人がするってどう考えても無茶な事を担おうとしていたと思うと、また自分を労いたくなりますが、そういう全ての行動が、むしろ、自分が今悩み苦しむ原因を自分で作り出すきっかけになっていたと思うと、100%労う事は出来ません。
そういう状況下で獲得した能力を「サバイバルスキル」というそうです。
平和な街の中で、銃を構え刀を振り回す
さっきから「サバイバル」と連呼していますが、過去に虐待を受けていた子供の事を「サバイバー」などと言うのを知っている人はいるかもしれません。それです。
何回も「しんどかった」と連呼するのもあれですがここは言わせてください。
しんどかった。
常に何かに怯えている状況が学生時代を網羅していたのは今思うと、なんて最悪だったんだ。と思うばかりです。
中学時代はそれに加え、いじめを受けていたのでなかなかにキツかった。
かばんは窓から投げ捨てられる、体は蹴られる、勉強の邪魔をされる、黒板消しでチョークの粉かけられる...そんな事されておきながら、学校に行かないという選択肢は取らず、行き続けました。
それで、家でもこれですから、休まる場所はなかった。それこそ、あるとしたら作品の世界だけでしたね。
私は妙に「負けず嫌い」で「根性」があるようで、「あと何日で卒業式か」を考えながら学校でも「耐える」日々を過ごしました。
そんなこんなで家にいても学校にいても心が休まらない中学時代は、なかなか大変でした。
「サバイバルスキル」
周りの些細な変化にも気づく、他者の気持ちや考えに敏感というのが、このブログにも表れていたり、私と話したことのある人はそういう点を「素敵だ」と感じてくれて、褒めてくださったり仲良くしてくれているのかもしれません。
褒めてくれる人や仲良くしてくれる人もいて、家では、ダメージを最小限に出来る。「サバイバルスキル」も良いように働いてそうだからいいじゃん。
と言われそうですが、決してそんなことはありません。
「家」の中では確かに良い方向に向く...というか、その場の命を守ることができるから良いのかもしれません。
ですが、いじめもなくなり「サバイバルスキル」を使わなくていい高校・大学、今に至ってもずっと私の頭は心は「ここは戦場だ」と反応してしまいます。「サバイバルスキル」が働きます。
先ほどまるで日常が「戦場」と表現しましたが、常に戦場で命を落とさないように警戒していた人が、いきなり平和な社会へ飛ばされればどうなるでしょう?
「戦場」と変わらず、とてつもない緊張感のもと自己防衛のための行動を変わらず取ります。銃を構え、いつ来るか分からない攻撃に常に警戒する。
ですが、そこは「戦場」ではありません。
銃を構えながら歩いたり、刀を振り回していれば当然捕まるでしょうし、ほふく前進しようなれば「あいつどうした?」と完全に「ヤバいヤツ」「頭のおかしい」やつと認識されてしまうのです。
この社会との感覚の差が時間が経てばたつほど、自分を苦しめていったのです。
自分を苦しめた「サバイバルスキル」
カウンセラーさんと話をする中で、興味深かったと言えば変ですが、私が学生時代、自分自身と向き合い改善に向かえなかったのにはちゃんとした理由がありました。
学生時代は、「サバイバルスキル」常時開放状態でも、問題はありませんでした。
私のサバイバルスキルは、基本的にリスクを避けるために我慢したり、周りの顔色を伺ったりするというものなので、学生時代は「学生」であるという以上のものは求められないので、それさえしていれば、「こいつヤバいやつじゃん」と思われたり、自分自身の中でも何か辛さを感じる事はなかったのです。
銃を構えながら歩いていても、路地裏にいたりすれば特別厄介な扱いを受ける事はないという訳です。
具体的かつ大雑把に言うと「テストで良い点取っていればいい」ということでしょうか。
ですが、社会人になって仕事を始めると一気にガタが出ます。
「社会に出る」
既にこの段階でも選択肢は無数にあります。
それに、その選択の先には無数の人や出来事がある。
そうなると今までは、何かが起きないようにリスクを避けながら、「戦場」でもないのに得体の知れない恐怖におびえながらも何とか、人の顔色を伺いながらうまくやっていましたが、配慮しなければならない人、出来事の数が増えた事で、全ての感情を受け入れ「サバイバルスキル」で対処することが出来なくなります。
むしろそれが足かせになるのです。
ここまで私の「サバイバルスキル」は、
①自分の感情や考えを我慢する
②他人の顔色を伺い(感情を受け止め)、それに合わせて行動する
の二つを主に挙げてきましたが、他にも、
③意味のない完璧主義
④リスク回避のための異常な”先回り”
⑤考えることこそ正義。理論で自分の行動を正当化する”理論武装”
がありました。
どれも、とにかく「慎重」という感じのもので「時間がかかる」ものばかりで、どちらかというと行動的ではなく消極的なものばかりです。
そして、そのどれもが程度が異常でした。
例えば、、
・テスト前は、テスト勉強の予定を立てないと気が済まない。だけど予定を立てる事に拘り、実際はその通りに勉強できず、予定を立てた意味がない。
・テストで出るところはある程度決まっているのに、全てを網羅しようとして、確実に出るところの勉強が疎かになる。
・見たいものだけ見りゃいいのに、YouTubeのチャンネル登録してるチャンネルの更新動画を、全部見ようとする。
・考えが浮かんだら、紙にまとめないと、頭の中にずっと居座って他のやるべきことができない。
などなど、これは日常の些細な事でしたが、まだまだあると思います。
今なお続くものもありますが、昔は完璧主義や先回りに関してはかなり暴走気味でした。
これらの状況で、逆に生活に支障が出てなかったのが不思議なのですが、社会に出ると、いちいち先回りして余裕を持って対処はできないし、完璧に決まった形よりもその場その場での仕事が大事になってきます。
なので、それらの点から「サバイバルスキル」が自分を苦しめる方に向かってしまったという訳です。
「しっかり者」であり「落ちこぼれ」
学生時代は「しっかり者」
でも、社会人になると一気に「落ちこぼれ」になります。
そうやって失敗が一気に増えるからです。
失敗しなくても、色々なところに気を回しすぎてそれだけでしんどくなってしまいます。
実際、私が働いている時もまさにそれを感じていて、私の仕事はデリケートでありながらスピードを求められる仕事だったので、失敗という失敗はなかったですが、精神的に背負いすぎてしんどくなってしまいました。
学生時代は表向きは完璧。
だからこそ「しっかり者」という評価を受けるのですが、それは「失敗をしないように」とやってきたリスク回避や多くの先回りのおかげであって、表面上でしかありません。
そして、何より自分より他者を優先するため、自分の存在や権利が相対的に薄くなっていきます。
私が感じていた惨めさや劣等感、孤独感は、もちろん父に植え付けられたものでもありますが、自分自身が意図せず植え付けていたものだったのです。
だから、誰に何かを言われた訳でも、攻撃された訳でもないのに不安になる、怖くなる。惨めになる。孤独になる。
そして社会人になって今までのやり方ではうまくいかなくなる。そしてうまくいかないどころか「仕事が遅い」「積極性がない」「頭でっかち」という悪い評価を受けるようになるのです。
今までは、存在しないリスクに怯え、それのせいで存在しない不安や惨めさを感じたりしていましたが、そういう架空のリスクに対しての行動が、実際の失敗に繋がってしまったという訳です。
そんな悪い評価の中、最悪なのが、「協調性のない」「反抗的」というものでした。
それは、今まで”失敗”を恐れ完璧でいることに固執してきた事で、失敗に対する対処法を知らないため起こったものでした。
失敗した時、通常ならば、失敗するのが普通、大したミスはそうめったにない。だから大抵のミスは体裁上「は~い。すみません」と謝れば良い。
そんなところだと思います。
簡単に言うと「とりあえず謝っておけばいい」
当然、ミスについて、反省して次に失敗しないようにしなければなりませんが、過度に落ち込みすぎることはない。それが実際自分のミスでなく不条理な場合もあるからです。
ですが、私の場合、失敗をした時、どんなミスであってもとんでもないミスをしたと捉えてしまいます。
これまでは表面上であっても完璧にこなしてきた、そして失敗や弱みは悪だと知らぬ間に思い込んでいた。だからこそ、一つのミスの重さが人とは全然違うんです。
そして、そのミスは、自分の存在を否定されたかのようなものに感じられるてしまうのです。
そうなるとどうなるか?
もちろん、辛い苦しい気持ちになりますが、通常のように「謝らない」
いや「謝れない」
だって、謝れば、自分の存在が否定されてしまう。だから認めるわけにはいかない。
だから結局、謝ることなく「でも~だったから」などと反抗する。
それが、相手に対して「謝っておけばいいのになぜ、言い訳をするんだ。反抗的なやつだ」という風に思わせてしまうのです。
これが「協調性のない」「反抗的」とされてしまう理由です。
私は小学校の頃、「ナルシスト」と言われたり、母親にも「あなたは何を言っても言い返す」と言われたことがありました。
自分自身「我慢してるし、周りのために動いてるし...」と全然、納得できなかったのですが、おそらくそういうことだったのでしょう。
ちなみに以上のような、今までは何とかうまくいっていたが、環境が変わりどんどんうまくいかなくなることを
「早期不適応スキーマ」と言うそうです。
(私もまだカウンセラーさんから聞いたばかりなので、少しばかり勉強してみたいなと思っている最中です。)
ということで今回はここまで。
今回は私の「サバイバルスキル」について、そしてそれがどんな風に自分を縛ってしまったのかをお話しました。
父親からの暴言や家庭環境も辛いですが、一番は自分が「良かれと思って」
やっていることが、自分の首を絞め続けていたということでした。
次回は、今回もチラッと触れましたが、社会や他者との溝(みぞだけに?)、感覚の解離についてお話できればと思います。
今回も最後まで読んで頂いた方には感謝でいっぱいです。
ありがとうございます!
是非次回も読んで下さい!!