みぞ!のみぞ知る世界!!

とにかく自由に好きなことについて書いていきます。

「青春」は一つじゃない 2020.8.15

 皆さんは「青春」という言葉を聞いて何を想像するだろうか?

私は、最近仲良くしているTwitterのフォロワーさんから『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』というアニメを猛プッシュされているので、この作品が思い浮かぶ。

まぁというのは冗談ですが(ブログの導入ネタに使ってすみません。早く見ます)

世間の大多数が共通して持っている「青春」とは、授業が終われば練習に精を出し部活三昧、気になるクラスの女の子に恋して告白したりあわよくばデートしてみたり、友達とカラオケで一日中騒いだり、とにかくキラキラした楽しいイメージだと思う。

今回はそんな世間の「青春」とは違う、「青春」を描く曲を見つけたので少し紹介したいと思う。

 

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【曲との出会い】


ハンブレッダーズ「DAY DREAM BEAT」Music Video

 

ハンブレッダーズというバンドが奏でる「DAY DREAM BEAT」という曲が紹介する1曲である。

「あれ?」

そう思った人は私のことをよく知っている人だと思う。

私はいわゆる「邦ロック」と呼ばれる音楽をほとんど聴かない。

昔からロックバンドの熱いノリが少し苦手で(今はそれも一つの表現方法だと思っているから偏見はないのだが)、男性ボーカルの曲もあまり聞かない。

つまりこの選曲はみぞにとってかなり異端。

ではなぜこの曲を知ったのか。

 

この曲に出会ったのは、つい1週間前。音楽との出会いはいつも突然だ。

今の世の中、動画配信サイトの波に乗れば、波と共に沢山の曲たちに出会える。

昔の人々は、レコードショップに立ち寄り同じ事をしていたのかなと思うと、なんだか時代の流れを感じるが、実は私のこの曲との出会いはそんな昔ながらの出会いだった。

 

「ネバーエンディング思春期」

 

店内でこの1フレーズが書かれたポップを見てしまったのだ。

ズルい。ズル過ぎる。こんなのチェックするしかない。そう思い家に帰りyoutubeに潜った。そこで胸にズドーーーンと来たのがこの「DAY DREAM BEAT」である。

バンドの情報をザクっと見てみると、今年メジャーデビューだそう。おめでとうございます。そして大阪の方々だそう。なるほど。

そして、スクールカーストの最底辺から青春を歌いに来ました」

という台詞があるらしく、今回の曲もザックリ言ってしまえばそんな曲。

ここまで〇〇ペディアを参照したので適当に調べてしまってハンブレッダーズの皆さんには少し申し訳ないが、本題の曲の方で、愛を持って話すので許してほしい(?

 

 

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「青春」に対する反抗・孤独・疎外

http://j-lyric.net/artist/a05ddf7/l04479d.html

 (歌詞全文はこちら👆)

この曲は、冒頭で書いたように世間の「青春」いわゆる「アオハル」とは別の「青春」を描いている作品である。

この曲の何が良いか。それは歌詞に尽きる。

学校生活を送る学生なら一度は聞く”スクールカースト”という言葉。

世間では広く「陽キャ」と「陰キャ」という二つに分けられ語られることが多い。

意味としてはとても大雑把で「明るい人」⇔「暗い人」という感じである。

私も学生時代、「陰キャ」と罵られたことがあった。

世間では大きく「陽キャ」と「陰キャ」に分けて語られる。

私はこのような乱暴な人物規定には否定的だが、今回は説明上、都合よくこの言葉を使う。あらかじめご了承を。

いわゆる「青春」はそんな陽キャが満喫するもの。逆に「青春」を謳歌できるものが陽キャと言われる。学生時代「陰キャ」と言われまくった私はずっとそう思っていた。

その論理で行くと、陰キャと言われる人は、「青春できない人」と規定される。実際、私も「青春」したかと言われたら開口一番に「NO!!!!!!」と答えるだろう。

だから間違ってはいない。そう。間違っていない。

だが、この曲は、そんな論理に対して「クソっくらえ」と放つ。

 

歌詞の中の主人公は、世間の「青春」とはかけ離れた存在。だけど、決して「青春できないダメな奴」ではない。

モラルがひどく欠如した電車を飛び降りて

生活指導の奴らの包囲網を抜けて

このような歌詞にあるように、世間に対する「反抗心」のようなものを持っている。私は普段からキュンキュンソングをばかりきくような人間なので純粋に「あぁロックだから使えるワードだな...!!」と思ってしまった。

二番の歌詞にも、

終業のベルで一目散 牢獄を抜け出した

一緒に帰る友達がいなくてよかったな

とある。学校を「牢獄」とまで表現するのには「反抗心」もあるが、「孤独感」「疎外感」というようなものが込められてる気がする。これに関しては、私も経験があるので、余計に共感を覚えた。クラスの多数に無視されて、学校に居場所がないと一刻も早く出たい。そんな気持ちに毎日なっていた。直接無視してなくても、「沈黙する大多数」それが一番怖いとも思った。

そんな中でも、私には数人友達がいて、とても助かった。だがこの歌の主人公は、「一緒に帰る友達がいなかった」まさに孤独。だが、それを「よかった」と評するのだ。

 

その理由が、この歌の題名にもある「DAY DREAM BEAT」に繋がる。

 

牢獄の外に広がる自分だけの「宇宙(青春)」

「一緒に帰る友達がいなくてよかったな」と言うのは、強がりでも恨み節でもない。

一人でないと経験できない自分だけの「青春」があったからなのだ。

ひとり 登下校中 (1番)ヘッドフォンの中は宇宙 

         (2番)ヘッドフォンの中に夢中

 

これは、この曲のサビの歌詞であるが、主人公は一人、「音楽」という宇宙に身を沈める。彼(彼女)は、学校にはない「青春」をそこで味わい尽くすのだ。

それが、主人公が「陰キャ」と言われようが、学校の中での「青春」を謳歌できなくても誇りを持っている所以なのだ。

私も、思い出せば、学校を耐えきって家に帰ってすぐさま再放送のドラマに入り浸ったり、音楽を聴いたりばっかりしていた。

そのおかげか、あまり辛かった思い出というのが残っておらず、「あのドラマ、観てた時懐かしいなぁ...」とか「あぁこの曲聴くとあの頃の雰囲気思い出すなぁ...」とかそんな気持ちで思い出すことが多い。

そしてこの曲は、私の経験と違い「登下校中」に音楽に触れている。その点もこの曲のセンチメンタルなところ。

 

「学校」というのは、普遍的な常識の権化のようなものだ。社会学上では「国家のイデオロギー装置であるとも言われる」それ故に、均質性を重視する日本社会では、「陽キャ」「陰キャ」という乱暴な人物規定が意外にもうまくハマってしまう。

それは「家」も同じで、その教育を受けている以上、なかなかその常識にとらわれて、自然と乱暴な人物規定が為されることも多い。

(ex.「一人で遊ばないで、友達をつくって遊びなさい」など)

 

そうなると、主人公にとって何物にも縛られない場所というのは自然と「登下校中」になる。まさに音楽が現実と混ざり合い「宇宙」となるのに最適な空間という訳だ。

 

誰にも経験できない自分だけの「青春」を作り出すビート

歌詞中には、そんな「宇宙」での音楽について主人公の熱い思いも描かれている

(1番)幾千回 脳内でリピート再生

  余すことなく丸暗記したミュージック

(2番)億千回 脳内でリピート再生

  好き嫌いの次元じゃなくなったミュージック

私も「好き嫌いの次元でなくなった作品」というのはいくつかあるので、とてもこの表現に惹かれる。

(1番)唇だけで歌う 自分の歌だとハッキリわかったんだ

(2番)音も出さずに歌う 君が歌うから世界は輝くんだ

 これは先ほど紹介したサビの残りの歌詞なのだが、「君」というのはその曲を歌う「アーティスト」と捉えられる。その人がその言葉をそのメロディーで歌うから意味があるんだ。そんな音楽の「人に寄り添う」という本質が垣間見える歌詞だと思う。

自分の居場所。それは、登下校中に音楽によって作り出された架空の「宇宙」であっても、確かにその空間を作り出す音楽の向こうには確かに「誰か」がいる。誰かが味方だよ。と言ってくれるそんな優しい歌であると私はこの曲を聴いて思った。

 

ロックだから、カースト最底辺だからこそ書ける「肯定」ソング

 ここまで歌詞をピックアップしながら、私の意見を交えながら文字を紡いできた。

私がピックアップした歌詞は一部なので是非、曲を聴きながら歌詞を見てほしい。

最後にこの歌詞を取り上げて、結びとしたい。

たった一秒のあの旋律が たった一行の言葉遊びが

揺蕩う僕の光になったんだ

自己啓発本みたいな歌に騙されんな

大人になればわかるなんて嘘だ

このフレーズが私個人的には、一番グッと来た。

特に「自己啓発本みたいな歌に騙されんな」という歌詞にはロックならではの、社会へのアンチテーゼを感じる。

私も、学生時代、いじめられていた時に「自分がダメだからいじめられるのかな」と思っていた時があった。それ故に、不安で自己否定の連続で、何かに頼りたくて、自己啓発本を読んでいた。だけど、何も響かず、何も力にならなかった。

 

今、私が好きな曲も、自己啓発本のような理路整然とした綺麗ごとではなく、非合理でも寄り添ってくれる、「”頑張れ”じゃなくて”頑張らなくていいよ”」そう言ってくれるような曲が多い。実際、私を救ったのは自己啓発本ではなく、そんな音楽だったのだ。

 

「大人になればわかるなんて嘘だ」そう、この世の中で正しいとされていることの全部が必ずしも正しいとは限らない。「若いうちは苦労すべき」という言葉があるが、自分で選んだわけでもない誰かに強いられた苦労なら、絶対にすべきではない。だから逃げてもいいんだ。そう強く思う。

 

私が今回、この曲を聴いて、歌詞を読んで思ったことは主に3つだ。

まず「青春」の形は一つじゃないということだ。「私は全然、青春できなかった...」と嘆く人、嘆くこともできない人いると思うが、もしこの曲の主人公のように、”自分の歌”に出会えそこで素晴らしい自分だけの感覚を味わえたなら、それは紛れもなく「青春」だ。そしてそれは他の人には経験できない素晴らしい経験。劣等感を覚えず、違う形の「青春」として誇りを持ってほしい。

 

また、学校や家庭に一人も味方がいなくても、一人じゃない。音楽やドラマなどの作品は所詮、作り物、虚構、架空だと揶揄する人もいる。だが、その裏にはそれを作った人が確かにいて、そんな人たちはあなたの味方だ。だから、そういう作品に出会う機会があればいいと思う。今の世の中、冒頭にも言ったようにSNSで、曲を通じて、普通なら出会えない素晴らしい人にも出会える。だから絶望してしまったら何でもいいから自分の好きな作品の世界に頼って欲しい。そう思う。

 

そして、この世は、そんな単純ではないということ。「陽キャ」「陰キャ」で割り切れやしないし、自己啓発本や学校で教える常識は、あくまでも多数の常識に過ぎない。だからそんなものに惑わされず、想像してほしい。考えてほしい。一つの理屈に頼る人間より、考えられる人間の方が素敵だ。自分の思いを大事に育ててほしい。そう思う。

 

何だか誰に説いているのかわからない文で結びになってしまったが、私自身に対する戒めのつもりでも書いたので特に気にしないで欲しい。

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あとがき・・・今回も長々と読んでくれた方ありがとうございました!!前々回のブログ更新後、「歌詞の考察見る前に、歌詞を読んでおきたい!」という意見を頂いたので、URLを始めに掲載しました。そして、以前は、共通項でまとめて何曲か紹介しようと思っていたのですが、なかなかまとめる作業が膨大なので、今回は1曲だけで、歌詞を全部取り上げるわけでもなく、ピックアップして文章のまとまりと、ブログの作業効率を意識しました。

さあ、今回の曲は本当に私に馴染みがない曲です(笑)ですが、とても素敵な曲だったので取り上げさせてもらいました。たまには邦ロックも良きです。

ロックだからこそ使える強い言葉や崩した言葉が、学生時代の何とも言えない気持ちを表していましたし、なんだか清々しい印象でしたね。

 

では皆さんまた会いましょう~!!したっけ~!!!

 

【みぞのfavorite songs】

 

3.ハンブレッダーズ「DAY DREAM BEAT」