「新社会人」2021.4.19
4月も中旬に入り、もう5月がこちらを覗き始めている今日この頃。
私も、新社会人になり早3週間だろうか。なんだかんだ慣れてくる頃なのだろうが、全然慣れない。むしろ自分と仕事のミスマッチに日々、気づいていく日々である。
いつも、ブログは何回か書き直したり、色々考えて時間をかけて書くのだが、今回はまんま今思った事を、リアルタイムに書いていく。これからはこのスタイルが自分の主流になるのかなと思ったり。
さて、仕事と自分のミスマッチと言ったが、そりゃ入社前と入社後のギャップは不可避。それはそうだろう。だが、私の場合は、そのギャップが大きすぎた。
「未経験でもOK」
なる文句は、新卒採用でも、中途採用でもかなりの数、目にする。
まぁ大体、そういう風に書く職種は、専門性の高いとされるものであることが多い。
ITエンジニアや介護福祉などがそうだろう。
そんな中でも、私は介護の仕事を選んだ。
「思いやり」「優しさ」
そんな言葉が、前に出てくる世界。もちろん、綺麗事だけではないだろうが、そういうものが地盤にあるような仕事なら、出来ると思った。
でも実際は、それはもう地盤どころか、地下深くあるものだった。それらのある深さを随分見誤っていた。
職場の先輩も同期もとても良い人だ。大体の事は聞けば教えてくれるし、気遣ってもくれる。だが、私が初出勤した時感じたのは、
「建設事務所みたいだな」
ということだ。あんまり喋ると、会社の規約に抵触するのかもだが、まぁお客さんの事でないから良いのだと思うので、続けて話すが、私の勤める会社は訪問型の介護サービスだ。それ故、世間一般の想像する、高齢者施設のようなものとは違う。
オフィスで仕事をすることがほぼないので、簡素な感じになっているのだ。
それは、仕事を選ぶ段階で想像は出来たが、想像以上に、建設事務所感。
実際の仕事に関しても、
「引っ越し業者みたいだな」
と思った。あんまり業種が断定されるのは良くないので濁すが、介護の中でも私の勤める会社は、大きい荷物を搬入してサービスを行う。
それ故、もはや引っ越し業者さながらの搬入作業の繰り返し。
それも、直角に近い階段が立ちはだかったり、物が置けないほどの部屋の広さだったりと条件もおうちによって様々だ。
もうここまでで、察しただろうが、私に80~90%合ってない。
「でもそれを分かってて選んだんだから自業自得だろ!」
という声もあるだろう。
しかし、超狭いお部屋にサービスに行く事も、荷物をめちゃめちゃ運ぶことも、その程度がどれも想像以上だった。分かりやすく言えば舐めていた。
そして何より衝撃だったのが、仕事の多さ。
物を運びサービスを行うのも時間勝負、効率重視。
最初に現場で作業を見た時は、まさに度肝を抜かれたというやつである。
漫画で腕を何本も書いて、早さを表現するアレがあるが、まさにそんな感じ、顔も皆、真顔だ。
だが、お客さんの前では、笑顔。
プロだ。プロすぎる。
そう思った。
同時に「私には無理だ...」とも思った。
先輩は「作業は覚えていくから大丈夫。早くなるから!」というが、
私は、その仕事の効率と、接客の二つを両立させることがすこぶる苦手だ。
このブログを読んで下さってる方なら分かるだろうが、私は感受性が高く、一つずつ、ニュアンスを大事に、丁寧に物事に向き合える。逆に言えば向き合ってしまう。
それ故、それに作業効率が入るとかしんどすぎるのだ。
この時点で、介護って究極の接客業なんだと認識を訂正した。
スーパー・コンビニの店員さんも、作業効率を意識しながらも、お客さんに対しては笑顔だ。
介護の世界では、それに加え体調、着替えの用意や様々な事を気にしなくてはならない。ハイレベルなお仕事だ。
それに、仕事のフィールドが、スーパーやコンビニなどの公な空間ではなく、お客さんのご自宅という私的空間だ。
他人の家に踏み込むのが怖い。もともと心の壁が分厚い私は、相手の私的領域に入ってさらに、他者の体に触れるという、プライバシーへの介入行為がどうしても辛い。
先ほど、ハイレベルな仕事と言ったが、ホントにハイレベルな仕事だ。私的領域へ身体的にも、領域的にも踏み込む、そしてそこに作業効率が求められる。その仕事には体力が必要。
やればやるほど、「なんで介護の地位はこんなに低いのか。待遇がなぜよくないのか。せめて給料だけでも普通より高く設定すべきだろう」と、大学時代思っていたことが、現実性を帯びた言葉として顕現する。
先輩に話を聞くと皆「勉強ができないからこの仕事に」と言う。
そして「看護師やってたからこの仕事に」とも言う。
そして私の学歴を聞き「もったいない!もっといい仕事あるのに!」と言う。
「うーーーーーーーん。そうか....」
それを聞いてこんな言葉で表されるような気持ちになった。
力仕事があるなどの仕事の性質上、そのような「妥協で入ってきた人」や「医療系の人」が多いらしい。
社会がこの仕事のハイレベルさを理解しない結果、なんか良からぬ連環ができているのだなと思ってしまった。
また、「学歴で人は区別されない、されてはいけない」とよく言うが、学歴は、ある種、その人が生きてきた環境を表す。それ故、学力云々は差し置いて、やはり何かしら違いはあると感じてしまった。
仕事の効率。
それがあるからか、お客さんに対する愚痴もかなり多い。
私が「接客業は向いていない」と考える理由の一つが、お客さんの悪口を言えないという点。
「確かにそうだな」
と思う反面、それを大っぴらに笑って盛り上がれない。
私が変なのだろうか。まぁ変だろう。でもそれがダメだと思いたくないのだ。
それに染まることはやってみれば簡単なのかもしれないが、それは自分じゃない。
ここまで文脈ガン無視で書いてきたが、「人手不足」と言われる理由が、とても分かったこの3週間だった。
排泄介助が大変とか、腰を痛めるとかそんな理由以上に、
私的空間に踏み込んでもある程度の割り切りが持てるか(愚痴含め)
独特な人間関係(かなり上下関係、曖昧)
人手不足なのに、サービス利用者増やすから作業効率重視
になってなんか大変ということだ。
私からしたら、効率を求められながら接客は困難、また万年、文化系の私が運動部並みの作業をこなすなどそりゃ大変、そして曖昧な上下関係もかなり困る、私的空間に入るのも自分が嫌なのに単身敵陣に踏み込むなど、毎回心臓がつぶれそうになっている。
つまりは100%向いていない。
やりたいことを必ずやれるとは限らない。それが社会、それが仕事。
そう思って、自分のやりたいことよりも妥協して選んだのが、正直なところ。
会社の研修で、我慢する必要のあることと、我慢すべきでないことの二つがあるという話があった。
「しんどいな。辛いな。」
そう思うのはある意味、当たり前の事。
だが、それが正当な辛さ、しんどさかどうか。
ブラック企業でパワハラを受けている、体質的に合わない、そんな場合は、
「今は我慢してやれ」
とはならない。そんな話だった。
だが、それも社会では、ただの忍耐力不足でカテゴライズされてしまうのが難しいところ。だから皆、病になってから死に瀕してから気づくのだろう。
とりあえず、一日一日頑張っていきたいとは思うが、将来のビジョンが完全に消失している。すぐに仕事辞める選択はなかなか出来ないが、そもそも私は社会のはぐれ者だ。
もっと妥協せず求めてもいいのではないかとも思う。正しい妥協をしたい。
「しんどいけど、これならできる。」「しんどいけど、楽しい」
そのどちらかを選んでいたい。
介護福祉という特殊な業界故に、長居すればするほど、他の業種に行けないのではという不安もあったりするので、こんな時期に、こんなブログを書いてみるほどになった。
まぁ大きい独り言なので、気にしないで欲しい。
言語化する事で、悩みは折りたたまれる。
そういう私の強みがどこかで活かせないか考えていくべきだろう。
なんかとてつもなく暗い感じになっているが、この仕事を選んだこと自体に後悔はないのだ。ここに書いた全ては、やってみないとホントに分からない。
そしてそれが、ただ単に自分に合っていないということだけで、悪と言う訳でもない。
日々、介護に対してリスペクトは増し、気づきも多い。
人生の豊かさに繋がるヒントを貰っている。
最後に、仕事に関してではないが、一つ仕事中にハッとした事を一つ。
仕事上、車にずっと乗っているが、ラジオを付けてくださることが多い。
夕方頃のこと、「仕事がもう少し長引きそうで定時では終われなさそうです」といったメールに対して、DJが「お疲れ様です!このラジオが終わる頃には終わっていればいいですね!!」と返した。
私はこの20何年間ずっと、「仕事中に、ラジオにメール??」という感じでそんなメールに違和感を持っていた。
だが、実際、車に乗る仕事をするようになり、
「あぁ~!!!そうか!!そういうことか!!」となった。
車に乗りながら仕事をする人もいて、そんな人の拠り所にラジオ番組はなっているのだなと感じた。そんな素敵な気づきもある。
だから、選択に後悔はない。
とにかく前に進んでいきたい。真正面じゃなく、斜め前でもいいから進んでいく。
仕事中、ラジオから流れてきたこの曲、ROCK`A`TRENCHで「My SunShine」でお別れです!!
以上、みぞ!でした!したっけ~!!