「好き」を抱きしめる Little Glee Monster『GRADATI∞N』レビュー 2021.3.2
先日、Little Glee Monsterがベストアルバムとなる『GRADATI∞N』をリリースした。
”リトグリ”の愛称で親しまれ、メンバーそれぞれの歌唱力、そして5人が織りなすハーモニーが高い評価を得ているのは皆様もご存じだと思う。
私自身、幼少期からテレビっ子である事もあり、彼女たちがデビューした時からその存在は知っていた。
当時から、アカペラもできる女子高生グループということもあり、注目はしていたが、特に最近は「大人っぽくなったなぁ~」というような感情を持つと共に、彼女たちの表現力に驚かされることが多い。
さて、ファンの方(”ガオラー”と呼ぶらしい)には「にわかだ!!」と怒られてしまいそうだが、今回初めて、CDを購入した。その理由はずばり、”ベストアルバム”だからである。その一枚を買えば、”リトグリ”を堪能できる訳である。買わない選択肢はない。
という事で、今回はそんな『GRADATI∞N』を堪能した私の個人的感想を書き連ねたいと思う。
なおレビューと言いながら、自分の思ったことを綴る「感想文」に近いので、ちゃんとしたレビュー記事を読みたい方向きではない。別の優秀な音楽サイトを見てもらいたい。また、歌詞解釈等に関しては、あくまで個人的解釈なのでご了承頂きたい。
私だけの”キミ”「キミ」が好きだ。
このアルバムを聴くに際して、知っている曲も含めて歌詞カードを見て、じっくり聴くことにした。すると、素晴らしい歌詞が沢山あった。その中でも特に多くの曲から感じられたメッセージは「好き」の大切さだ。
リトグリの代名詞とも言える『好きだ』はそれを体現していると言えるのではないだろうか。
2015年にリリースされたこの楽曲。TBS系金曜ドラマ『表参道高校合唱部!』の主題歌としても知られている。
ドラマは、ある合唱部の物語で、芳根京子演じる主人公・香川真琴が、潰れかけの合唱部を自らの「歌が好き」という気持ちで再興していくストーリー。『好きだ』もそんな歌への愛を包み隠さずストレートに伝えようとする真琴を写し取ったような歌詞になっている。
その中でも印象的なのだが、サビの歌詞であろう。
「キミ」が好きだ ホントに好きだ
言えないけど 好きなんだ
どうしたら伝わる? この胸のざわめき
呟いても呟いても言い表しきれない、具現化できない「好き」の尊さを、「言えないけど 好きなんだ」と表しているところが、何ともキュンキュンする。余計な言葉を尽くすより、「好き」の持つトキメキを醸し出していると思った。
ところでサビの始めに出る「キミ」
これは単純に人、つまり「好きな人」のことなのだろうか?
「何故、そこに疑問が沸くんだ?」
そう感じた人もいると思う。だが、『好きだ』における「キミ」は、君でもなくキミでもなく「キミ」である。
ここで、もう一曲こちらも初期に発表された『人生は一度きり』を見てみる。
(MVの、高橋ひかるさんが若い...!! 最近は、バラエティで大活躍...!!)
どうしてこの曲なのかというと、この曲にもキミが登場するのだ。
くよくよして めそめそして
弱虫な自分を知って
初めて僕はゆずれない”キミ”に出会った
これはサビ前の一節。”キミ”という表現が出てくる。『好きだ』における「キミ」とは表記こそ異なるが、どちらも君ではない。「」や””が付いた、カタカナ表記のキミで表現されている。
これは私の妄想なのだが、君ではなく「キミ」や”キミ”なのは、シンプルに二人称の人に対する代名詞ではなく、もっと大きい「もの」まで含んでいるという事を表しているのではないだろうか。
ここまで紹介した2曲。一見すると恋愛ソングに聞こえるようだが、実は、
『「好き」の気持ちを大事にするべき。いやしろ!!』
という普遍なメッセージソングと私は思うのだ。
つまり、
「キミ」(”キミ”)=好きなもの(人)=「好き」という気持ち
なのだ。
「好き」に正直になれない自分
だが、『好きだ』においても『人生は一度きり』においても、自分の「好き」を大事にするより、曲の主人公は、周りの誰か他者の視線を気にしている。
世間の顔色をうかがうばかりじゃ
いつか自分の色忘れてしまうよ
『好きだ』
誰かを傷つけないように 誰も傷つかないように
あるはずのない答え探す夜更深け 好きだ
『好きだ』
いつかできるはずさ 明日があるからって
きっと きっとって思ってた
言い訳ばかりで 誰かと比べたり
ずっと ずっと くやしかった
『人生は一度きり』
「世間の顔色をうかがう」「誰かを傷つけないように 誰も傷つかないように」「誰かと比べたり」というフレーズにあるように、楽曲の主人公は、他者に縛られてしまって身動きが取れなくなっている。
『私らしく生きてみたい』でも、他者の目を気にして苦しむ主人公が垣間見える。
物分かり良い人にずっと
なりすまして来たけれど
空気読めすぎたら
空気みたいな人になって
ここにいてもいないみたい
『私らしく生きてみたい』
「好き」を肯定できないということは、自己を肯定できないという事でもある。
他者の目を一番に生きてしまうと、いつの間にか誰かのための「自分」を演じるようになってしまう。その結果いつのまにか「自分の色」を忘れて、「空気みたいに」なってしまうのだ。
大事なのは「やれないこと」?「出来そうなこと」?
現代社会では、誰もが他者の目を気にして生きている。
「あの人に嫌われないように」「この集団の中で浮かないように」
と、自分じゃない自分になって日々を必死に生きている。
そして、いつの間にか自分の色を忘れてしまう。
残念だが、現代に生きる人々の大半が、そのような景色を体感しているのではないだろうか。
そんな景色に慣れてしまっている私たちに寄り添って「夢」を思い出させてくれるのが、リトグリの楽曲だと思うのだ。
出来そうなことからやりたいことを探してそれに夢と名付ける日々に別れを告げた
やりたいことも やれない日々に 自分を合わせて”これでいい”と言い聞かせた本当は自分で 選ぶすべてに 心躍らせて”これがいい”と言えるように 生きていたい『Love Yourself』
『I BELIEVE』そして『Love Yourself』この二曲では、「世間」や「誰か」といった他者を気にして、自分の色を見失っていた主人公が、大事にしていた「キミ」を思い出し、奮起する様子が克明に描かれている。
個人的にはこの二つのフレーズが、とてもお気に入りだ。
子供の頃は、「好き」なものに熱中できたのに、成長する内に、周りの目を気にして「好き」に嘘をついて、世間に染まれるように「キミ」を騙して、好きでもないのに
「新しい趣味始めてみたんだ!」って言ってみたり、気づいたら、子供の頃、心の奥にあった「キミ」が見つからなくなっていたという経験が私にはあるからだ。
でも、この歌詞が指すように、「やれないこと」や「出来そうなこと」ばっかり考えて、肝心な好きなもの、「キミ」を蔑ろにしちゃいけないと思う。
「何を綺麗事言ってるんだ」と言われそうだが、やっぱり諦めちゃいけない。
他者の顔色をうかがって生きることももちろん大事だ。だけど、自分の心の底では「キミ」を忘れちゃいけない、「好き」という気持ちはずっと持っていて欲しいとリトグリが教えてくれている。
前半に 「キミ」(”キミ”)=好きなもの(人)=「好き」という気持ち だと示したが、
実はまだその続きがある。
「キミ」(”キミ”)=好きなもの(人)=「好き」という気持ち=夢⇒君(自分自身)
『Love Yourself』の歌詞にはもう一つ響いたフレーズがあった。
心で君が夢を作り出しているわけじゃないいつでも夢が君を作り出しているのさ きっと『Love Yourself』
「好き」を抱きしめろ!!
さて、少し脱線をしてしまったが、要するに、大事なのは「好き」を大事にすること、ギューーっと抱きしめることだと思う。
感じるまま 生きていたい現実も 結末も 全部受け止めて『Girls be Free!』
一度しか生きられないなら 私 もっとドキドキしてみたい『Hop Step Jump!』
いつも独りだった 誰かのせいばかり本当 本当 寂しかった好きと言えることは 恥ずかしくないことやっと やっと 気づいたんだ『人生は一度きり』
負けても 負けても終わりなんかじゃない諦めちゃったらそれが終わりなんだ幸せはいつも心で決めるものかけがえのない今を生きろ『人生は一度きり』
精一杯届けよう 二度とないストーリーを声が枯れるまで・・・・・・叫ぼう!『好きだ』
ということで、全曲紹介はできなかったが、歌詞はもちろん、メロディ。そしてリトグリのハーモニーが素晴らしい『GRADATI∞N』