みぞ!のみぞ知る世界!!

とにかく自由に好きなことについて書いていきます。

「世代」の音楽の消失 2021.8.14

つい最近、ある音楽番組を見かけた。その番組は、世代ごとに人気の曲を取り上げるというよくありがちなものだった。

だがそこで、ふと思った。「世代」で音楽を語ることは現代においてはもはや不可能なのではないだろうか。

その番組では、令和・平成・昭和と元号ごとに世代を分けて紹介していた。

昭和や平成初期において、ジャンルごとのストリームはあれど、ザ・ベストテンMUSIC STATIONなどの音楽番組が人々の音楽シーンの中心だった。

だが、徐々にインターネットやSNSの発達などの情報革命が進み、TVだけが音楽シーンを引っ張る存在ではなくなった。それどころか今や、SNSでの話題を追随する存在になっている。

 

そんな中で令和になった現代では、完全に、音楽のメインストリームはSNSに移った。

特にコロナ禍になって以降、ライブ活動を始めとするこれまでの音楽活動が制限されたことから、SNSにおける音楽発信が影響力を強めた。

『香水』の瑛人、『ドライフラワー』の優里など多くのミュージシャンが、短期間でヴレイクする様子がそれを表しているだろう。

誰もが情報を手に入れることが出来る。そして発信することが出来る。

自分の好みの音楽を自分で探し楽しむ。

それは音楽シーンの多元化を意味する。

 

これまでは、ジャンルごとのストリームがありつつも「J-pop」と呼ばれるジャンルを中心とした社会を構成する人々ほとんどが共通して持つメインストリームが存在した。だが現代においてはそのメインストリームは各々が、SNSを通じて構成するコミュニティの中に存在する。それを各々が共有し合う事で、常にアップデートされている。

このような状況ではもはや、社会の成員皆が共有しているメインストリームを前提とした「世代」による分類はあまり意味をなさない。SNSで作られるコミュニティの複数に渡り、連続的に”拡散”していくその大きな流れを、TVが疑似的なメインストリーム(以前の意味での)として取り上げているにすぎないのではないか。

 

 

確かに、自らが音楽をつくり発信でき、様々な音楽と出会えそれを共有し、コミュニティを形成することが容易な現代はとても素敵だと思う。

だが、筆者は、子供の頃感じていた皆がその音楽を共有しているという一体感、それこそ「世代」と称されるその感覚が現代では感じにくくなっているのが、少し寂しい。

 

思えば2000年代、2010年代前半はAKB48EXILE、嵐、SMAPといったグループが音楽シーンを席巻していた。

「あれは音楽じゃない」「口パクだ」「またAKBかよ」など、その状況に対する批判もあったが、今思えばそれも懐かしく思い出される。あの一体感が恋しい。

 

人間はないものねだりだ。

その頃は、「もっといろんな音楽が出てきて欲しい」と思っていたが、それが実現された今は、逆にあの頃当たり前にあった「誰もが知っている音楽」を求める。

情報が双方向的に高速でやり取りできるようになり、情報の送信者にも容易になれ、どんどん進歩しているのに、足りなさを感じてしまう。

 

また、SNSやインターネットの発達がもたらしたのは、情報の量や速度によるものだけではない。それは「可視化の強制」だ。

 

昔は、音楽の価値なるものはその人の感性により決まるとまだ言えたが、現代では、「いいねが多い」「再生回数がトップ」「TikTokで多くの人に使われている」など、数字としてその人々の反応が可視化されてしまう。

そして、前述したようにテレビはSNSの特に強いストリームを掴み特集する。それ故に以前より、音楽に相対的な優劣があるような印象を抱かせる仕組みが自然に出来上がってしまう。

 

また何より可視化の強制は、「感情の強制」なる現象を生んでいるのではないか。

「エモい」がその一つだ。

音楽は本来、定義されるものではなく、言葉とメロディで描かれる部分から、描かれない部分を受容者が補って(想像して)楽しむものだと思う。

そのため、その曲を聴いた時の印象は人それぞれだ。

だが、現在では、何としてでも一つの言葉で言語化してやろうという傾向が強い気がする。

「エモい」曲と表現することは、その時点で「エモい」という感覚が失われている気がする。

 

ここまでの文章を見返すと、とても懐古廚のようになっているが、現代の音楽のありかたや、消費形態を批判するわけではない。ただ、SNSやインターネットの発達で音楽の楽しみ方が多様化する中で、以前はあった音楽の一体感や表現されない「間」が消えつつあることに寂しさを覚えるという感じだ。

 

 

さて、何となく書き出した文であったが、書く中で、テレビが音楽のメインストリームをつくり、皆がそれをいちいち意味や数字を考えず、楽しんでいた頃の音楽を思い出したので最後に紹介して終わろうと思う。

それは、バラエティの企画で歌われた音楽だ。

 

youtu.be

とんねるずのみなさんのおかげでした』から生まれた矢島美容室の「ニホンノミカタ-ネバダカラキマシタ-」

お笑いコンビ「とんねるず」と気志團綾小路翔が扮す...ではなく、似た人物が歌っていた。当時はふざけて笑っていたが、歌詞を読んでみるとなかなか考えさせられる。FNS歌謡祭なんかにも出ていて、当時口パク疑惑が番組でネタにされていたのはよく覚えている。

 

youtu.be

22年間に渡り放送された『めちゃイケ

その中の「オファーシリーズ」と呼ばれる企画で、ナインティナイン岡村隆史が、EXILEのライブに乱入に近い形で参戦した。その時に生まれた「OKAXILE

2007年、2012年と計二回このコラボは実現したが、リアルタイムで見ていた時のあのトキメキは今も忘れられない。

 その様子が描かれたDVDも発売された。今でも欲しいなぁと思うほど、今でも大好きなコラボだ。

 

 

羞恥心

羞恥心

  • 羞恥心
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

当時大人気だった島田紳助が司会の クイズ番組『ヘキサゴン』で生まれたおバカユニット羞恥心の歌う「羞恥心」

他にも「泣かないで」や「我が敵は我にあれ」など、バラエティの枠を超えた良曲揃い。また番組に出演していた芸人などがユニットを組んで同じく曲を披露していた。

ちなみに私が初めて買ったCDは実は「WE LOVE ヘキサゴン」というヘキサゴンのアルバムだった。そういう意味でも思い出深い。

 

 最後に紹介するのが現在も放送中の『ロンドンハーツ』から。お笑い芸人狩野英孝が番組のドッキリ企画で「50TA」として謎に名曲を量産しまくった。

歌詞は意味不明、本当に意味不明。だが意味不明なのが良い。

歌詞を取り上げる事が多いこのブログで最も取り扱わないであろう楽曲が山ほどあるのが「50TA」だ。

だが、何が名曲かと言えばメロディだ。

狩野の作曲センス凄まじい。

感動系の「涙」、よく分からない系の「インドの牛乳屋さん」、盛り上がる系の「PERFECT LOVE」「ノコギリガール-ひとりでトイレにいけるもん-」など騙されたと思って色々聞いてみて欲しい。

 

さて、なんとなくで書いて長くなってしまったが、令和の時代、いつか未来で「あの頃流行ったやつね~」って、「なんとなく聞いたことあるな~」って皆でそんな感覚になれたらいいなと思うという小話であった。

 

【過去記事】

mizomone7118.hatenablog.jp

mizomone7118.hatenablog.jp

 

 

Twitterもやってます!フォローよろしくです!!

twitter.com