みぞ!のみぞ知る世界!!

とにかく自由に好きなことについて書いていきます。

ムゲンの世界~私にとって音楽とは~2020.5.24

(前回のブログを読んでくれた方にまず感謝です。ありがとうございます!!今回は前回の一応続き。私が、世界と、人と対峙するときに大事にしている事に繋がった「音楽」という存在についてダラダラ書きます...!!)

 

このコロナウィルスの渦の中、数々のエンタメが”不要不急”として苦難を強いられている。大抵の人からすれば、エンタメは必要不可欠なものではない。だけど私にとっては必要不可欠であり、確かに生活に必要なモノなのだ。

 

www.youtube.com

この動画を、たまたま見た。ぜひ、コメント欄の書き起こしも見ながら、動画を見てもらいたいのだが、

人は、死にながら生きることができるのだと学びました。人生は壮大な暇つぶしのように思われました。視界がグレーに染まり、未来には漆黒が広がり、毎日、今日をどうやり過ごせばいいのか絶望に始まる朝を迎えていました。

 

私はこの部分を聞いて、心が痛んだ。それと同時にこのような表現をできる彼女を尊敬した。

身体は一度死んでしまえば二度と生き返ることはできないけれど、死んだ心は蘇生することができる。生き返らせることができる。それができるのは、文化・芸術に他なりません。

 

次にこうある。心を癒やせるのは、文化だと、芸術だと。

 

私にとって音楽は「好き」の対象である。だけど「趣味」という枠組みでは到底留まらない存在だ。なぜなら私も橋本愛さん同様、音楽にたくさんのものを貰い、心に光を与えてくれたから。

だから、こんな時だからこそ、私にとって「音楽」がどういうものなのか。今回は頭の中にある漠然としたものを一度書き出してみたいと思う。

 

私は抽象的な、ある意味哲学的なこと?を考えるのがとても好き。だから前置きにこんな戯言を聞いてほしい。

(戯言だけどわたしにとって根幹にある考えだから読んでほしいです笑)

 

人が感じる”感じ”や感情にはニュアンスがある。例えば、曲を聴いて感じる「優しい」と「切ない」という二つの概念の境界が曖昧だったり、「嬉しい」と「悲しい」という感情も完全に二律背反のものじゃない気がしたり....1本の線の上に無数にある”感じ”や感情のうち対照的な二つを指標として取り上げて、理解しやすくしているだけで、実際はその間に、”感じ”や感情はあるのではないか...?

言ってみれば無理に言語化しているようなそんな感じする。つまり「言葉」では感情や”感じ”のニュアンスを完璧に表せないということではないかと。

人によって感じ方は千差万別、そして机の上に感情が置いてあるなんてこともない、そんな実体のないもの、表せなくて当たり前だ。

 

ここまで読んで「こいつ何が言いたいんだ?」そう思った人もいると思う。

私が言いたいのは、言葉では表せないそんな感情や感じのニュアンスって尊くない??ってこと。皆が、それぞれ一言で表せない、世界に一つのものを持っているってこと。

 

ここでやっと私にとって「音楽」がどんな存在なのかというお話につながる。

(ここまで読んでくれてありがとうございます...(笑)

 

上に書いたようなこと全て、「音楽」が私の中に染み入ったからこそ私の中から滲み出たもの、産物である。だから「音楽」は私にとって想像力の根源である。

音楽、、狭義にここでは「曲」を前提とする。

 

曲には大抵「歌詞」と「メロディー」がある。

歌詞も言葉。上述したように表せないものがあって当然で、「言葉の限界」というものが当然存在するのだと思う。

だけど良い歌詞は、短い言葉の羅列を完璧に表す意図を持って紡がれるのではなく、ある程度の「間(ま)」を持たされる。言葉の限界があると分かっているからこそ、言葉の間に空白をつくる。それ故に、、

「誰かにとっては切ない」「誰かにとっては優しい」

というように同じ曲でも解釈が分かれることがある。だが、それは歌詞に「間」があるから。その「間」を曲を聴く人が補う。補うというより白紙の部分に色を塗るというような感じだろうか?

私はそういう曲こそ「音楽の力」のようなものを表している存在なのではないかと思うのである。

音楽の中で、言葉は表すことではなく、あえて表さないことを選ぶことで、無限の存在になる。言葉はあくまで、フレーム。中身を作るのは、聴く人の、歌う人の内なる感情なのだ。

 

もう一つの構成要素である「メロディー」は、そんな無限の世界を作る重要な存在。

人をその世界に引き込む案内放送のようなもの、入り口。

そして一瞬で人の心の内に世界を作り出し、歌詞で溢れさせる。

まさに個々人が独占することを許された夢幻の世界とも言える。

誰にも否定されることもない不可侵な世界。それは心の拠り所になってゆく。

そして曲は心の中で完成するのだ。

(なんて素晴らしいんだ....そうは思わないか??(私だけかな笑))

 

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 さて、ここで大体書きたいことの半分。ごめんなさい。支離滅裂かもしれない。だけどもうちょっと読んでくれるとみぞは喜びます。ブレイクタイム終了.....!!

 

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 ”完成”すると言ったが、明確には曲はその段階で”生まれた”のであって、完成ではない。そこがまた音楽の面白いところなのだ。

 曲が心の中に生まれ、一緒に生きていく内に、その個々人が様々な経験をする度に、曲は色を変えてゆく。世界と表現したが、心の中に住む”友人”とも言えるかもしれない。

その中で、曲と触れた何気ない一瞬も、その気持ちと共にその曲に”思い出”として残る。

そして、逆に様々な場面の中で、曲はその人の生活を彩ってゆく。そして人と人を繋げる。私もたくさんの出会いを貰った。感謝してもしきれない。

いろんな場面で私を助けてくれた”一番の理解者”だ。

このように曲は音楽は、出会った瞬間に心に生まれ、成長しその後も様々な場面で様々な役割を果たしてくれる存在なのだ。

 

ここで私の好きなソングライターの言葉を紹介しながら、締めに向かいたい。

www.uta-net.com

私の好きなシンガーソングライターベスト3には入る坂口有望さん。

彼女は、「歌詞を書くこと」に対しインタビュー記事の中でこう語っている。

自分のリアルだけを歌っていたときは、日記みたいな気持ちでした。でも今は、聴いてくれるひとがおるって気持ちで作っているので、歌詞は言葉にできない気持ちを収めておける“引き出し”ですね。私自身もそうやし、みんながそれぞれの箱に、今の気持ちを入れておいてくれたらいいなと思っています。

彼女は、歌詞は気持ちを収めておける”引き出し”と語っている。歌詞を書く人が、収めた気持ちを私たち受け取る側が、引き出し楽しむというイメージだと思う。

まぁ私のブログよりこの方のインタビュー記事を読んで、是非とも坂口有望ちゃんの

2ndアルバム「shiny land」を聞いて貰いたい。

 

youtu.be

こちらも同じく私の特に好きなシンガーソングライター瀧川ありささんのインタビュー動画である。ここでありささんは「自分が歌う理由」を語っている。(動画では1:05辺りから)

コミュニケーションが苦手で寂しかった。寂しいって思う前から歌ってた。

後から歌う理由を考えるようになった。その中で、ちゃんと自分の音楽で、いわば今まで自分独りの真っ暗闇だった遊園地に皆が来てくれて皆がそれぞれ楽しんでくれてる。

それが一番幸せだなとライブをやっている中感じた。(動画から要約引用)

 この表現もとっても好きで、孤独を埋めてくれていたのも音楽だが、そこから繋がっていく。歌歌いの方はもちろん。それを享受する私たちも、ある種作り手であり、それぞれの音楽があり、それを介して繋がっていく。

音楽が代わりに自分の気持ち、思いを代弁してくれる。そんな風にも言える。

また、私が、無限の、そして夢幻の世界といった音楽の世界はありささんの言う”遊園地”のイメージが一番近い。

 

 

このお二人の表現をお借りして、ここまで書いてきた「私にとって音楽とは?」を簡潔に表すと、『引き出しの中の遊園地』と言えるのでは?と思う。(超簡潔にしたらね笑)

 

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ここまで読んでくれて本当にありがとうございました!!!

以上が、今まで私が音楽と触れあい思ってきたことほぼ全てです笑笑

ちょっとは響きましたかね??(長すぎるわ)

 

最後にもう一度そんな音楽に教えて貰ったことを3つ。

・感情や感じるものにはニュアンスがあり、簡単に言葉にできない尊いものである。

・言葉には限界がある。万能な道具として使ってはならない。言葉はニュアンスを排除するのだ。

・その反面、言葉の限界を知り、感情や感じのニュアンスを大事に、言葉を大事に使えば無限の可能性を引き出せる。

この3つ。今の私の座右の銘のようなもの。

曲を聴けば、眼前には映像が広がる。こんな尊い瞬間は他にはありません。

 

ということで、これからはたまに、曲をピックアップしてもっと短いレビューのようなものを投稿したいなと思っているので良ければご愛顧お願いします!!

 

では!!したっけ~!!!

 

 

 

 

好い活(自分を好きになる活動)中....!? 2020.5.22

最近、いやずっといろんなことを考えてきたんですが、最近になって考えがまとまってきた。

「自分はどうやったら、どういう考え方をすれば幸せに生きれるのだろうか?」的なやつを今回は書き連ねてみました。

就活とやらをやってるのかやってないのかよく分からぬ状況だけど、ブログの題材として、文章力維持のため、そして自分に対する戒めのためにも文字に...

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自分自身を好きでいることが一番大事。「これがダメだから」って落ち込んでても、何も変わらないし。それにそれは誰かからしたら無責任。誰もそんな人、相手にしない。「自分なんて、、」って言っている人を誰が構うのか。自分を好きでいれば自分の長所が分かる。そうすれば短所も分かる。正しく自分を認知すること、難しいけどとっても大事。

 

「自分を好きでいること」これは日本人が一番苦手なこと。「自己中心的」ととらえる人もいるかも。だけど、それはマイナス面で、プラスに見れば、自分に自信があれば、周りがどんな状況であれ、相手がどんな人でも、正しく決断できる。決断をできれば、多くの人を助けられるかも?優柔不断でいれば、周りの人に合わせ、YesかNoのどちらかにすがるしかない。周りからは「優しい人」と見られるけど、誰も救えないんじゃないか?

 

「スキルがないから」というけど、ないのは努力しなかった自分の責任。たとえそんな風に思える精神状態じゃなかったとしても、現実は「スキルがない」という事実だけ。

「スキルがない」といくら嘆いてもそこでは勝てない。ならば他の場所で、長所をスキルとして生かせるかもしれない。いやそれしかない。自分を好きになり、長所を見つけ、それで勝負をする。

そして勝負できる武器を見つけ、研ぐ。

そして、自分の長所にあった舞台を選択する。これでやっと勝負できる。

武器は、舞台は一つじゃない。隠れた武器を掘り起こせ。

 

後は、どう勝負するか。どう伝えるか。

「相手の気持ちを考えて話す」とよく言うけど,,,

相手の気持ちなんて分かりやしない。そりゃそう。みんな思いは違う。だから、「分からないということを前提とする」ということが、相手の気持ちに寄り添うことではないかと思う。

よく「”真面目”は長所じゃない」とか言われる。それは”真面目”を否定しているのではない。「”真面目”という一言で表すな。それは十分に伝えられていない」ということでは?

”長所”は他の人と比べ秀でている点という意味。だから、どこがどう真面目なのか、それがどう秀でているのかが伝わらないといけない。

 

コツコツ努力できること?礼儀正しいこと?規則正しいこと?

いろいろある。それを伝えられるかってことなんじゃないだろうか。

相手の気持ちが分からないから、ありきたりの言葉じゃなくてありったけの言葉で伝える。それが勝負の仕方。勝つための近道。言葉の限界を知るってことでもある。

 

まぁ結局は自分を好く事が大事。伝える以前に、自分が自分であることを誇れないと相手の気持ちは動かない。自分を好きでいれば、ほかの誰かにも優しくできるんでは?なんて思う。

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完全に書き連ねただけなので乱文で申し訳ない、、。私は今まで、自分を好きでいることが苦手で、自分が嫌いで、それに悩まされて、何もできなかった人です。だけど、ようやくそれが独りよがりで空虚なものか分かり始めました....

これは戒めなので、誰かに向けた言葉ではないけど、これを読んでる方々も千差万別の人生を歩んできたと思います。その中で、自己嫌悪に陥って、将来が不安な方もいるかも。だけど自分を好きでいてほしい。そうすれば自信が持てる。そして自分のことを良い悪いで判断せず、理解できる。その先に良い未来があると思います。

 

次回のブログでは、こんな風に思えるきっかけをくれた”好きなもの”、「音楽」について今度はちゃんと書きます!!!(笑)このブログは予定してなかった!!思い付き!!

読んでくれてありがとうございました...

したっけ~!!!

 

 

99で片付けちゃいけない 2020.5.1

昨日、岡村隆史のANNで矢部さんが岡村さんを公開説教したという事を朝、Twitterで目にした。 私はこう見えて音楽やドラマ、アイドルにハマる前はホントにバラエティが好きで、特にフジテレビのバラエティはホントに大好きだった。同世代の皆さんもそうなんじゃないかな? 「めちゃイケ」もその一つで、岡村さんにはたくさんのキラキラを貰ってきた。 だからこそ、今回の件はびっくり。だけど昨日の放送を聞いてどこか腑に落ちた。 世の中の人は大バッシング。それは当たり前。だけどなんだか私は叩けない。それは好きだからもあるけど似たような感覚を知ってるから。 放送内で「女を敵やと思ってるんじゃないか」というような矢部さんの指摘があった。 岡村さんがどのような恋愛遍歴があるのかは分からないけど、半ば的を射た指摘だったんじゃないかなと思う。 私は、中学の時、クラスの女子に容姿でひどくいじめられた。「顔を見たらキモすぎて泣く」と言われ泣かれた。今思えば「あなたの感覚の方がどうかしてるのでは?」と言っても良かったけど、その時から女性が苦手になった。 それからどこか「自分とは反対にある存在」というようなニュアンスで女性を認識するようになった気がする。だから女性に対して性的な視点が強くなった時期もあった。今思えば。 コンプレックス、、広義で言うなら「弱み」とか俗に言うなら「カッコ悪い」「情けない」ところは人間絶対ある。それは自分由来のものもあれば、他者から身勝手に与えられた烙印である場合もある。それを隠して、我慢してしまうと長い間を経て独りよがりな思想になってしまうんじゃないかなと私は身に染みて今までの人生で学んだ。 母が「やっぱ人間は本質的なところ。思いやりがあるかないかだよ」と今回の件で言った。 私はそれはあまりに粗雑な見方なんじゃないかなと思った。人間、長い人生様々な人と出会い様々な事を経験する。だから本質というのは多分ない。だってそういう人とのやり取りの中で積み上がっていくものだから当然、更新されていく。それが本質に近いものなのかもしれない。 それに思いやりがあるないかなんて不確実な基準。 相手に対して思いやりがない行動でも... ・単純な無神経から攻撃 ・自分の歪みから自分の防衛としての攻撃 の2つがあると思う。だから一概に「悪い」で片付けちゃダメな気がする。 「良い」「悪い」で片付けられないのがこの世界でそして人間だと思う。 幸い、今の自分は上の後者の状態から離脱して、Twitterではむしろ女性の方と仲良くなることが多い。「女性だから」という意識は薄くなった。それも自分をさらけ出して向き合うきっかけをくれる人たちに出会えたから。 今回の件で、岡村さんには不適切な発言をしたが、これを機に矢部さん含め色んな人をたくさん頼り向き合って欲しいなぁと思う。 ps.今回は文語で書いてみた。そして連続更新笑笑 また頑張って書きますね💭

春カ摺動 2020.4.30

 コロナ禍の中、昨日「新学期を9月にする」という案が出されました。この状況ゆえに様々な意見が出るのは当然ですが、これが実現すればとてつもなく大きな転換点であることは間違いないですよね...

ところで、皆さん、春はどんなイメージでしょうか?

春といえば、入学や入社といった「出会い」そして卒業などの「別れ」

が私は想起されます...皆さんはどうでしょう?

逆に夏はどうなんだろうかと頭を回してみる。

夏と言えば、夏休み→夏祭り→失恋(?) 

               →燃えさかる恋(?)

私がセンチメンタルなのか夏祭りからダイレクトに恋の路線にいってしまいましたが笑

私の中ではこういうイメージなんですよね春と夏って。

 

「新学期を9月に」とするのは制度面であったり、教育・就職といった本質的な面での影響が一番大きいのは確か。ですが私は思うのです...

「春と夏のイメージの変化もデカくない!?」と...

 

あっっつい真夏にですよ。ギラギラ容赦ない太陽が強火で照りつけるon the beachで入学式...!! 入学式の次の日は気分ルンルン飲みたい放題笑いたいとかクラスの男子が言い出して夏休みではなく友達作り(随分、入学当初からパリピや...)

一方サザンオールスターズが卒業ソングの代表になるんじゃ...??

 

なんて想像をするんですが、そりゃ腑に落ちない笑笑 当たり前ですよね。そう簡単にイメージは覆せない。

何の前触れも無く曲の歌詞を引用しましたが、季節のイメージと強く結びついているんですよね音楽って。

春→別れ+桜→さくら(独唱),3月9日

夏→燃え上がる恋+太陽→フライングゲット,peach,イケナイ太陽,太陽スキャンダラス

みたいな感じで四季を大事にする日本では四季のイメージが強いし、それ故に”夏ウタ”や”春ウタ”なるジャンルがあり皆、当たり前に楽しんでる。

もし、「新学期が9月から」なんてことになったら「春ウタ」「夏ウタ」とかで言えなくなっちゃう気がする。

だから、「新学期9月から」は正直やめて!!!って思うんです笑

まぁなんだかんだ変えたら変えたで上手く融和した新たな音楽が生まれるかも知れませんが、、

 

そしてそして、今回最終的に思ったのは、春ウタも夏ウタも最強の文化だなということ笑

春の麗かなあたたかな空気は、淡い別れと緊張と期待が混じり合う出会いを醸し出す。

純粋に入学、卒業を想像させる曲もいいけど、恋に当てはめるとなんともノスタルジック。(スピッツの「チェリー」や「春の歌」なんか特にバッチリ解釈通りですばら)

夏は熱く照りつける太陽(それに付随して水着の男女や海が浮かぶ)が表す熱い愛・愛・愛!!!夕方のサンセットもサザンの希望の轍とか流したい!!そして夜になると、夏祭り(Whiteberryですよねやはり)の儚く消えそうな線香花火!!などとにかく鉄を熱するにも良し、冷ますのも良しというぇエモエモな季節(?)

少し取り乱しましたが、季節という概念がないと生まれなかった感情や雰囲気。非常に尊い。そう今回の件で思いました。

 

「新学期を9月に」

私はこんな不謹慎な事を考えてしまいましたが、一番は子供たちにとって一番良い形を取ること。教育あっての文化です。コロナ早く収まれば良いな。そして音楽も喜べるような環境に早くなりますように。

 

では。今日はこのあたりで、したっけ~!!

自分に優しくできない人は周りの人にも優しくできない?2020.4.10

1ヶ月ぶりに戻ってきました。みぞ!でございます...ちょっと思った事があったので書きたいと思います。

私はよく悩んで考えすぎて常にモヤモヤしているような人で、勝手に病むことが多いのですが、最近ですね、、自分の性格について一つ10年越しで悩んでた事に活路が見いだせたんですよ(?)

「なんだ?なんだ?また面倒くさい綺麗事か?」って酒を飲んだ酔っ払いに絡まれそうですが、話しますよ、、?(今日は随分、癖が強いブログ、、←ノブさんではない)

私とても「自己肯定感」とか「自尊心」とやらが低い値を示してましてですね、、Twitterを始めた当初は「あぁしんどい、、明日もがんばろ、、」的な鬱々とした投稿ばっかりしてたくらいでですね(余計な暴露) ずっと自分に自信がない自分が嫌で自信をなくすという恐怖のループを繰り返したんですね笑

まぁそうなったバックグラウンドは色々あるんですが、それは良くてですね、、「自己肯定感」が低い事って怖いことだなって最近気づいたのです、、

自己肯定感が低くなる要因っていじめだとか毒親だとかまぁ様々あると思うんですけど、まぁ「人間」ですよね、、原因は笑笑

言い換えると「相対的な自分」の価値が低いって事だと思うんですよ?「自己肯定感」の世間的な意味?というか日本人の解釈というのは。

親から怒られたり褒められたり、友達と仲良くしたりはたまたケンカしたりで色々な評価とやらを言葉から浴びて「相対的な自分」ってのが構成されるんです、、

私で言うと、、親に甘やかされてきたんですね、、そうすると大人になるにつれて「あぁ自分で何もできんやん、、」という劣等感が形成されてですね、、抜けようとすると「いやそれはやめといいた方がいいんじゃない?」と親が全力でストップをかけてくる。それは見えない鎖が飛んでくるようなものでやたら強制力が強くて逃げられない訳です(緊急事態宣言より全然強い)

かといって、「いやいやそうじゃない。私はやるべきだと思う!」と言ったらですね。

親は「ああ言ったらこう言う!じゃあ勝手にすればええやろ」と急に過保護のUターンが繰り出されるのですよ、、。

まぁそんなこんなで導かれる結論は「親が絶対。親に反抗すべきではない」という自己形成なのです、、(怖いな

自己否定が始まると、自分が弱いからダメなんだという思考になり、不安定になるから強い概念に寄りかかろうとする、、じゃないと死ぬから。それが故に「Yes or No」みたいな二分法的な考えになり相手に強く当たってしまうんです。それは自分を守るためなんだけど、攻撃なんですよね端から見たら。そういう沼に浸かってるとどんどん認知がおかしくなって全てが敵に見えてくる。被害妄想に近いものが始まったりして、、

よく「自分に優しく出来ない人は周りの人にも優しくできないよ」とか言うじゃないですか?あれね、、私そんなに深く考えなかったんですが、きっと今言ってたみたいな事なんでしょうね、、ちゃんと理由があった、、

じゃあみぞ!は何を見つけたのか!?

自己肯定感を上げる方法はずばり「絶対的な自分」の地位を自分の中であげることなんですよ、、

相対⇔絶対という構造から分かるように誰からの評価にも影響されない自分なんですけど、、これがものすごく大事なんです。

子供、、といっても3歳とかの頃ってきっと「自分は最強」みたいな感じじゃないですか?その気持ちがあれば、大人であっても病まないと思うんですよ(単純)

「自分は大人しくてはっきりものが言えない。ダメなんだ。」

「世の中そんなに甘くないよな」

とか全部何かと比較した自分。別に自分を評価する基準が自分でもいいやん、、!!

誰に何を言われても「絶対揺るがない考え」を持ってれば最強なんです(単純すぎない?)

でも、ホントに「自分の考えはこうです!!」って心の中に持っていればそれだけで自分に自信を持てるし、誰かを批判して誰かを傷つけて自分の価値を見出さなくて済む。

別に世界がどうであれ。自分の心の中だけは誰にも邪魔されない。それでいいのだと。

今まで、「相対的な自分」が強すぎて万人に納得されるような考えを持とうとしてたけど、「哲学者かよ!!お前は何だ??ノーベル賞でもとりたいんか??」ですよホントに笑笑 万人に認められる思考なんて自分の思考じゃない。自分勝手な綺麗事の方がよっぽど価値あるわ。面白いし。

だから、自分大好き自己中心的になること。それが意外と自分にも相手にも優しくなれる秘訣な気がします。考え込む人は内に秘めるものは優しいから、自己否定を繰り返して醜いモンスターになるのはもったいない。そう思います。

これで一件落着!!!!!!!!!!

といきたいですが、醜いモンスターになりかけの人からしたら簡単じゃねぇぇ訳です、、。

そういう人は、、、

・「推し」を作りましょう!!

・自分の好きな作品を見つけましょう!!

・そしてそれを楽しみましょう!!

これだ!!!!!!(結局毎回ブログ書いても言うことは決まってる)

自分で自分を「最強だ!!!俺はスーパーサイヤ人だ!!誰でもかかってこい!!」とかいう訳にいかないけど(例えてるけどドラゴンボールは観たことない)

「私の推しのこのブログ!!この考え方!!ヤバくない!?なんで世間は気づかないの??」なら余裕で言える、、(オタク化が進むが、、笑)

そして二つ目!!

自分の好きな作品を見つけて、そこに自分のお家を建てましょう!!(は?

心の中の世界というと漠然としてるけど、ドラマ、小説、歌なんでもいいからその世界を自分のホームタウンにすればいい。

この二つをしてれば擬似的に「絶対的な自分」を大事に出来るってわけです!!!

さぁ皆もオタクになろう!!!!(終)

 

p.s 頑張って長くならないようにそして真面目にならないようしたけどダメだった。

 

 

 

今、思う事。2020.3.11

 ふと、文章を書きたくなったのでペンはとらないけど、キーボードを叩いています。

いつもブログを書くときは構成を考えて、、こういう事書いて、、といろいろ考えるのですが、今日はつらつらと書いてみます。気まぐれな文章かつ、長い文章になるかもしれないですが、興味のある人はお読み下さい。

 近頃はコロナウィルスというやつが流行っているのは皆さんもちろん嫌なほどご存じだと思います。私は1月頃「中国でウィルスが流行っている、、」というニュースを見ていたのを覚えているのですが、まさかここまで影響が出るとは思いませんでした、、多分ほとんどの人がそうでしょうね、、

そして本日は3月11日。東日本大震災が発生して9年。私はその頃、小学校の卒業式の予行練習をしていました。まだケータイ電話が主流の頃でした、、未だに東北の被災者の方の気持ちを完璧に理解することはできませんが、その被害の甚大さはこの9年間、テレビからの映像で理解することができました。

ウィルスや災害。どちらも人の命に関わること。であることはもちろんですが、それ以上に私は最近、よく考えさせられる事があります。

 

「政府の対応はどうなんだ!!」「ライブハウスが感染を広げたのか?」

「野球なんてやってる場合じゃないだろ」「マスクはどこだ!隠しているのか!?」

 

このような言葉を目にする度に心が痛くなります。

ですがその一方で「また言ってる...」なんて思ってしまう自分もいます。

 

「人間は、自分が理解できるように世界を簡単にしてわかったことにする」

 

あるドラマの好きなセリフなのですが、まさに今思う事はこれなのです。

コロナウィルスが未知のものであるが故に余計に分かったことにして安心したがるのが人間じゃないかなと。「コロナには~が効く!!」「厚労省の対応はここが悪い!」などとSNSでは日々、情報がやりとりされるけど、忘れてはいけないのは答えはそんなに簡単じゃない。例外を無視しちゃダメだってこと。

東日本大震災から9年。ニュースで当時、いくつも偶然で”奇跡的”に助かったとされる方がインタビューでこう答えていました。

「”奇跡”という言葉で簡単にまとめないで欲しい」

その方は、偶然生き残った。つまり命を落としていたかもしれない。いやむしろ死んでいてもおかしくなかった。だからこそ奇跡だなんて笑えない。命を落とした方もたくさんいた。だからこそ、何がダメだったのか。自然の脅威とともに伝えることが大事だと考えての言葉だったのだと思います。

 

言葉は偉大です。自分の気持ちや思ったことを言い表せる。相手に伝えられる。そして言葉には力があります。ふとした一言で、人を元気にできる。

だけど、同時に言葉には”限界”があると思うのです。現実に私たちが生きるこの世の中の全て、全ての人間の感情や考えを果たして完璧にニュアンスまで表せるのか?

きっとできない。言葉というものはコミュニケーションにおける大変、便利で偉大なものである一方、「現実を簡略化する道具」でもあるということを分かっておくことがとっっっても大事だと思うのです。

 

厚労省を批判したり、病院を批判したり、「マスクがない」とドラッグストアを叩く。

「ライブは演劇はやめても問題ない」「ライブハウスなんてけしからん」

「被災者はかわいそう」「生き残ったなんて奇跡だね」

そんな言葉の裏には、必死でコロナウィルスのために働いて下さってる一人一人がいて、何も分からない状況でも丁寧に対応する一人一人、その舞台を魅せるために必死に稽古してきた、練習してきたエンターテイナー一人一人、災害に遭って9年たった今も心に影を落としている一人一人がいるのです。一人一人には様々な思いがあり、様々な事情があるのです。

今の世の中思った事をすぐに言葉に出来て、共有できる世の中。普段の生活一つ一つでも、いろんな事を思うと思います。「嬉しい」「悲しい」そんな一つ一つの感情も人によって違うし、自分でもそれを言葉に表すことは難しい。だからそれを総合して嬉しい!!悲しい!!と表現するしかない。

だからこそ簡単に分かった気にならない!!ちゃんと考える。想像する。言葉の裏にある世界を見る。それが大事。難しいけど。

 

そして、簡単には表せない自分だけの気持ちを大事にすること。

「何となく幸せだなぁ」って「何となく好きだなぁ」って思う事は、最高に尊いのです。誰に否定されようが、好きな理由を言葉にできなくても言葉に出来ないから尊い。大事にすること。

 

まぁこの文章は、就活生である私が、将来に悩む私が、今、自分に言い聞かせて「大丈夫だぞ!!」って思うために書いている節もあります笑笑 なので若干、偉そうに言っている感が出てますがご了承下さい笑

 

そして最後に!!!そんな言葉の限界を超えて、感情や雰囲気を表し代弁して寄り添ってくれるのが、エンタメなのです。音楽なのです。映画なのです。ドラマなのです。

最高です!!「何となく」を作為的に表現するのってすごいんですよ、、尊いんです!

だから、そんな想像力をくれる。大事な事を教えてくれるエンタメを皆がまた思う存分楽しんで、エンタメが皆の心を満たしてくれることを願って、この長文を締めたいと思います...!

一日一日を大事に確かに生きていきましょう、、

 

長々と最後まで読んでくれた方がもしいたならめっちゃ感謝です!!笑笑

ではでは、、!!

 

 

 

 

 

 

『これこそ私の理想のLove Story...』山崎あおい「左手」について語ってみる。

どうもどうも...みぞ!です。前回のドラマ「3年A組」の感想記事、多くの方に読んでもらえたみたいでとても嬉しかったです!まず感謝申し上げます...

はてなブログでブログを再開して未だに使い方が定まっておらず、つまらないものになっていないか心配でありました(笑)

まぁ前置きはここまでで、今回の本題に入りたいのですが、実はですね...

【悲報】今回の更新で実質ブログ活動休止

まぁ実はこういうお知らせがあってですね(笑)今回の記事でまだ3回目というのに活動休止というのもおこがましいのですが、今回の記事を更新したらおそらくしばらくはブログを更新しないと思います。理由としては、将来のことを考えていろいろせねばならないというところですよね...長くなるので割愛しますが、再来年には新社会人なので、ちゃんと社会人になれるように頑張らないと...ということでブログはまず出来ないなぁという感じですね...

元々、不定期更新になるのは宣言していたのでまぁ予定通りっちゃ予定通りなのですが、そういうことなので!実質最後の更新ぜひ読んでいって下さい!!

まずはこちらの歌詞をゆったりと読んでみてください...

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明日早起きできたらさ 遠くへ出かけようなんて言っておいて

結局昼まで寝てすごして 君はほんとに自分勝手だ

幸せそうな顔して おはようと君が言うから

僕の胸がきゅんと音たて 愛だの恋だの歌うんだ

左手にはいつも君が居て 楽しいねなんて笑って

何度も見た映画で夜更かしして

好きな歌をふたり歌って 君で良かったと思ったら

胸が熱くなってきて 何も考えてなさそうな顔を

黙って見つめたんだ

幸せかい?いつまで幸せでいられるのかな 僕はたぶん

一生で一番好きな人を見つけたんだ

左手を強く握りしめ 無性に伝えたくなって

どうしたの?なんて君は笑って 好きだなんて今更だけど

今君に聴いて欲しくて

胸が熱くなってきて 何も考えてなさそうな君を  

抱きしめたよ

これから先もずっと二人 好き同士でいられるなんて

そんなことは誰もわからないけど

今日はこんなにあたたかくて 優しい気持ちになれたから

きっと大丈夫だよね もう日が沈み始めたよ

そうだ

夕飯の買い物に行こうよ

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こちらは山崎あおいさんの「左手」という曲です。どうでしょうか?歌詞をじっくり読むなんて機会ないと思うんですが、皆さんはどんな気持ちになったでしょうか??

好き同士の一日を切り取って”しあわせ”を詰めた一曲

私はこの曲がとにかく好き。聞いたあとに残るのはまさに”幸せ

あったかいんですよね。とにかく。巷で言うラブソングは、キラキラしててロマンチックなものが多いけど、この曲はとにかくあったかい。リア充○ねなんて言葉絶対に出てこない。皆が幸せになれる曲だと思います。

「"好き”っていったいどういうことだろう?」なんてこと最近考えたりします。テレビに出てる顔が整ったアイドル?スタイルの良いモデル?理屈なら容姿が整っている女性に惹かれる。私も昔はよく「あの子顔可愛い...好き」なんて言って、とっかえひっかえ好きな人を変えたりしてました...女の子なら「私の事を1番に思ってくれる人!」なんて言う人多かったんじゃないかなぁ。でも大人になっていってお金を持ってる人、料理ができる人とかスペックが判断基準になっていく。結局、好きって?

 

よく「恋はするものじゃなくて落ちるものだ」なんて言います。それって「好きになるんじゃなくて好きになっているもの」って言い換えられる気がします。

この曲では、まず初めに朝から始まります。彼女は自分勝手。”僕”はきっとため息をつくし、ちょっとイラッとしてるかも。でも寝ぼけた彼女が「おはよう」とほほえむ。

”僕”はそんな一瞬で顔がにやけてしまう。まぁ私はこれが「好き」ってことだと、恋に落ちたってことなんだと思うのです。他に言い換えられない。この歌詞こそ「好き」ってことだと思います(説明になってない笑)

歌詞ではそのあとも「好き」とは何かが詰められています。何度も見た映画で夜更かし、ふたりで好きな歌を歌ったり...

(この部分、個人的には上白石萌音ちゃんが浮かびました。多分萌音ちゃんが好きになる人は、一緒に歌って、映画を観て笑い合える人なんだろうなぁ...あぁなんか素敵)

 

「”しあわせ”すぎて怖い。」恋と愛の狭間で揺れる”好き”

私は実は今、好きな人がいます笑

まだ好きが何か?恋に落ちたのか?分からないけど。

この曲の主人公たちは多分付き合って同棲して1~2年なのかなと思うんです。

歌詞の終盤では、”僕”が彼女といるのが幸せすぎて、恐怖を感じます。

『こんなに幸せな日々一生続かないよな...』

幸せが頂点まで達すると落ちるしかない。男は特に色々気にしちゃう。

だから何もないのに伝えたくて伝えちゃう。「好き」って。彼女は「??」って顔をする。いやぁエモい...男の子取り越し苦労だけど絶対やっちゃうよね。

この主人公、一人称が”僕”と名言されてるから、すごく想像しやすくて、自分に自信がなくて、彼女に対しても負い目をすぐに感じちゃうタイプ(多分私もこっちのタイプ)

こういう男子の焦り?だったり弱さだったりが悲しい別れに繋がっちゃうことも。

恋して、結婚して愛するようになるまで時間的には、皆個人差あるだろうけど、すごく長いと思うんです。その間がこの曲だと思うんですけど、不安定で脆い期間なんですよね。だから怖い。突然崩れてしまうかもしれない。

”好き”の積み重ねが、二人の日常をつくる

この曲の最後。好きは脆いし、この幸せがずっと続くかも分からない。不安。

だけど、今日、今この一瞬、一緒にいて幸せなら、明日も明後日もその次も...

毎日、一日一日、優しい気持ちになれたら大丈夫。そして夕飯の買い出しに行かないとと家を出る...

素晴らしい、、もうエモエモのエモ。

 

結局、この曲の良いところってのは、”好き”ってのは何気ない「今日の晩ご飯何する?」とか「今日はあの映画もう一回観よ?」とかそんなありふれた一瞬がめっちゃ幸せに感じられることだって教えてくれるところで、恋でも愛でもないその狭間の男女の心の揺れを表現しながらも、日常を積み重ねていくことで夫婦になっていくことを想像させてくれるところなんですよね!!!!!!!!!!

 

色々言いましたが、、

 

あぁ恋って素晴らしい。

あぁあおいさんすげぇ。

ってことです!!!すいません書きすぎて集中力切らした!!

 

では!またどこかで!!


山崎あおい - セカンドアルバム「12センチ」 全曲フラッシュ

 

ps.Twitterでフォロワーさんに「みぞ恋楽しみにしてる!応援してる!」とか言ってもらったから、この記事を書きたくなりました(笑)この曲のようにいかないかもしれないけど、とにかく好き同士になれればいいなぁ。

そして、上白石姉妹のファンの方でこの記事を見てくれた方、ありがとうです。ハッピーエンドに負けじと至極のラブソングだと私は思ってる山崎あおいさんの「左手」少しでも山崎あおいさんの書く詞が素敵だと分かって頂いたらとても嬉しいです!!

あぁでも、今回もうまく書けた気がしない!!(笑)

今度、社会人になってからもし書くなら、もっとうまく書けるように頑張ります!!!