みぞ!のみぞ知る世界!!

とにかく自由に好きなことについて書いていきます。

当たり前なのに「違い」は見えない 2020.10.4

 久しぶりにブログを書く。書く書くと言いながら、何でも「ちゃんと」やろうとしてしまう性分、更新できずにいた。歌詞分析系のブログは、形式を決めて「ちゃんと」書こうと思うが、思ったことを書きたくなれば、これからはサラッと書きたいと思う。

 

さて最近、いつも行かないような場所に行くことが多くある。用事でその場所に行くのであって、その場所に目的がある訳ではないのだが、知らない電車で、知らない場所に行くと思うこともあるものだ。

「うわぁ田舎だなぁ~」

恥ずかしながらいつもこれである。凝縮すれば本当にこれで済んでしまう。でも、その度にいかに自分が恵まれた立地に住んでいるのかということを実感する。

これは人によっては嫌味に聞こえるかもしれないが、純粋に「気づき」なのである。

私は、今の家に住み始め目立った引っ越しをしていない。そしてまあまあ都会に住んでいる。そのため、他者が別の場所に住んでいると聞いても、「そういう事実があるんだ」というレベルでしか考えていなかった。だが、よくよく考えるとその街に何があって何がないのか、それはその人の生活に、そしてパーソナリティに影響している。

だから、自分とは明らかに「違う」のだともっと認識しておかなければならない。

それは避けられない差。直視しておかなければならない差。

 

知らない場所に知らない電車で。そんなある日の事。私はその「違う」のだという事を認識することがあった。

それは用事を終えて、帰路に就く時の事であった。

私の座っていた座席の後ろで怒鳴り声が突然聞こえた。どうも巷では聞いていたが、「自粛警察」なるもののよう。

マスクを着けずに咳をする老人に、罵詈雑言を浴びせていた。

確かにこのご時世、「マスクを着けずに咳をする人」に憤るのも分かる。

だが、見知らぬ他者に武器を突き立てるような事をする事をしてはアウトだと思う。

そんな事があって「この人はどんな環境で、何があって何がない場所で育ったんっだろう...?」と考えてしまった。

だけど確かなのは罵詈雑言を老人に浴びせた彼は「違い」を認識していなかったのだろう。それは咳をしていた老人も例外なく。

 

その後、お昼を食べたのだが、そこでも「違い」を感じた。

私は、チェーン店であっても、注文したものを持ってきて貰えば「ありがとうございます」と言うようにしている。というか自然とそうしている。

お店の人は「ご注文はお決まりですか?」だとか、私の良く行く定食屋さんでは「ご飯のおかわりはあちらです!」など様々声をかけてくれる。

だが、周りを見ているとそれに対して会釈すらしない人が結構、多い。

チェーン店で、食券で、となると確かに今はそうなのかもしれない。

ただ、それでも私は「リアクションぐらい取ればいいのに...」と思ってしまう。

これも「違い」

 

私は普段から、自分は「普通」だと良くも悪くも思っている。もちろん普通ではない要素もあるが、いわゆる「常識」があるというか。うーん。難しいが意識せず世間と「同じ」であると自明の状態にいると言えばいいか。

だが、上述のような出来事で、それが勘違いだと気づかされた。

 

気に入らなければ無言で去ればいいのにと思う人に対して、罵詈雑言を吐く人。

少しでも感謝の意を伝えようとする人もいれば、事務的に終わらせる人。

私はどうも「共感性」が人より高いのかもしれない。

後者の行動を取る人々は、その「共感性」が低いのかもしれない。

良いか悪いかではなく、何も感じない。

だから、それが良いか悪いかも主観的な感覚的なものでしかないのかもしれない。

だが、「違い」の存在を理解しておくことだけは確かだと思った。

思ったより「同じではない」

だから、「好きだ!!」と思える。つまり「自分と同じだ!!」と感覚的に思える人はもしかするとすごいことなのかもしれない。そう感じた。

「違い」があるはずなのに、「同じ」に感じる。

今日からでも、そんな「同じ」と思える人ともっと話したいと思った。

「違い」を大事にして。