「普通」を疑い「芯」を育てる。2020.10.9
朝ドラで感じた過去の「異質な普通」
私は朝、いつも観る番組がある。それは「朝の連続テレビ小説」だ。通称”朝ドラ”と呼ばれているのは皆、ご承知だろう。
その朝ドラ、現在は往年の作曲家、小関裕而をモデルにした「エール」が放送中。
音楽をテーマにしたドラマという事で、毎日楽しみに観ている。
コロナウィルスの影響もあり撮影が遅れていたが、物語は佳境に向かっている。
舞台は、戦時中に移り、主人公の裕一が戦争に加担する曲を作りながら、苦悩する姿が描かれている(今後、より描かれていくのだろう)
「戦争」というのは、今を生きる私には「惨く恐ろしい絶対に起きてはならないもの」という漠然としたイメージでしかない。
そのため、ドラマの中で、裕一の義理の姉、吟が「戦争なのだから」「お国のため」と苦しみながら気丈に言い放つ姿に「なぜそこまでして」と浅はかながら思ってしまう。
そんな吟に対して、音は一貫して「音楽は人を幸せにするもの」「みんな違っていて当たり前」と答える。
私は当然ながら、音に共感した。だが、このドラマは音、裕一といった「音楽」に親しんでいる人間にスポットが当たっており、戦時下では、吟の意見が「普通」だったのだろう。
私は、違和感を持ちながら、その違和感こそ戦争の異常さなんだと何となくだが感じた。
「常識」よりも「良識」を
その後の、情報番組の「あさイチ」も私の朝の常連番組。博多華丸大吉の二人、近江アナウンサーのやり取りがとても穏やかな気持ちにしてくれる。
私事だが、先日、「推し」特集の際、『推しのどこが好きかを考えることは、自己理解につながる』と心理カウンセラーの方が言っていたのだが、私が以前、ブログに書いた意見とほほ同じだったので誇らしかった(笑)
金曜日のコーナーは各界の著名人をゲストに迎え、トークするプレミアムトーク。
今日のゲストは漫画家のヤマザキマリさんという方だった。
代表作は「テルマエロマエ」
代表作を聞けば「あ~あれを書いた人か!!」となるのではないか?
ヤマザキさんはイタリアの方と国際結婚され、お子さんもいるそう。
若いころから世界中を飛び回って、コロナ前まではイタリアと日本を行き来
(とはいってもほぼ日本にはいなかったそう)しているそうだ。
私は根っからのインドアかつ、地元大好き家大好き人間。それ故、海外旅行、留学の類は興味がない。そして引っ越しすら戸惑いが生じる部類の人間だ。
母譲りなのか、母も同じ性格で、TVを観ながら「この人はそれができる人よね」と言っていた。
多くの話の中で、コロナ禍でのご主人との話題に。
イタリアと日本ではコロナ対策、そして感染状況、メディアとの向き合い方全てが違い、たびたび電話で言い合いになってしまったという。
その時、ヤマザキさんはメディアで言っている情報、つまり世の中(日本)での「普通」を疑い、過去の感染症流行(パンデミック)に関する本を読むという行動を起こした。
それ以降、その知識を元に自ら情報を咀嚼し、ご主人と話し合われ、ご主人もその変化に気づき、お互い歩み寄ることができたそう。
ヤマザキさんが世界中を回っていて感じられたのは「普通なんてない」という事。
地理的にも日本とイタリアでは制度も、そこに生きる人間の考えも違って当たり前。
まさに、世界中を回られているヤマザキさんならではの説得力!!と言わざるを得ない。当たり前の事だが、限られたスペースで生きる我々が忘却してしまう事の一つだと思う。
これは先に紹介した「エール」の話でも同じ。時間軸上、過去と今。もちろん異なっている。だから違和感を感じていても、当時は「戦争に勝つためになら何でもする」という「常識」がそこにはあった。
そんな中で、ヤマザキさんが取った方法は「常識ではなく良識を持つ」こと。
自分に入ってくる「普通」をそのまま持つのではなく、自らの中で様々な道具を用いながら咀嚼し、自分の中で判断する。大事なのは「常識」を保持することではなく、普遍的に数多ある「常識」と対峙し、自分の中と融和させる能力(良識)を持つこと。
私はそう解釈した。
母は「この人は行動力があって才能があるから大成してこうやって言えるんだ」と言う。性格によると。だがそれも世の中の「常識」故の考え方なのではないだろうか。
”芸能人だから” ”賢いから” ”外国じゃないから” ”昔じゃないから”
人は「常識」を糧に判断を行う。でもそれが形だけになっちゃ意味がない。
確かにここは外国ではないし、戦時中でもない、そして私はヤマザキマリさんでもないし、推しのような立派な人間でもない、地位も名誉もない。
だけど、それは他者の考えを咀嚼せず、自分としての意見を放棄することではない。
時間、空間、環境、地位、性別。
その違いを了解した上で、それに向き合い、それぞれの「常識」と対峙し、そこから自分の「良識」を鍛えていく。
「~から」と思考停止するのではなく、自分の内に取り込み、自分の芯となる考えを強くしていく。
それが大事なのではないかと思った。
自分自身も「私はインドアだし、大人しいほうだしコミュ力ないから~」と自らの意見を放棄することが多かったのだが、性格はどうあれ、他者と向き合える芯だけは持とうと最近思っている。大人しかろうがコミュ力が高かろうが最終的に強いのは、「良識を持つことだ」
ゲートをウェイウェイしていこうぜ!!!
本筋はここまでだが最後に、それでも「私は海外なんか行けない。そんな勇気ない。」という人に対してこの動画をお勧めしたい。
こちらは、私の好きなYoutuber瀬戸弘司さんと、俳優石井正則さんの対談であるが
めちゃめちゃめちゃに長いので、時間があれば全編見て欲しい(私と同種の人間にはとても響く内容だと思う)
まぁ端的に言うと動画の1:29:06頃。
日々、小さなゲートをウェイせよ!
である。まぁ要約すれば、日々、小さなことでもいいから「いつも」とは違うことをしよう!ということである(笑)(なぜ”ゲート”を”ウェイ”なのかは動画を見観よ)
外国に行けなくてもいい。日常にありふれる「常識」に向き合い、考え、その気づきから自らの「良識」となる芯を育てていってほしい。そう自戒も込めてそう思う。
(最後まで読んでくれてありがとうございました!!したっけー!!)